年寄りのたわごと
                 あんたにいわれたくない―(16)
                         コロナか オリンピックか
                                                    ななえせいじ
 
 梅雨空のこの頃、世の中全体が湿っぽくて国民生活はよどんでおります。その原因は何でしょう。それは方丈記の書き出しのごとくよどみに浮かぶ泡沫そのものであります。コロナにも政治不信にも慣れっこになってしまった国民。オリンピックのようなお祭り騒ぎに飢えているのかもしれない。コロナと共生しても良いような安易な気持が若者にまん延している。まん延防止の真の狙いはコロナに無防備な若者の抑制が目的だったはずなのに現実は逆に動いております。繁華街を群れ彷徨する人流は抑えられておりません。都心の繁華街は半ば無政府状態の感を受けます。
 高をくくっている若者に対し年寄りにだって言い分はありますよ。まずオリンピック開催は無観客ですることに賛成します。アスリートの若さに対し老い先短い年寄りだって希望に胸膨らむ世の中になってほしいと願っております。
 そして年寄りは総選挙についても主張します。決して他人事では済まされないことだけに意見だけは言っておきたいです。
 まず、オリンピックはどうなるの? それはわかりませんが、ただ先の戦争になぞらえて様々なことが想起されます。あの戦争で父を失っている私にも言い分があります。もちろん平和の祭典オリンピックと次元が違いますがあの時代のように進軍ラッパで突き進んでいいものだろうか。オリンピック推進者の心理状態は面子に拘っただけの意地のツッパリじゃなかろうか。同じ突き進むにもリーダーらしく国民を引き付けるだけの言葉の魅力が欲しい。ヒットラーを引き合いに出すわけじゃありませんがせめて国民を納得させるだけのリテラシイが欲しい。今必要なのは言葉の力だと思いますけどね。石橋を叩いても渡らない用心深さが必要だと思いますけどね。世界中から人が集まります。呉越同舟という場面だってありうる。言葉の上だけで呪文を唱えても安心安全は担保出来ませんよね。安心安全にやりすぎはありませんよ。昨今の国際情勢を鑑みるとコロナが予期せぬ事態を演出するかもしれない。ともかく結果がどうなろうと国民を危険にさらしてまでやることじゃありませんよね。新聞論調に国家的暴挙とありました。どこまでも平和を貫く祭典であってほしい。
 次に選挙についても思いを述べます。どれほど与党が汚点をつくろうと世間の下馬評はさほど与党のダメージになっていない、というのが政治好きな年寄りの選挙の分析なのです。何はともあれ野党に人的魅力がないというのが野党伸び悩みの原因と分析しているようです。政党立ち上げの経緯が仲間内で党首選びのウエイトを占めている。この時世そんな忖度は無用に願いたい。プロ野球のフアン投票のように誰でも自由に投票できるシステムを構築して幅広く人材を登用すべき時ではなかろうか。女性党首も悪くないと思いますよ。何回も投票を繰り返すうちにしかるべき人材が必ず登場します。仮に党員以外の人が多数票を得たとしてもそれは党の自虐であって反省こそすれ嘆くことではないでしょう。そこで大いに話し合って方向性を決めたらいい。席を蹴る人が出たとしても去る人は追わない泰然さが必要です。政治慣れした党員とは一味違った魅力で政治と無縁の人が登場したとしたら令和の夜明けが間違いなく訪れるでしょう。魅力に欠ける野党、頼りない野党、だとしたら今は与党を追い詰めるのは得策ではない。鳴くまで待とうの心境こそが野党に求めてやまないものであろうと思います。今は充電する時でしょう。あんたに言われたくないでしたね?
                         
                2021年7月1日
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