「或る日の夕餉(ゆうげ)に」

                                  鈴木崇浩


 
 月日の経つのは早いもので私が初めてこの店を訪れてからはや十数年がたつ。私が骨董と名のつくモノを初めて買ったのは中学生の頃であるからあくまで私側の感想ではあるが、わが『骨董遍歴』のほとんどをこの店とともに歩んだと考えて差し支えない。では、何を買ったかと振り返ってみれば、書あり、茶碗あり、酒器ありと何でも好きな物を買ってきたし、今もなお、そうした具合である。
 今日もまた、そうしたモノのひとつ、ふたつ、さほど懐の痛まない程度の小遣いをはたいて買ってみる。まずは、現代作家の白磁の湯呑み。なんのことはない、炎天下ふらりと現れた物好きな客(私)に饗された麦茶がつい先ほどまで入っていた代物である。ところが、その手取りはまるで柔らかな豆腐を筒状にくりぬいたかのごとく、それでいてほんの少しの間、使っているうちに生じたという貫入は、まるで宋磁のごとくそこはかとない気品を感じさせて、思わず。「これください。」と宣う珍客のいつもの(?)突拍子もない言動に、おだやかな主人は動じることなく、「それでは。」と値段を口にする。その様(さま)は、実にスマートで、買った当人が、(もしかしたら私が気に入るとわかっていたのかしらん。)と内心、首をかしげたくなる。これもまた、行き届いた「気遣い」の表れなのであろう。
それなら。と思わず財布の紐が緩くなるのは世の常で、気がつくとなにか買っている私。こうしたとき、一方で恐れるのは、モノの魔法が解けることで、魅力的に見えたモノが店を出た途端にその輝きを失った経験は諸兄にも少なからずおありになるにちがいない。ところが、この店のモノに限ってはよほど強力な魔法がかけてあるのか、ちっともモノが色褪せることがない。買っては手放しをくり返してきた「歴史」のなかで恐らくわが貧庫(本人は中国皇帝の蔵にも匹敵する『多宝楼』(トーパーコー)と思っている。)の最古参はこの店の「出身」である。
また、この店の主人は「聞き上手」でもある。誰も彼もがふらりと表れて思い思いに展開する『清談』に、それでも一家言を以て加わってくれるので、『客』は各々が心地よく、思わず長居をすることとなる。 」
 家に帰って、それでは今日の釣果で一杯、となるのは致し方ない。
さっそく荷をほどいて、まず、白磁の湯呑をみる。やはり、感想は変わらない。ふと、陳舜臣の『景徳鎮からの贈り物』や芝木好子の『青磁 砧』など自分のすきな短編小説の一節が頭をよぎる。
これに最近、とみにお気に入りの山茶碗を配して「蕎麦をいっぺえ。」と洒落こめば、コンビニのざるそばも一流店のそれとなんら遜色なく思われて思わず食がすすむ次第と相成る。さらに行儀悪く、食べ終わった器に麦茶などなみなみと注いで碗の縁に口をつければ、800年の歴史が脳裏を駆け巡り、有間皇子(みこ)の悲劇の歌や、『鉢の木』の佐野 某の物語を思い起こさずにはいられない。
ようやく腹具合も一息つけば、「まあ、一杯。」と取り入出したるはまるでそばつゆのそれを思い起こさせるような高麗青磁の小徳利。下戸にふさわしく一合二勺程度の代物だが、「酒に酔わずに酒器を長く楽しもう。」などと考えると、家人の「あまり呑めないならお酒の器なんて買わなきゃいいのに。」という愚痴を尻目に(少し、季節外れかな。)と赤楽の片口猪口で舐めるように口を尖らせて何杯かの独酌を楽しむこととなる。これらの器が侍るのはなんの飾り気もない古い板の上。古材というほど古くはないが心なしか黒光りするそれは、豊田の山奥に棲む陶芸家、角岡秀行氏の旧蔵品で、無理をいって奪ってきた(?)。私は明治か大正頃の俎板かな。と想像するが真偽のほどは明らかでない。こうして狭い空間に繰り広げられたのは私の想像の『宇宙』。幾百年もの時間を一瞬で飛び越して『見ぬ世のどち(友)』たちと一炊の夕餉を共にしながら今日も夜は更けていく。
                      201087
                       (医師)

生々文庫目次に戻る
トップページに戻る