老人の主張7
              -マニュアル化社会の落とし穴
               チェックしたつもりがチェック完了で済ましていく
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                 ななえせいじ
 
                      
 通園バス内に園児を置き去りにし熱中症で死亡させた事件、日野自動車のエンジン性能試験の改ざん事件、いずれの事件もどこか共通している点があるように思えて気になります。つまり起こるべくして起こった事件だということ。
 日野事件の場合はすでに三菱自で同じような過ちがあったにも関わらずデータを改ざんし続けてきた。日野の場合、少なくとも2003年からやっていたというのだから呆れるばかりである。当然のことに会社の信用は著しく失墜し事業閉鎖の危機に陥っている。仕事をマニュアル化してチェックするやり方に以前から疑問視する見方があった。もっと現場と血の通った仕事の進め方を模索すべきであったと思うのである。管理が先行するとチェックという大切な部分が多忙を理由に仕事を流してしまう傾向が生じる。いわゆるやった感のサボタージュである。牧之原事件も遠因にそういう部分を予測してしまうのである。
 戦後を駆けあがってきた日本経済の限界が見えてきた。もはや業績至上主義の経営の在り方を方向転換する時である。不正は天に唾するようなもので必ず自分に降りかかってくる。仕事に慣らされてチェックそのものが一丁上がりのなおざりになり易い。現場の仕事は多忙である。この煩雑なチェックをなるべく少ない労働でさっと済ませてしまいたいというのが現場の本音である。
 これを指導する行政は二度と事故を起こさないように事細かにチェックポイントを設け、報告を義務付ける。業者は「お上の言うことだから」と書類を整えることに腐心する。この業者と行政のギャップこそが諸悪の根源である。(老人は勝手なことを言いますのでおゆるしを・・。)
 日本経済は大げさに言えば停滞に差し掛かっている。老人の勝手な思いでありますが、日本は世界に遅れていくのではないかという懸念が拭いきれない。円安しかり。コロナワクチンの開発遅れ。いつまでも自動車産業におんぶしていていいものだろうか。規模のメリットを追求するのではなく正味のメリットで勝負する時ではなかろうか。(偉そうなこと言いました、おゆるしを)
 牧之原事故の場合、伝えられる仕事ぶりから見ると、大切な園児を預かっているという視点が欠けているように思う。園児は荷物ではない。その日の仕事の手配上の都合からピンチヒッターが代行したとしたなら臨時のその人はより慎重により丁寧に仕事に向かうはずである。それがなかったということはこうした仕事の手配が日常茶飯事あったということではないか。安全管理に対する視点がもう一つ希薄であったとしか見えません。(老人のたわごとです。真実は分かりません)
 いま日本の労働環境は非正規、臨時傭員が主体になっておりいつでも雇止めが出来る環境とあって不安定な雇用契約の中で仕事についている人が非常に多い。まず仕事に責任が持てる雇用環境を整えることが先決ではなかろうか。

                    
         2022年9月15日  
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