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 『おかけになった電話番号は・・・』
                                     
服部清人

 1973年。ジャイアンツがセリーグ最終戦でタイガースを下し、V9を達成した年だ。名古屋の下町、というよりは工場地帯の一角、そこにできた労働者の街で、その年哲郎は中学三年生、十五歳を迎えた。巨人、大鵬、卵焼きと言われた時代、哲郎もご他聞にもれずジャイアンツが贔屓で、とりわけ王選手のファンだった。物心ついたころからずっとプロ野球というのは王選手がホームランを打ち、ジャイアンツが優勝するような筋書きになっているものだと思っていたので、その年も最後までもつれたもののほとんどのジャイアンツファンは勝利をまったく疑わなかった。そうなる結末しか見たことがなかったのだから仕方がない。名古屋という土地柄もあって周りの少年たちは熱心にドラゴンズを応援していたりしていたが、優勝できそうもないチームを応援し続けるその健気さに世の中にはこういう連中もいるんだなあと哲郎は人間社会の多様性を初めて学んだ。
「俺はカープがエエな」もっとひねくれたことを言い出したのは友人の孝作だ。
「カープなんて、縁もゆかりもないじゃんか」仲のいい三人組のもう一人、登志彦が聞き返す。
「安仁屋とか外木場とか珍しい名前のピッチャーがエエ玉投げてさ、山本とか衣笠が元気一杯でいいがね」孝作は小学生の頃から他人とは違うことをして、自分をアピールする癖があった。
「あのね、その言い方ってファンとしての熱意が感じられへん。ほんとにカープのファンなの?まあいずれにしてもカープはこの調子だと今年も最下位決定だな」哲郎がいつものように孝作をやり込める。
「今年は無理でも来年があるさ。それがだめなら再来年があるってさ。植木等も言っとるよ」
 確かにこの年、カープは最下位に甘んじるが、翌年、ジャイアンツのX10はドラゴンズによって阻止され、さらにその翌年は孝作の言うとおり、カープが優勝することになるのであった。高度経済成長期に翳りが見え始め、オイルショックによる不況が始まろうとしている時で、時代が大きく変化していく不安を哲郎たちも少なからず感じ取ることになるのだが、十五歳の少年にとってはそれよりもっと大事なことが眼の前に迫っていた。

 高校受験という初めての試練。十月になると三年生は部活動も引退し、受験のための準備にかかり始める。哲郎や登志彦も志望校を決め、あまり熱心とはいかないが少しずつ勉強を始めていた。しかし孝作だけは早い段階から父親の経営する建築業を継ぐことにしており、中学を卒業するとすぐに働くことを決めていたので、一人だけのんびりとしているように見え、クラスのみんなからも羨ましがられていた。
「お前はいいよなあ、気楽でさ」
「哲ちゃんだって働けばいいじゃん。雇ったろか?」
自分の意思で自分の進路を決める初めての経験に実感が伴わないまま、哲郎はなかなか本気になれないもどかしさを感じていた。部活動の県予選でこの試合に勝てば全国大会に出場できるという場面に、どうしても勝ちたい、勝てたら死んでもいいと全身で強く感じた充実感。その痺れるような感覚を受験勉強に求めるのはお門違いかもしれないが、哲郎は部活動に注いでいた情熱をどうしても勉強に注げないでいた。
 そんなある日、孝作が通学の際、立て続けに小銭を拾ってこう言った。
「俺、お金の落ちてる場所がわかるんだ」
「またこうちゃんがトロイことを言い出したぞ」
「ほんとうだって。見えないけどお金って結構落ちてるもんだ」
実はちょっと前にテレビでユリ・ゲラーがスプーンを曲げたりする番組が評判となり、超能力ブームが起きていたのだ。孝作はそれを観て、インスピレーションを受けたのだと言う。確かに孝作には驚かされることが度々あった。ビックリ人間大集合なんてこれもテレビ番組の登場人物を真似て、牛乳はやのみに挑戦し、ごくごくと喉を動かすことなく流し込むように飲み干す方法を体得していたことは事実だし、十円玉を飲み込んで、たらふく水を飲んだあと、また胃の中から吐き出すということもやって見せたりした。その時はクラスの者だけでなく学校中の話題となり、毎日見物人がやってくるので、放課の時間は大道芸人さながらであった。
「金とって見せたるか」哲郎が冗談で提案すると、簡単に
「いいよ」と言って、「俺、大工より芸人のほうが向いてるかもしれない」などと満更でもなさそうだった。
 しかし、結局そんな一発屋芸人の人気は長くは続かず、それどころかその後孝作は盲腸になって入院してしまった。
「無理が祟ったんちゃうか」とクラスの者は案じたが、ほどなく何事もなかったように退院して、「看護婦さんが綺麗だった。ちんちんの毛剃ってもらった。・・・グフフ」などと思わせ振りに言ってみたり、「盲腸もらってきたけど、てっちゃん見る?」と気味悪いことを言ったりした。「お前の盲腸なんか見たくないわ」「遠慮するなよ、見てるとなんか不思議な気分になれるで」孝作がホルマリン漬の自分の盲腸をじっと眺めている様子を思い浮かべて、哲郎は思わず首を振ってその妄想を打ち消した。
 そんな前振りがあった後の小銭拾い宣言だったので、哲郎も登志彦もまったく否定はできなかった。
「明日の通学の時にちょっと早めに出発して、いつもよりゆっくり歩きながら付き合ってくれたら、やったるわ」小銭拾いを実演してくれると言う。
「よし、明日はいつもより一時間早く集合だ」
 翌朝。集まったのは哲郎と登志彦だけでなく、他にも噂を聞きつけた五人の少年が加わった。
「俺より前にいかないでくれる」孝作が御触れを出す。
「どうしてだよ」不満そうに登志彦が言う。
「気が乱れるからだよ」
「気ってなんだ」
「よくわかんないけど、ユリ・ゲラーが言ってたんだ」孝作がユリ・ゲラーを持ち出したので、哲郎たちはなんだか納得させられた。当時、ユリ・ゲラーの名はまだ旬の旬で、それぐらいの神通力があったのだ。
 その日、孝作は確かにすごかった。一円玉を五枚、十円玉を七枚。中には道端の側溝の澱んだ排水に手を突っ込んだり、果ては草むらから千円札まで見つけ出したりした。最初は半信半疑だった哲郎たちも学校に到着する頃にはすっかり舞い上がってしまい、各自がその朝の出来事を友人に触れ回ったので、あっという間に学校中の話題となって、昼の放課には今度は違う学年の者も孝作を人目見ようと教室までやってきたりした。孝作は再び脚光を浴びたのである。
 
 そんな他愛ない毎日がするすると流れるように過ぎ、秋も暮れかかった頃、いつものように学校からの帰り道で、登志彦がこういった。
「十一月二十五日に『ノストラダムスの大予言』って本が発売されて、それがすごいんだってテレビでやってた」
「これだろ」孝作が鞄から一冊の本を取り出して見せた。
「こうちゃんが本を買うなんて、おどろきィ」哲郎がふざけると、
「おもしろいよ、もう読んだから貸したるわ」
滅多に本なんて読まない孝作がどうしたわけかもう読んでいて内容を把握しているらしい。
「1999年に人類は滅亡するの?」登志彦が聞く。
「それはね・・・」
「ちょっと待った!それを言っちゃあおしまいだ。必ず勝って悪人を退治することがわかってる水戸黄門よりおもしろくないじゃんか」哲郎が言葉を挟んで、
「じゃあ、どちらが先に借りるかじゃんけんで順番を決めよう」
結局、登志彦が勝って、その晩からまわし読みした結果、三人とも完全にノストラダムスの掘った落とし穴に見事にはまってしまった。受験勉強なんてそっちのけでお互い情報を交換し合い、いっぱしの評論家はだしとなっていた。
「結局さあ、ノストラダムスは肝心なところはどうとでもとれるように誤魔化してんだよ」孝作がこの手のこととしては珍しく否定派の立場で糾弾する。
「でもさヒトラーの登場だって、ケネディの暗殺だって確かにそうとしか理解できないような記述なんだぞ」登志彦がつっ込む。
「それらしく当たったものだけを後世の者がとりたててあげつらっているのかもしれんし・・・」孝作は主張を曲げない。
「どこかあやしい超能力少年のこうちゃんでさえ、ノストラダムスを否定するということはだな、同類だけが感じ取ることのできる胡散臭さをさては察知したんだな」哲郎が追い討ちをかける。小銭拾いで学校中の注目を集めた孝作だったが、その後その噂が先生の耳にまで入り、孝作は事情聴取を受けていた。「しかられたわけじゃない」と孝作は言うが、「以後言動を慎むように」といったようなことを言われ、お灸をすえられたらしい。その噂は次第に広まり、孝作は“なんだか胡散臭い男”とされていたのである。
「そうじゃないけど、この手のことには大抵裏があるってもんだ」孝作はこう言った途端にちょっとマズイという顔つきとなった。そこをつかさず哲郎が、
「おいおい、それを言っちゃあ身も蓋もないだろう、自分のことをインチキだと白状しているようなもんだぜ」
「俺のはインチキなんかじゃないぞ」珍しくムキになる。
「まあ、いいさそれなら賭けをしよう」哲郎はちょっとした思い付きを口にした。
「ノストラダムスの予言が当たるかどうかの賭けだ」
「よし、乗った。俺はハズレるほうに100万円だ」
「じゃあ、僕は当たるほうに100万円だ」つい応えてしまった。
「男に二言はないな」孝作が畳み掛ける。
「ああ、もちろんだ」哲郎も弾みで返した。
「としくんが立会い人だ。今のセリフしっかりと覚えておいてくれ」
「ああ、いいけど、でもさ、何かこの賭け不公平だよ」登志彦が腕を組みながら言う。
「だって考えてみろよ、ハズレた場合はいいよ。人類はその後も存在し、僕たちも多分生き延びているからてっちゃんはこうちゃんに100万円払わなければならないけど、予言が当たったら人類は滅亡しちまうんだよ。つまり僕達も存在してないってことになる。100万円払うも貰うもない」
「アレ!確かにそうだ」哲郎も気がついて「こんなの不成立だ」と言い張ったが、
「男に二言はないんだろ」と上目遣いに睨まれ、どうせ26年も先の話だし、その頃はもうお互い交流もなくなっているかもしれないし、多分お金の価値もまったく違って、100万円なんて大金ではなくなっているだろうという考えが瞬時に駆け巡り、
「ええい、受けてやる、この賭け乗ってやる!」と宣言してしまった。

 その後、あっという間に26年の歳月が流れ、中学三年生の哲郎達にとっては遠い未来としか感じられなかった1999年が現実となってしまったものの、ノストラダムスは相変わらず世間を賑わしていたし、100万円というお金はしがないサラリーマンの哲郎にとって大金であることに変わりはなかった。この間孝作とは中学を卒業してもずっと交流が続き、折々に「忘れてないだろね」などと例の上目遣いで脅されていたが、バブル崩壊の煽りを受けて孝作の父親が経営する建築会社が倒産する破目となってしまった。挙句、不幸なことに負債を抱えたまま孝作も行方がわからなくなってしまったのである。
結局、1999年の7月になっても恐怖の大王は降ってこず、無事人類は生き延びて哲郎は孝作との賭けに負けることになったのだが、100万円を払おうにも相手がいないことで、約束は執行されないまま持越しとなってしまった。その年の暮れに一度電話を入れてみたが「おかけになった電話番語は現在使われておりません・・・」と、よそごとのような愛想のない返答が返ってくるばかりで、現在に至るまで孝作からの連絡は途絶えたままだった。
 あの賭けをした学校からの帰り道、暮れていく夕陽を眺めながら孝作が言った
「でもさぁ、26年後の俺達って一体どうなっとるんだろうね」と言うつぶやきに、
「多分、社会の役に立つような人間にはなってへんな」と答えた哲郎の予想通り、孝作も哲郎もさえない中年男となってしまった訳だ。こんなはずじゃなかったと後悔の念をつい抱いたりする哲郎だったが、どこかで孝作も同じ思いでいるのだろうかと時折感傷的になったりもした。どこへ行ってもきっとまたうまく立ち回って調子よくやっているだろうと哲郎がそんなふうに思えるのは、それまでの長い付き合いの中で孝作がどんな男かすっかりわかったつもりでいたからだ。
「実は今だから言うけど・・・」と、かなり後になってから中学時代の小銭拾いのパフォーマンスは仕組んだものだったことを白状したことがあった。早起きして一人で学校まで行き、その道すがら自分の小遣いを隠しておいたと言うのである。ネタの仕込みをした上で、何食わぬ顔をして我々との集合場所に現れ、順番に記憶してあるポイントから小銭を拾っていったという訳である。
「そういうエネルギーをもっと違う方へ回したらどうだい」今更咎めたってすっかり時効になっていることで、ひょいと何かの拍子にいいタイミングでそんなことを言い出すから怒る気にもなれず、やれやれといった感じでそう言うしかなかった。つまりどこか憎めないけど妙な才覚をもった男である。お調子者で、お人好し、ある種のことには大変マメであり、頼まれたことを安請け合いするのだが、なかなか約束が守れない。友達に対してだけじゃなく仕事上でもそんな様子だったらしい。
「まあ、心配することはないさ、きっとどこかで上手くやっとるよ」哲郎と登志彦は楽観的に考えようと言い合ってきた。

 1999年から8年が経過した2007年の秋。哲郎は朝のワイドショーを何気なく見ていて、思わず声を上げた。そして真っ先に登志彦の携帯電話に連絡をとった。
「今すぐテレビをつけてみて、こうちゃんが出てる!」
画面には随分と人相は変わっていたが、間違いなくあの八の字眉の孝作がなんだかくたびれた顔で映っていた。8年以上もまったく音沙汰がなかったわけだが、彼は北陸の町を転々としていたらしい。事件レポーターが冗談めかした口調なのは、事件の内容が悲惨なものでなくどこか滑稽なせいだからだろう。画面に食い入るようにそのレポーターの報告に耳を傾けたところ、孝作はいくつかの町で結婚詐欺を働いて指名手配を受けていたらしい。何人もの女性が騙されてきたのだが、これまでは誰からも被害届が出ていなかったこと。今回一人の女性がやっと説得されて訴え出たことで、過去の行状が次々とあばかれたこと。その中には何人かの人妻もいたこと。しかも別れた女性達の中にはいまだに詐欺にあったとは思っていない者もいるらしく、それどころか彼が自分の元へ戻ってくるのを待っていると言っている者もいるということなどを、「決して二枚目じゃありませんよねェ」とか「ずいぶんとずっこけたことしているのに付き合ってた人も変だと思わなかったんですかねェ」というコメントを挟みながら、ことさら大袈裟に伝えていた。そして最後にレポーターはこう言って話を締めくくった。
「騙された女性たちが共通に口にしたのは“とにかくマメな人だった”ということです。世のお父さん方、男はマメでなきゃいけませんよ!」

 何だか不謹慎かも知れないが、騙された女性たちには申し訳ないが、哲郎は思わず笑ってしまった。あまりに適格に孝作の特徴を言い表していたからである。登志彦からもすぐに電話があって、「こんなオチになるなんて、情けないというよりも笑うしかないよね」と言っていた。同じ思いだったのだろう。
登志彦からの電話を切った後、哲郎は思いついてすぐに昔の孝作の家の電話番号を古い手帳から調べて架けてみた。繋がるわけはないとわかっているのに、そこに孝作はいるはずもないのに、それをしないではいられなかった。
「おかけになった電話番号は現在使われておりません・・・」
案の定よそよそしい言葉が耳に響いた。
                                             了 
 


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