『目利き今昔』

鈴 木 崇 浩  



「手造赤楽茶碗」

 「今日、京都おいでよ。一緒に飯でも食べよう。」という友人の突然の誘いに「ああ、いいね。」と、一も二もなく賛同した当直あけの私。
 今日の夕食は(おばんざい)だな。とひとり合点して、鞄に自慢の酒器をつめこみ家をとびだした。(そうそう、新幹線のなかでお茶でも飲もう。)と新渡の煎茶碗をポケットにしのばせた。

 京都駅に着いて早速なじみの店にむかう。品薄の昨今、どこから探してくるのか、時折びっくりするような鎌倉時代の古筆切や室町時代の公家懐紙、短冊を無造作においている「A」。クリストファー=リーのようなダンディな風貌の主人に、「何かありますか?」と尋ねるが色よい返事はない。さんざんねばったが(ねばっても無いものはないに決まっているが、)釣果なくすごすごと店をでる。(まあ、高くても仕方ないか、あそこなら何かあるだろう。)と近所の「B」へ。室町や江戸時代の短冊もあるにはあるがやはり高い。「うーん。」とうなっていると「こんなんもありますけど。」と見せられた短冊の束のなかにあきらかに室町、いや鎌倉末期頃の「為親」(ためちか)の署名のある短冊が。そっと値段を確かめる。「うん?」(この店にしては案外安いな。)と、ついている説明をみれば「中山為親」の説明が。(中山為親 なかやま ためちか −桃山から江戸時代初期の公家で冷泉為満 れいぜい ためみつ の養子となったが、のちに為満に子ができたため、別家して「中山冷泉」を称した歌人である。子孫はのちに「今城家」 いまぎけ と改称した。)
 (ああ、なるほど。店主は中山為親のものだとおもっているのか。)しかし、短冊の字は中山為親のそれではない。短冊を袋からとりだしてしげしげと眺める。
 すると、袋に残った「二条家」という古筆家の極札が目にとまった。(ああ、○○家の伝来だな、この短冊。)と三度、短冊に眼をやれば二条為親自筆の古筆名物切「島田切」に似ているような気もする。(そうだとしたら掘り出し物じゃん。)と何くわぬ顔をしてさっそく入手。いそいそと店をでた。

 早春の夕べはとっぷりと暮れて辺りは真っ暗になっていた。唐突だが、私は京都の夜が好きだ。路地裏にひろがる漆黒の闇のなかに古ぼけた店先のガラス戸からこぼれる明かりが、あたたかく、言葉にならないノスタルジーを感じるのである。その夜、古信楽の山盃を片手に友人と呑む酒は久々にうまかった。

 さて、翌日は新門前通の「C」へ。  「何かないですか?」と尋ねれば、「最近は会にも出てこんのですわ、書いたモンが、、、。」とつれない返事。意気消沈してそっと席を立たんとするに、「そこの箱はなんですか?」と目ざとく見つけた紙の山。「ああ、これは古筆の極札と添状ですわ。みますか?」と店主。色々なものがあった。極札が数十枚、なかには「藤原佐理卿 消息」なんてものまであり、古筆家の川勝宗久が「右 無疑紛明也 誠希極珍宝」などと書かれていて(これって『離洛帖』の添状だったりしてね。)などと心の中で苦笑い。ふと、先日知遇を得たN氏の顔を思いうかべ、「買います。」と宣う私。
 さらに何かないかと見渡せば、なにやら古そうな赤楽の筒茶碗が眼にとまった。銘『松風』 遠州流の歌銘と遠州箱。箱裏にはこれまた遠州流の筆跡で『山ふかみ世に棲みわびしあとならむ 老木に残る庭の松かぜ』とある。「初めは、先代の(家元)宗明さんの箱書かと思ったんですけどね、箱や茶碗が古いんですわ。もしかしたら宗中さんやろか?ということになりまして、手びねりでんな、この茶碗。」という商売上手な店主の口調に、(面白いなあ。)と食指が動き、「水ぬるむ都の春を松風の 音にきけとか数(かぞ)ふ今日かな」などと心のなかでひとり詠じてお買い上げとなった次第。

  おもえば今も昔も皆、目利きに踊るといったところか。嗚呼。

2007年4月7日
(医師)




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