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『旅の途中』
服部清人
年末の慌しさが一段と増す頃、デパートの美術部で課長を勤める石垣は展覧会の打ち合わせで、京都の染色作家を訪ねた。半日で挨拶を済ましトンボ返りするつもりだったのが、お昼をご馳走になり、結局夕方まで話し込んでしまい、気がつけばすっかり陽が傾いていた。
「まあ、こんな時間!だったら京都らしいお店が近くにおます。夕飯も食べていきなはれ」
と、やんわり言われると、つい、「はい」と返事しそうになるのをこらえて、やっとのことで工房を辞してきた。帰り際に
「これ京都の地酒です。持っておいきやす」
と、差し出された包みをぶら下げながら、タクシーを拾おうと大通りに出た。ちょうど一台が目の前で客を降ろしたので、乗っていいかと合図すると、運転手が助手席の窓を下ろし、
「スンマヘンナ、どこまで行かれますか」と、聞いてきた。
「京都駅の新幹線口まで」
「そんなら、乗っておくれやす」
やっと後部座席の自動扉を開いてくれた。客を選ぶのかといぶかしく思っていると、
「スンマヘンナ、これであがりでんねん。駅の近くに会社がありますよって、ちょうどよかったですわ」
なるほど、石垣はそれで了解した。陽が短くなったこともあって、辺りはすっかり暮れ色で、あちこちに灯がともり、車窓を流れる景色もどこか哀愁を帯びていた。
運転手は自分から安田と名乗った。そして、
「実は今日が三十五年のタクシー人生最後の日なんですわ」
と、続けた。
「先程のお客さんが最後の方やと思おて、ホットとしとりましたんや」
「すると、私はオマケということですな」
「いろいろありましてんけど、なんとかこれまでやってこれました」
安田は交叉点を通り抜けるたびに、声に出して 「右」「左」「よし」と律儀に安全確認をしながらも、京都駅につくまでの間、堰を切ったように自分の半生を話し始めた。三十五年間を十数分に凝縮した話はまるで、上質のドキュメンタリーのようだった。
「人生は旅でんな」
というセリフを何回か聞いた。誰にでもドラマはある。しかし安田の身の上話は確かに波乱万丈と言っていい内容だった。石垣は思わず何度も「へえ」「ほお」というあいづちを打った。幾度となく通過した道だから、駅まであとどれくらいの所要時間が残されているかよくわかっていたのだろう。残り数分ではとても語り尽せないもどかしさからか、安田は自然と早口になった。どうして自分の生き様を初めて会った素性も分からない男に語って聞かせようとするのか。石垣には安田の心中が測りかねたが、それでも安田が懸命に家族や仕事に向き合ってきたということは沢山の言葉を費やさなくとも、よく伝わってきた。お互いまったく異なった時間を異なった場所で過ごしてきた者同士が、ほんの一瞬邂逅し、同じ時間と場所を共有する不思議。石垣はそんな大げさなことにまで想いを馳せていた。そんな石垣の小さな感傷をまったく無視して、安田は話し続けた。、実は安田は自分に対して語りかけていたのかもしれない。
あっという間に車は京都駅新幹線口に着いた。その時、
「おっとッ」
安田は話に夢中になっていたあまり、メーターをセットすることを忘れていたことに気がついた。
「最後まで、ボケてまんな」
頭をポンとたたき、
「お代はけっこう。これにて一丁あがり。一件落着ですわ。おおきに」
そういいながら、声が震えていた。
「最後の客になれて光栄でした」
石垣が言うと、
「おおきに、おおきに」
話しながら年月が走馬燈のように安田の頭をよぎったのだろう、ハンカチを取り出して目頭をぬぐっている。
「私は明日も仕事です。まだまだ旅の途中です」
と、ちょっとカッコをつけて言ったことに石垣はテレ笑いを浮かべながら、
「さっき土産にもらったお酒だけど、今晩はこれで一杯やってください。」と、後部座席に置いた。
「おおきに、おおきに」
了
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