ニューノーマルの時代
                 ぼやき社会のはじまり
                                                    ななえせいじ

 私は後期高齢者であります。この年になって「老人」なんだと意識いたしました。老人は基本傲慢であります。勝手な理屈で社会ルールを逸脱いたします。頻繁にトラブルも起こしております。私も含めこの人たちはコロナ騒動が終息して後どう生きるつもりなのでしょうか。国民生活の在り方が問われています。
 人生百年時代を全うするには否が応でも社会に順応しなければなりません。コロナがもたらしたニューノーマルの生活様式は、厄介で我儘な老人たちをどう調教したらいいのかという社会問題でもあります。特に若い人たちはこの厄介な老人がわが身にも及んでいる実態を肌で感じ、自分のことは自分でとばかり「自助」努力を声高にぼやきつつあります。これ正論のように見えますが、時の政府が政策として執りいれたとしたら、生活基盤の弱い家庭や老人は見放されたようで少し怖い気も致します。老人たちもぼやきます。
 格差社会に出現した5G時代。これに加えコロナの出現によりいろいろな境遇の人が生まれました。これまで公助を頼みに生きてきましたが、ここに至って国家財政の疲弊により自助の大切を思い知らされました。童話のキリギリス的心では生きていけないのだと。
 コロナは生活の軌道修正を促しました。ニューノーマルがそれ。
 まず人間生活の営みを大きく変えようとしております。それは衣食住全般に及びます。まず目につくのがテレワークの普及であります。働き方改革も公助、自助、共助を織り交ぜて変化しております。これにより働く人たちは企業帰属意識から自己実現、完結意識へと進化してきました。ために新天地を求めて都会を脱出する人が増加しているのだそうです。つまり時間から時間の勤務体系が仕事から仕事へと効率主義に変化したのも一因でしょう。そして物に対する価値観がより付加価値の高い手造り製品に価値を見出すようになりました。人件費の意味が分かってきました。

 ポストコロナはどんな社会がやって来るのでしょうか。考えるだけでも楽しくもあるが実は怖い部分もあります。予測が付きません。例えば起業のハードルが低くなっておりますから中小企業全盛時代が来るでしょう。技術があり社長の人柄が良ければ起業は易く持続可能であります。皆事業主になれます。石を投げれば社長に当たるというものです。全員正社員ですから非正規とか派遣といった雇用差別もなくなります。
 間違いなくロボット社会が来ます。これは人間を仕訳ける前兆なのです。
ロボットの出現で雇用の格差はちぢまりますが、その前に人間の働き場所がなくなってしまいます。必要な人間はロボットが選択しますから人間がロボットに支配される怖い社会になります。先日テレビを見ました。クローン人間が社長に成り代わり事業に関わる会議を仕切るというものです。社長は休暇をとって釣りに行っている。スーパーコンピューターが開発されたことで企業方針やらを記憶させておけば高度にパターン化されたロボットが人と同じレベルで会話が出来るというものです。こんなロボットが普及したらコロナ後のニューノーマルは怖いことだらけです。あらゆる分野で省人化が急速に進むでしょう。受付業務など事務的な接客業はまず人がいらなくなるでしょう。例えばオンライン授業もその事例です。ロボットの活用で仕事が回っていき人間を不要とする社会が目の前にきているのです。
 後期高齢者は気楽なものです、言うのは自由。可愛げのない年寄りばかり
です。コロナで重症化しても知りませんからね。ニューノーマルの本髄は自助ってことだから自助の自信ある?ないよね、ぼやくよりほかないか。
                         
               2021年2月10日
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