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「モーツァルトの街」

                                    服部清人

 福沢氏は名古屋のオーケストラに所属する音楽家である。
「同僚のTという男から聞いた話なんだけどね…」
氏は椅子に腰をかけるとすぐに口を開いた。
「三十年前のこと。Tはオーストリアのザルツブルグへ留学した。彼はバイオリン弾きなんだ。若い頃から美術好きの彼は暇ができると街の骨董屋をのぞいていた。その中の一軒、初めて入った店で彼は木製の重厚なオルゴールに目を留めた。奥の方で鼻眼鏡をかけ、でっぷりと太った店の主人がそれは“ドイツ製のポリフォンT/T型だ”という。愛想は良くないが聞いた事には丁寧に答えてくれる。“蓋を開いてみろ”と言われ、その通りにすると裏蓋のところに天上世界を描いた細密な絵が現れ、そこに遊ぶ天使の顔つきがえも言えず気に入ったTは値段を尋ね手付金を打った。持ち合わせの金ではとても手に入る代物ではないどころか、貧乏学生の彼には分不相応な品であったが、どうしても欲しかったらしい」
と、ここまで一息に喋ると一服してお茶を飲んだ。

 「Tはその後、忙しさにかまけて、気にはしていたもののそのオルゴールを取りに行くことができなかった。金ができなかったせいもある。そうこうしているうちに帰国の日が来てしまい、結局そのオルゴールを手にすることなく後ろ髪ひかれる思いで日本に帰ってきてしまった」
「それは残念なことをしましたね」と、中川は相槌を打った。
「ここまでは前置き。面白いのはこれからだ。三十年の間、Tは若き日のザルツブルグでの思い出と重なって、その店構え、主人の顔付き、そしてオルゴールの裏蓋に描かれた天使の笑顔を事あるごとに自責の念をともなって思い返していたんだ。それがこの春、やっと願いが叶ってザルツブルグを訪れることができた。勿論着いて一番にあの骨董屋を探したそうだ。街の様子は日本のように急激な変化こそないものの三十年前の薄れつつある記憶が頼りのTにとっては大きな変わりようであった。考えてみれば当時店の主人はどう若く見積もっても六十は越えていた。まだ存命だとしても九十数歳ということになろう。店もなくなっているかもしれない。Tはそんな思いを胸に記憶を手繰り寄せながら街を歩いた。三十年もほっておいて今更慌てることもないのにと思いながらも自然に急ぎ足になった」
「Tさんにしてみれば三十年越しの恋人に会うようなものですよね」
「店はあった。昔のままで。しかも目を疑った。タイムスリップしたのかと思った。店の定位置に鼻眼鏡をかけ、でっぷりと太ったあの時の主人が座ってこちらを胡散臭そうに見上げていたのだ」
「それって…、こんな夢を見ましたってお話じゃないでしょうね」中川がまた口を挟む。
「半信半疑でTは三十年前の出来事をその主人に説明した。“もう、お忘れかも知れませんが…”という一言を付け足して。言いながら自分でも妙な気分だった。目の前の人物があの三十年前の店の主人である筈はないのだ。いぶかしげに相手の顔を覗き込むTに向かって、主人はゆっくりと立ちあがりこう言った。“親父から聞いてます。お待ちしていました”そう、その通り。二代目だったのさ。しかもあのオルゴールを奥から抱えて出してきたときは言葉も出なかったそうだ。“私たちはいつの間にか歳をとって老いてしまいますが、こいつは三十年くらいは何とも思っちゃいない”とかなんとか、そんな意味のことを言って、主人はさもそれが当然というように三十年前に払い残した分だけの金を請求した。“物価も変わったし、骨董的価値も上がっているのだから、それじゃあ申し訳ない。”と言って、Tは追加の金を置こうとしたのだが、主人はその親父が残したメモの金額だけを受け取るとそれ以上とりあってもくれなかった。それが当たり前というように。どう、このお話」
「三十年の間待っていてくれるなんて、美談を通り越してますね」
「ちょっと出来過ぎだよね」と福沢氏も笑って、
「Tも最初は自分に訪れた“ちょっといい話”をあちこちへ吹聴した。雑誌のエッセイにそのことを書いたりもしたらしい。こんなせちがらい世の中にあっては稀な話である。と賞賛されたりもした。ところが…」

 福沢氏の話はまだ続きがあるらしい。
「ある日、Tはオルゴールのコンディションを整備しようと底板をはずし、内部の構造を初めて覗いてみた。その時、一片の紙切れを見つけたのさ。そこにはこれまでそのオルゴールを所有してきた人物の名前が年代付きで記されていた。たとえば“1941 Wolfgang Amadeus Mozart”といった調子でね。そのオルゴールを所有した人物はTと同じように底板を開き、そこにしのばせてある紙切れを見つけてはその意味を理解して、またその一番下のところに自分の名前を書き込んだのだろう。すでに五、六人は続いており、それぞれに短いコメントが英語やドイツ語やフランス語で書かれていたりした。『美しき調べを永遠に刻めよ』なんて書いてあったんだろうね」
「なるほど。物が辿ってきた歴史に思いを馳せることはよくありますが、そんなふうに来歴を知ることが出来るというのはなかなかドラマチックですね。」
物がどんな人の手を経てここに到ったか。これはコレクターなら誰でも一度は想像を働かせるところである。そこにロマンを感じ、己れに与えられた時間の長さと引き比べながら、切ない気分に浸るのである。
「ところが、その時にTは気がついたんだ。彼が放っておいた三十年の間に何人かの所有者がいたということに。つまり、こりゃいつまで待っていてもあの日本の若造はこの品を引き取りにこないと踏んだ先代の主人は他へ回してしまったのだろう」
「ああ、そうか。それで人から人へと転々とした挙句、ちょうどまた、その骨董屋のところに戻っていたんだ」
「同じ嗜好を持った人のところをひとつの物がぐるぐると巡ってしまうということはよくある話。結局うまい具合に一巡りして、やっとTの手元にやって来たというのが本当のところだったらしい」
「その骨董屋もなかなか二代そろってしたたかだったってことですね」
「そういうことになるよね」

 そこまで言って、福沢氏はお茶の入った湯のみに再度手を伸ばしながら、何気なくモーツァルトのメヌエットを口ずさんだ。
「あれっ?」
中川がつい、声を出してしまったのは不意に頭を掠めた思いつきのせいだ。
「もしかして、お話のTさんてご自分のことですか。」
それには何も答えず、福沢氏は指でピアノをたたく仕草をして見せるだけだった。

                                           了

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