老人の主張 3
                 
                 ななえせいじ

凶弾に斃れた安倍さん事件について
 あの事件は衝撃でありました。決して許されるものではありません。これは日本国民共通の認識でありましょう。しかし世代間で事件の経緯をどう受け取ったか、多少のニュアンスの違いを感じます。少なくとも私の周りの人たちはさまざまなことが想起されるからでありましょう。けっこう厳しい見方をする人は気の毒な事件ぐらいにしか思っていないのに驚きました。
 確かに安倍さんは日本の政治史上最長の宰相でありました。それは認めますがその分老人の主張の中には長かったが故に真の民主主義に則った為政者であったかどうか疑問だ、という人もいました。
 事件から数日後、大きな茶会があったので出かけて行きました。その折、仲間の後期高齢者の半数以上が安倍さんを否定的に観ていたのに驚きました。現職国会議員でしかも総理経験者が無謀なテロで生命を落としたのだから国民の心情は無条件に賛美に傾くであろうと思っておりました。この人に苦しめられたという感情むき出しの人も確かにおられます。その功罪の真価は後に歴史が明らかにするでありましょう。
 私は老人です。人生の大部分は自民党政権の国家体制の下に生きてきました。しかしこれまでにも腹ただしかった時代がありました。人生トータルで量れば総じて幸せでありました。今ここに至って不満を一つ挙げるとすれば「格差を是認した政治運営にあったことであります。人によって異論はありましょうが、現実は多くの困窮国民を作り出しております。


安倍さん「国葬」の行く末はいかに
 
岸田政権は安倍さんの葬儀を国葬で行うと閣議で決めたようであります。しかし多くの反対意見も出ているようであります。反対とか賛成とかの持論は差し控えますが日増しに政府の思惑を離れていく意見が増幅してきますと、これが日本の国政の分岐点になりはしないか体制変革になりはしないかあれこれ思いが錯綜いたします。令和の「大政奉還」なんてことになったらせっかくの「国葬」が「酷葬」になってしまう。真夏の夜の悪夢でありました。(お気になさらないでください。)
 この事件の直後、檀家寺からお盆のお参りをどうするか電話がありました。コロナの関係で昨年は休みましたが檀家総代との相談で今年は檀家の皆さんにご足労願ってまとめて盆参りをすることにしたというのです。コロナ禍の時だけにお墓掃除に行った時に本殿に参ればいいやと思い「わかりました」と承諾しました。ところが後で思いました。お盆に里帰りする仏さんは檀家の大勢さんと一緒では気まずいのでは?と。
 安倍さんの場合は一党独裁時代の権力者でありましたから野党の人たちやらと一緒では気がやすまりますまい。身内だけでやった方が税金云々などと蔭口をたたかれることもない。その方が会計は明朗だし、今後の政権の行方も葬儀場での駆け引きにより政権の担い手が誰になるのかも憶測がつくというものじゃないだろうか。そもそも、茂木幹事長の失言?でブログが炎上したという話、最大所帯の政権与党が陥りがちな方向音痴が露呈してしまった。政党分裂、派閥再編が起こるとしたら「今でしょう」。これが門外漢の老人の主張であります
                                            2022年7月25日
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