「短冊逍遥~見ぬ世の友たちへ」

                                  鈴木崇浩

 年の瀬、私には恒例の行事がある。それは大抵、夜遅く家人の寝静まったころ、薄暗い灯火の下で行われる。などと書くといささか秘密めいた感があるが、何のことはない。今年一年でどんな短冊をどれだけ買ったかしらん。と眺め、「いやあ、これは珍品だな。」「これは掘り出し物だ。得したなあ。」とか「これはちょっと高く買いすぎたかな。」などと独りごちるのである。いささか悪趣味のそしりはまぬがれないが、当人はいたって気にしていない。ちなみに今年の一等賞は・・・いや、やめておこう。これは自分の気持ちのなかにある。そんな中で、今年とくに印象に残ったものについてつれづれと書きたくなった。
 
 その第一は遊女 桜木のもの。いままで短冊は公家のもの以外は全くといっても良いほど興味がなかったのだが、これは数少ない例外である。江戸時代の遊女といえば、大概は親の借金で苦界に身を落とし、ろくに字の読み書きもできないので代筆屋に恋文の代筆を頼み、郭の用心棒である忘八(ぼうはち)に読み聞かせてもらうイメージがあって、(あながちこれは間違っていないと思われるのだが、)敬遠しがちである。しかしなかには、伝説の名妓 吉野太夫や高尾太夫といった歴史に名を残す遊女もいる。彼女たちは当然、和歌もたしなみ、文芸に秀でていた。もちろん、そうでなければ時の関白 近衛信尋(このえ のぶひろ:後陽成天皇の皇子で寛永の三筆で名高い信尹(のぶただ)の養子。)と豪商 灰屋紹益(はいや しょうえき)が一妓女を巡って粋を争い、また仙台藩主が入れあげ、高野聖(ひじり)が一さし(百文)の銭を携えて一服の茶を所望するために下山するなどという珍事は起ころうはずもないであろうが、一流の遊女というのはまさに才色兼備を絵に描いたものといえる。ほかにも玄人の女性相手の悲喜交々は数えはじめればきりがないが、まさに傾世(けいせい)というにふさわしいとおもわれる反面、そこには銭を介在する虚実が見え隠れして決して綺麗事ではすまされない気がするのである。はたして一般、大多数の遊女と一般町人の間に、幕末の志士、桂小五郎と愛妾 幾松(のちの妻。)のような純粋な愛情がそうやすやすと生まれうるものだろうか、などと考えてしまう。それとも、この一時(いっとき)の感傷はドライな江戸時代の粋人たちに「野暮なこといいなさんな。」と一笑にふされてしまうだろうか。そんな中で出会った一枚がコレ。
 桜木(さくらぎ)も幕末を代表する名妓のひとりで、京都の花街、島原は輪違屋(わちがいや)—現在も営業している『お茶屋』の名店で、当然、「観覧謝絶」(いわゆる「一見さんおことわり」)、これまた当然のことながら一度も行ったことはないのだが、最近では浅田次郎の小説『輪違屋糸里』にも登場してさらに高名をはせたーの太夫(たゆう)であり、当初はそれこそ、桂小五郎の馴染みであったが、のちに伊藤博文の愛妾になった女性。大田垣蓮月の歌友であったともいうから和歌を詠むのはお手のもの。さぞや名歌も詠んだのだろうなどと思っていたのだが、そんな太夫が、「思ひをのぶ(述)る」という題で、「こよひ(今宵)またいかなる人の仮枕 浮き寝の床にわびつつやね(寝)ん」と詠んでいるのを読むと、太夫も人の子、本命の相手のことを想いながら、我が身のやるせなさを吐露していて、そこには伝説の名妓などではなく、私たちとなんの変わりもない、恋(いや愛か)する女性の一途な秘めた想いが等身大に感じられるのである。(よりセンチメンタルな気分になるのは夜だからなのだろう。かつて私の恩師であった故K教授は「夜にはラブレターを書かないほうがよい。なぜなら、朝起き読み返すととても恥ずかしいことが書かれていてとても人には見せられないから。」と仰ったが、これは今も昔もかわらないらしい。)しかしながら、恋愛小説を読むには夜、深更ほど適した時間はない。そのなかで一首の恋歌はもっとも短い恋愛小説のストーリーテラーといえるのではないだろうか。
 
 短冊、第二の珍品は柳原紀光(やなぎはら もとみつ)、滋野井公敬(しげのい きんはや)と松木宗章(まつのき むねあき)の短冊。どれも、よほどの歴史好き、いや公家マニアでなければ、「ああ、あのひとね。」とは思いあたらないだろう。ものすごい歴史好きを自認される方なら、柳原が『続史愚抄』という歴史書を編纂したことを御存知かもしれない。ただし、決して字が巧いわけでもなく、普通は、(ああ、紀光か。ちょっと珍しいな、お値打ちなら一枚買っとこ。)と思う程度で、滋野井、松木に至っては、(そんな公家もいたかな。)と思い出せれば、あなたはすごい。(私も実はその程度の認識でしかなかった。) ところがである。今年の春に偶然本屋でみつけた一冊の本を読んで以来、是非、彼らの短冊が欲しくなった。それは松田敬之という方が書いた『次男坊たちの江戸時代』という本である。正直、今年読んだ本のなかでこれほど面白いとおもった本はない。大体、江戸時代は長男(嫡男)ばかりが厚遇されて次男以下は養子にでもいかなければ下手すれば一生部屋住み。テレビで俳優の松平健(徳川吉宗)が扮するところの「貧乏旗本の三男坊」なんてまさにお先真っ暗であり、幕末の大老 井伊直弼(先代藩主の十四男)が兄の養子になる前は彦根の『埋もれ木の舎』で不遇を託っていたのも事実である。その本を手に取った時は(ああ、「拙者は貧乏旗本の云々」の類いの話かな。)となんの気もなかったのであるが、『公家社会の<厄介者>』という副題をみて大いに興味をそそられたのであった。また前置きが長くなったが、このなかに驚愕の事実が書かれていた。それは寛政4(1792)年にこの3人を含む9人の公家が処罰されたという話である。柳原紀光は四条河原町祇園のあたりで自ら柳屋大助(やなぎや だいすけ)という偽名を用いて質屋を営んでおり、また滋野井公敬は女郎屋の呼び込みを、さらに松木宗章は寺の本尊を盗んで売却したという罪である。明治維新の元勲 岩倉具視が幕末、「テラ銭」を稼ぐ為に自分の屋敷内に賭場を開いた話は有名ではあるが、質屋をいとなんだり、女郎屋の呼び込み(いわゆる忘八)をやったり、公家もなかなか逞しいなあ。と思う。そのなかで、寺の本尊を盗んだ松木については、いささか、ある種の同情を感じてしまうのは何故だろう。想像をたくましくするならば、彼はその仏像に魅入られたのではないだろうか。何故なら、いくら公家の身分であるとはいえ、お寺の本尊が突然なくなれば、自分が疑われることくらい、少し考えればわかるハズである。わかっていながら、その誘惑(?)に抗しきれなかったのは、その仏像を売って金銭を得ることよりも、それ自身に大いなる魅力を感じてしまったからではないだろうか。そして彼らは大きな代償を払わされる。公家としては致命的な解官(げかん)、落飾を命じられている。 
 
 いま、ここに3人の短冊がある。
 
『花は雪に似たり』「のどかなる春の日かげに消えもせぬ 梢の花の雪ぞまばゆき」「紀光」

『故郷の花』「さざ波や志賀の都のふるさとを 昔ながらの花にとはばや」「公敬」

『松の鴬』「鴬も子の日の松にひかれきて 春を千歳の聲や告ぐらん」「宗章」
 
 彼らの和歌(うた)に秘められた想いは若き日の前途揚々たる一日の一瞬か、もしくは昔の過日を偲ぶ感傷であろうか。そんなことを考えながらつれづれに短冊を眺めた。嗚呼、夜が明ける。そろそろ筆を置いて駄文を締めくくるとしよう。明日にはとても読めたものではないこの見ぬ世の友たちへのラブレターを封筒にいれ硬く封を閉じた。 
                    20081231
                       (医師)

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