老人の主張12
                 裁判官も涙した尊属殺人事

                            
        ななえせいじ
 
                                         
 17年ほど前に京都伏見区で起こった認知症母殺害心中事件のことは記憶に残る人もあろうかと思う。加害者の息子(当時54歳)は自分も死のうと首を吊ったが果たせなかった。執行猶予判決でその後も10年ほど生き延びたが境遇は少しも改善されないまま所持金はわずか数百円、記者が所在を突きとめた時はすでに死んでいたという。毎日新聞がまとめた介護殺人シリーズによると加害者の長男は琵琶湖大橋から身を投じて自殺したらしい。
 この事件は生活保護制度の在り方に問題提起をした。国民が健康で文化的な生活を営む上で社会環境は余りに冷たいと言わざるを得ない。こんなことが実際に起ったのです。政府は、同情する前にもう少しお金を出してやれる制度を考えてもいいのではないだろうか。
 厚労省によると要介護認定者は全国に600万人余もいるそうであります。平均寿命が延びれば要介護者を抱える家族も増えていく。介護殺人も増えていく。負のスパイラルは人間の生存権にまで及ぶ。
 現下の生活保護受給制度のハードルは高い。例えば介護休職。子が両親の介護のために仕事を休職した場合、「休職」がネックとなって生活保護は受けられない。退職で失業保険を受けていたとしたらこれもネックになる。おんぼろでも自家用車を持っていたらとかクーラーをつけていたらとかいうのもネックになるらしい。なんとも国民に冷たい制度なのであります。
 追い詰められた末に母を殺害した息子の供述が残っております。「もう一度母の子で生まれたい」。
 知人女性が亡くなってから5年ほどになります。最後は一人で生活してきた女(ひと)でありましたが常々口にしていたことが記憶にあります。「国は何とかしてくれるでしょう」と。
 村八分と俗に言います。江戸時代の集落の掟であります。つまり葬式と火事以外は仲間外れにする掟。現代に置き換えれば葬式と火事は国が面倒見てくれるということであります。本当は生活の足しになるものが欲しいですよね。

                 
 2022年11月25日
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