ニューノーマルの時代   
                   渋沢栄一的こころに学ぶ
                                                   ななえせいじ
 
 日本の近代国家の基礎を築き上げた渋沢栄一のことは大河ドラマ「青天を衝く」から学びます。多少の脚色はやむを得ないと思ってものめり込んでいけるところが大河ドラマの醍醐味であります。
 渋沢栄一は間もなく紙幣の顔として登場します。日本商工会議所の発足始め第一国立銀行や手形交換所の設立など渋沢栄一が関わった事業は500社にも及ぶとされます。そのすごさは言うまでもありませんが名もない中小企業にも渋沢栄一の影響力は多大であります。
 信用調査会社TDB(帝国データバンク)もまた渋沢栄一と関りがありました。
 今週は欧州視察の場面が放映されましたが、このパリ万博は単なる物見遊山ではなかったようです。目をみはるばかりの欧州文化を日本に持ち込もうと熱心にメモっている場面は印象的でした。機能性高い洋服への切り替えは即断実行したようです。
 渋沢栄一は事業の近代化に心を尽くします。まず事業を拡大するためには企業間信用の確立が必要と考えます。手形・小切手による信用取引の必要性に思い至り、そのためには客観的に測定明示する調査機関の立ち上げが不可欠と考えます。しかし経済活動が活発になるにつれ他人の身代を調査するなどは不都合であるとの認識も広がります。これにより調査会社は世間に敬遠されるのです。
 しかし文明開化から百年、明治も大正も遠くなりコロナ禍がまん延する令和の時代、経済活動が自粛される不自由さの中、倒産危機に苦しむ企業も少なくありません。確かにコロナ資金による金融支援の道筋はつけられておりますが、金利は安くてもただではありません。この異常事態下にどの事業主も危機を乗り越えようと必死であります。何とか倒産は少なめに推移しておりまが大変は変わりありません。若者の人口減少が著しいとあってポストコロナは決して楽観的ではないということであります。あなたならどうする?経営センスの腕の見せどころと思うのですが・・。

 東京四谷本塩町にあTDB史料館があります。創業から18年後の1918年、本社社屋新築記念に招かれた渋沢栄一はその時祝辞を述べておられます(同館の機関誌「MUSE」VOL38)。渋沢はどういうわけか「顧みて汗顔の至りです」と痛く恐縮しておられます。TDBは震災(1923年)で休刊していた雑誌「大和魂」を1927年復刊させました。その記念号にも渋沢の揮ごうが登場します。青淵老人が渋沢の号である。
 水戸藩の儒学者藤田東湖の一節から引用し「開いては満朶の桜となり、凝りて百錬の鉄となす」とあります。 震災を乗り越えた人々の力を称えたものらしい。

 渋沢栄一百年後の今、世の中の変化はまさしく百に象徴されるように思います。満朶(まんだ)の桜といい、百錬の鉄といい、百という大括りをもってコロナで揺れるこれからを生き抜いていきたいものですね。
 人生は百年時代といわれます。百年は人生の節目であります。同時に新世紀の節目でもあります。関東大震災から百年。戦後ももうすぐ百年。スペイン風邪から百年(1918年から1920年)。長持するお家は百年名家。企業も百年続けば老舗といわれる。売り家と張りだすのは百年目の三代目。百三首あっても百人一首。彼を知り己を知らば百戦殆うからず(孫子の兵法)。百年河清を俟つ。百人乗っても大丈夫。
 さて今より百年後はいかなる世の中になっているのでしょうね。
                         
               2021年7月13日
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