◆以下の文は(株)匠出版より発行の「書談」創刊号にも掲載されています。

仮想座談会
「書の可能性」 〜 現代の書に求められているものは何か

                                      服 部 清 人

    出席者
             
司会    A氏 (書道ジャーナリスト)
        書家    B氏 (伝統派 日展系)
        書家    C女史(現代派 毎日書道展系)
        評論家   D氏 (書壇評論)
        作家    E氏 (歴史小説)
        僧侶    F禅師(臨済宗大徳寺派)
        茶人    G女史(裏千家流)
        古筆研究家 H氏 (私立大教授)
        書教育家  I氏 (国立大教授) 
        美術商   J氏 (画廊店主)

書の多面性 

司会 さて、本日は「書の可能性 現代の書に求められているものは何か」と題しまして、何らかの形で書に関わっておられる皆様にお集まりいただき、現代の日本における書について語っていただきたいと存じます。まずは自己紹介を兼ねましてお一人ずつ書への関わり方、または書をどのように受け止められておられるかを、できるだけ短めにお話ください。 
 
書家B 司会の方の横に座っておりますので、わしがまず口火を切りますわ。現在は日展の会員。他に十数団体の要職を兼務し、先日は県の文化功労者賞を受けたところですねん。主宰する団体の会員は孫弟子ひ孫弟子まで合わせると千数百人。明清の王鐸や呉昌碩が好きで、主に長条幅の連綿草を書いとります。弟子達もそんなんがどうしても多なりますな。そんでもってええと…。

司会 先生、あとの方も控えておられますのでそのくらいにしていただいて、次の方お願いいたします。
 
書家C 毎日書道展を主な発表の舞台として活動いたしております。書は芸術たりえるかを掲げて戦後展開された前衛書運動を直接体験してきました。五十年も書に関わってきたのに、いまだに書が何なのかよくわかりません。というより益々解らなくなってきました。今日は皆さんから何かお教えいただけるのではないかと期待してやってきました。
 
評論家 最初に言っておかなくてはいけないのだが、期待されてもこの手の話に決定打は出ないよ。書とは何ぞやと、正面切って問われても、神とはどんな存在?という定義を求められているようなもので、これは書に関わる者達が永遠に引きずっていかなければならないテーマだからね。しかし、僕はそれが仕事だから、依頼原稿月四〇〇枚とその何倍もの反故を重ねながら、そのことを日々探求して三十年になったと言う訳だ。

作家 私はこれまでの先生方がお話されたいわゆる書壇からはまったく離れたポジションで書を愛好してきましたが、何せ生来の悪筆で、それを想うと書について語るなどおこがましい限りです。ワープロやパソコンが普及し始めた頃、真っ先に飛びついたのも、まったくもってコンプレックスのなせるものでして、とはいえ書は好きで、古今の墨跡、文人の書画など蒐集しては楽しんでおります。

司会 只今のE先生のお言葉の中にありました「悪筆へのコンプレックス」とか「ワープロ、パソコンの普及」「書画をコレクションして」という点につきましては現代の書を取り巻く事情を考える上では大事なポイントですね。
 
僧侶 私は臨済宗大徳寺塔頭の住持を務めております。無準師範、一山一寧、大燈国師、一休宗純、沢庵宗彭、白隠慧鶴、仙豪`梵などを掲載した墨蹟集を編纂いたしました。高僧の遺偈など、禅僧にとって書は特別な意味を持ってますねん。それは書壇で語られるところの書とはちょっと違うように感じられますなぁ。
 
茶人 茶道裏千家の支部長をしています。我々茶の湯に親しむ者にもそれは言えますね。床の間に掛けられる軸物としては禅僧の墨蹟や古筆の類といった傾向のものが多いので、書といわれればそんなイメージを抱いてしまいます。残念ながら、書家の方の書が床を飾るというのはあまりありません。
 
古筆研 大学で古筆学についての講義をもっています。私にとって書といえば平安期に和様調が確立された以降の展開の中で遺された類の書き物を指しています。ここには必ず文学が背景にあります。背景という言い方は適当ではないかもしれません。文学が主で、書美は従というのが私の認識です。

書教育 三十年間、書写書道教育に携わり、現在は教科書の選定委員をいたしております。戦後の教育の中で書はなんとか命脈を保ち、細々とではありますが、カリキュラムの一角を占めてまいりました。最近は益々旗色が悪いのですが、美しい文字への憧れが人々の心の中にある限り、書は生き残っていくと思っています。ただし、社会の中でのポジションは大きく変化していくでしょうね。

美術商 私が最後ですね。銀座で画廊を営んでおります。私共が商品として扱うのは圧倒的に絵画が多く、書は全体の一割程度でしょうか。しかも、それはここにおられます作家のE先生のお書きになられたようなものがほとんどで、はっきり申しまして売れる書というのは絵画等にもいえますが、まずは
ブランドです。つまり誰が書いたかということ。次に言葉の内容。三四がなくて五に出来栄えといったところでしょうか。よい書かどうかを理解できる方というのは本当に少ないと思います。わかりやすいのは誰が書いたか。その人物がどれくらいの功績があって有名か。購入者はそこをありがたがるのです。


書を取り巻く諸事情

司会
 有難うございます。書と一言でいっても皆さんが述べられましたように、現代においては実に多様な展開がなされてまいりました。そのことをふまえ、ここからは“書を取り巻く諸事情”ということでお感じになっておられることをお話いただけますか。

書教育 自己紹介を兼ねた皆さんの一言を伺っていても、書に何がしかの形で関わっておられることはよくわかるのですが、書を見つめる視点がずれている。温度差がある。多分話が噛み合わないと思うのです。段々とすり合わせを図るとしても最初は自分が関わっているところからの視点でお話してもいいですか?

古筆研 とりあえずそれでいいんじゃないですか。結論が出ないのは予想していたことですし・・・・。
 
作家 書は多面的な展開をしましたよね。良きにつけ悪しきにつけですがね。
 
書家C 昔は違っていましたか?
  
書教育 そうですね。中国において書は、士大夫の教養のひとつとして長く位置づけられてきましたが、
日本においても同様の認識でしたでしょう。

美術商 大体、芸術なんていう西洋の概念が普及したのは近代国家が誕生した明治以降ですから、それまでの、つまり江戸期までは書に対して人々が抱くイメージはもっと統一されていたでしょうね。

評論家 一九五〇年代に日本の書と欧米の現代美術が交流をもった“熱き時代”があったんですが、そこでは書も“芸術”という概念で括られるべきものだと、関係者は皆信じてた。

書家C 今でもそう信じて私達は取り組んでいるのですが、時に戸惑ってしまうことがあります。実は私は非常勤の講師として高等学校で書を教えているのですが、教科書の構成を見ても古典の臨書が中心になっており、生徒は結構熱心に臨書に取り組みます。その段階は生徒も私も古典という絶対的な基準がはっきりとあるので、作業がしやすいのですが、ある日ページを開くと突然“創作してみよう”なんて表題が掲げられていて、“今日は自由に個性的な作品を創作してみましょう”と書かれてある。生徒達は首輪を解かれた飼い犬のように、どうしてよいのかわからない、なんてことになってしまう。それは私も同じなんです。

美術商 先生自体が臨書と創作の関連性を理解出来てないの?

書家C  そうです、とは言いたくありませんが、大体書の創作とはどうあるべきか、それは私自身の問題でもあります。

書教育 確かに書の教科書に関わるものとしてそれは大きな問題です。短い時間の中で創作という一生かかっても解決できないような問題を伝えていくことがどれだけ難しいことか、私達もわからないわけではないんですが…。

書家B 大きな筆で墨を飛び散らかして乱暴に書きなぐれば芸術になると思っている輩が随分とはびこったもんやから、こんな状況になってしもたんや。

評論家 それはまた辛らつなお言葉で!(笑)

作家 いろんな考えがあって、表現がある。これはむしろ平和で思想言論の自由な現代社会にあっては歓迎すべき評価されるべきことなんじゃないですかね。
 
茶人 世の中のいたるところで同様の現象が起きています。価値観が多様化したのは、まあよいことだとしても、それがために混沌とした状況を招いてしまいました。茶道界もご他聞にもれず茶道人口が減ってきたことを憂慮して、これまで守ってきたものを現代人の要求に応じて崩していこうという動きがあります。変わっていかなければいけない部分も勿論あると思いますが、やはり変わらない部分を頑固に堅持していくことも必要です。

僧侶 日本の伝統芸能は皆さんもご存知のはずですが多かれ少なかれ禅の教えを根底に置いています。書道も茶道もまさしく禅的な面を色濃く反映させてますな。欧米人の中にも最近は単なるオリエンタリズムへの憧れというだけでなく、かなり根の深いレベルで禅を見つめている方がおられます。その延長上で書やお茶にも興味を持ちはるのでしょうな。中にはかなり深いレベルで書を理解してはる外人さんがおられます。その方達の書を見つめる眼というのは意外と確信をついているように思うんですわ。

古筆研 我々の分野においても書の美しさは勿論問題にいたしますが、今お話されていた創作とか価値観の多様性といった問題とはまったく次元が違いますね。平安期の「高野切」などをピークとする和様調の仮名も幾つかに枝分かれさせることが出来ます。鎌倉期、室町期と時代が下ることによって書風の変化があり、江戸期になるとかなりはっきりした形で書流の違いによる相違がでてきます。定家流や遠州流、三藐院流や光悦、松花堂といった優れた書き手に繋がる一派の人々、又は青蓮院流や御家流といった系列に位置する人々と、かなり多岐にわたる関連図を描くことが出来ます。しかし、いずれにしても書の美、又は芸術性というのは「水茎の跡うるはし」という言葉で一括できるように思うのです。つまり水草が漂う様が優美であるように筆を運んで言葉を綴ること。人々が良しとして目指してきたのはそのことだったと思うのです。

美術商 今日は参加しておられないがまだ商業書道、つまり看板や商品ロゴマークを書いたりするデザイナー的要素の強い書家もいる。その世界もコンピューターの導入で大きく様相が変わり、手わざの冴えを評価してもらえなくなってきたと聞いています。

評論家 そうだな、書は戦後さまざまに枝分かれして行き、その結果こんな様相を呈している。そしてどの分野も問題を抱えて今や四苦八苦という状態だ。しかし我々生命体はどこまでも進化していくことを義務付けられているんだ。唐突だが我々は必ず死んで、新しい世代にバトンタッチしていかなければならない運命にある。それは個々の生命体が進化のエネルギーに耐えられないからだ。そうやって進化はこの先も続いて行く訳だが、我々はその進化の過程の一歯車に過ぎない。しかしこのちっぽけな歯車も繋ぎ方を誤ると種の絶滅を招きかねないだろう。二〇〇六年、確かに新しい時代がやって来ている。かつての産業革命に匹敵するような状況がどんどん進行している。真っ只中にいると差程気にならないが、百年の後の人々はこの時代のことを特別な呼び方で歴史年表に書き込むかもしれない。そんな状況の中、我々に課せられているのは伝統を正しく次へ伝えていくことなんだ。


良寛を通して書とは何かを考える

司会
 それぞれのお立場を基点としてお話いただきましたが、やはり話が噛み合わなくなってきているようにも思えます。ここではジャンルの違いを越えて、その先にある共通項を探りたいと思うのですが、そこで具体的なテーマとして良寛の書というたたき台を提案したいのです。如何でしょう。

美術商 良寛さんの書は確かに幅広く支持されてますよね。小林古径や安田靫彦を始めとした日本画家の多くは良寛調を専らにしています。

作家 漱石なんかも信奉者ですよ。

書家B 良寛というと誉めないかんと思うてはるお方が多いようやけんど、わしゃどうもピンとこん。頼りのうてかなわんわ。

書教育 今の先生のご発言はある意味、勇気あるものです。(笑)
 
書家B ある意味ってどういう意味ですねん?

書教育 いや、正直申しまして、これまでの良寛書を讃美する風潮の中で、本当は多くの方が戸惑っておられたのではないかと思うのです。

美術商 どうして?

書教育 一般的見地からすればどう見ても上手い書ではない。ここでいうところの上手い書とは何かをはっきりしておかないと誤解を招くと思いますが、つまり小学校書写の教科書に出てくるような書をさして言っています。良寛さんのエピソードは小学生にも語って聞かせられますが、あの書は教科書には載せられない。

書家C そうですよね。きっと子供達は何を信じていいのか解らなくなってしまいます。

作家 でもね、やっぱり良寛はうまいよ。今の定義で言えば「上手い」ではなくて「美味い」に近いかな。食べられるわけじゃないけど。技術じゃないもっと大事な「何か」がある。

書教育 勿論私も個人的には好きです。良寛さんの人柄、伝承されている行状と相俟ってあの書の持つ風情は確かに独特です。但し繰り返しますが、書写の教科書向きじゃない。

美術商 なんかこういいじゃないですか。理屈抜きで。ふわっとしてて。熊谷守一なんかもそうだけど、ああいった有りようが大事なんじゃないかなぁ。人間の本質的な淋しさのようなものが出てますよ。

僧侶 禅坊主の中にあっても良寛さんは特別でんな。突き抜けてますのや。拘泥も衒気も捨てて、裏を見せ表を見せて散る紅葉ですわ。そこが良寛さんの魅力でっしゃろ。

書家C 私も実はなぜ良寛さんの書がどうしてこんなにもてはやされるのかがずっとわかりませんでした。でもある時ふっと婦人雑誌を見ていたら、良寛さんの書が巻頭に掲げてあり、背景に雪の中の五合庵が写っているんです。そこには静かな気配がありました。雪に閉ざされた音もない時間の流れもないような空間です。無限の世界に続くようにも思えました。人間の来し方行く末の全てを背負ってひっそりと佇んでいるのです。ああいいなぁと初めて思いました。私が探していたのはこういうことかなと一瞬感じました。コンセプトなんて横文字まで持ち出して思わせぶりな傾向の作風だった自分の考えがとても浅はかに思えました。

評論家 森田子龍がさんざん実験的なことをした挙句に言うんですよ「書は境涯の結実である」   とね。上田桑鳩の影響を受け、戦後の気運に乗ってさあ何かまた新しいものを創造していくんだという時代に森田や井上有一といった連中は大変な情熱と才智で書に立ち向かったんだが、最後に至ったのは禅の墨蹟が目指した境地だったんだな。

古筆研 良寛さんの書は古筆の世界からは微妙に外れるのですが、私も日頃から親しんでおります。私にとって古筆は仕事ですが、良寛さんは趣味といった感じです。

僧侶 趣味が良寛って、どこまでいっても書から離れられないお人でんな。(笑)


書の何が人を魅きつけるのか

司会
 やはりこの中でも多くの方が良寛を評価される。まだ漠としているものの皆さんのご発言の中に何箇所か書の大事が語られていたように思いました。そこでなんですが、ここらで書の魅力の核心部分に踏み込んだ一言をいただけませんか。

作家 いやいやそれは性急ですな。確かに良寛さんの書は永遠の謎を解く糸口になるかも知れない。しかし、それではやっぱり全てを言い尽くしたことにはならないでしょう。一元論では世界を定義し尽くすことはできないと思うな。

司会 確かにその通りだと思います。良寛もいいけど王羲之もいい、ということでしょうから。しかし、あえてその上で皆さんに問うのですが、書の何が人を魅きつけるのでしょう。

美術商 稚拙美というのがあるでしょう。子供が書いたものが純粋無垢で美しいとするような見方です。子供だったらなんでも美しいかというとそうじゃないと思うけど、まあその問題は今はちょっと置いといて、野口英世の文盲の母シカさんが書いた子を想う心情の書とか、良寛さんだって時にはそんな紹介のされ方をしたりする。そんな類の書に魅力を感じるという傾向がありますよね。
 
作家 武者小路実篤とか中川一政とか、下手であることを開き直ってしまって堂々としている。

評論家 あのヌケヌケとした開き直りが鼻につくという人もいるが、彼らはまだ気宇の大きさが感じられるところがある。あれを真似て「一日一善」みたいな便所の標語書いている連中がいっぱいいるでしょ。またはわざと左手で書いて下手ぶっている芸能人とか。あれは勘違いの際たるものだ。

書家B あれ、先生。この前なんかの雑誌でそういった類の書を誉めてましたがな。

評論家 それも浮世の義理というやつです。先生こそ、その辺の匙加減は一番心得ておられるはず。(失笑)

司会 なんだか水戸黄門の悪代官と越後屋の会話みたいですね。確かに書を取り巻く事情というのは一筋縄ではまいりません。戦後は産業としての一面も形成され、新聞社主催の展覧会を中心に実に見事な“業界”を組織しました。そのことで成り立っている周辺のジャーナリズムや筆墨商などの関係機関を含めて今や書道界は巨大なる営利追求集団となっているのが実態です。したがって芸術至上主義的なことだけでは済まなくなって来ているのもよく解ります。しかし、本日はそういった生臭い話は置いといて、純粋に理想の書についてのみをお話いただけたらとあらためて御願いいたします。話を元へ戻しましょう。脱線している時間はありません。B先生はどんな書を理想とし、どんな作品をお書きになりたいと思っておられるのですか?

書家B 下手より上手い方がいいわな。わしゃ五十年以上も上手くなりたいと思ってやってきましたんや。王鐸なんて今でも上手いなぁと心底感心しますわ。でもな、最近になって書かれたものにロマンがないとあかんと思うようになりましたんや。それがないと俗になってしまう。

司会 先生のおっしゃる“ロマン”というのは具体的にどういうものでしょうか?

書家B 言い換えれば“物語”か。王鐸にしても趙士謙にしてもなんや鬱屈してますやろ。それが滲み出てますのや。聞けば彼らには不遇の物語があった。ああなるほどな。と思いますがな。

作家 B先生らしい言い方ですが、私も書の魅力という点においては共通の考えを持っています。藤原正彦さんがベストセラー『国家の品格』の中で、「悠久の自然と儚い人生という対比の中に美を感じる能力を日本人は持っている」と言っておられる。美しい夕焼けを見れば誰だって感動する。しかし次に胸中に去来するのはなんと自分はちっぽけで儚い存在なんだろうとする虚しい気分です。そこに詩が生まれる。せめて今、この一瞬だけでも何かの形で己が想いを繋ぎとめておきたい。それが、文学や音楽となり、絵画や書となるという解釈です。

古筆研 富岡鐡斎が言ってますね。「万巻の書を読み、万里の道を行く」ことで自分の書画が生み出されるのだと。「万巻の書を読む」ことで、他人の経験を追体験できる。自分一人が経験できることなどたかだか知れてますからね。もう一つにはボキャブラリーを蓄えるというメリットがある。言葉の数が多ければ多いほど複雑な思考が可能になってくるわけで、より深い部分で物事を捉えられるようになる。そして「万里の道を行く」というのは自然の気に触れるため。生々流転していく自然を感じ、自分がその中でどんな存在かを知ること。知ってしまえばそこに様々な感情が沸いてくるはず。鐡斎はそれを自分に課していた。

美術商 現代美術の作家である李禹煥が作る画面は明らかに書をベースとしています。しかし彼の作品が世界中に評価されるようになってきているのは、その作品の持つ深さ、静けさ、かそけさ、はかなさといった要素が生み出す普遍性です。人間ならば誰もが持つ無常感のようなもの。彼の作品はそこを突いてくるのです。

僧侶 アントニー・タピエスというスペインの現代作家が画室に白隠の書を掲げているという話を聞いたことがありまっせ。白隠の書からなにかの啓示を受けてはるんですな。

書家C そんなお話をうかがっていると書も充分に世界に向けて発信していけるのだと自信になりますね。

評論家 しかし、変に西洋に媚びたようなものはかえって駄目だよ。それとデザインに走ったようなもの。デザインのことを悪くいうつもりはないが、デザインは人目に触れやすいように工夫されたものだから、視点が外を向いているんだな。芸術というのなら、少なくとも内側、すなわち自分の内面に視点が向いていなければ駄目だ。

僧侶 禅でいうところの外観と内観でんな。

作家 どこまでも自分の中に沈潜して深い部分から自分を見つめ、それでも満足せず、もっと深いところへ向かおうとする姿勢に後の人も共感するわけでしょうね。妙に悟ったようなまたは諦観というのかな諦めきってまあここらでいいじゃあないですか的な内容のものは一時の慰めにはなるかもしれないが、それでは解決しない想いが湧いてくるのが人間の業(ごう)というものでしょう。

書教育 次世代の若人たちに指針を示しておく役割が我々にはあると思うのです。戦後六十年間書を取り巻く状況が大きく変わってきている中、産業としての書壇の活動もその体制や体質を根底から改革していかなければならないところへ来ていると外から見ていても感じます。

美術商 戦後はどのジャンルにおいてもそうですが、一度大きく壊れた価値観を皆で創り上げていくという解りやすい目標が掲げられたわけです。欧米に追いつけ追い越せとかね。そこで、なんでもありのやったが勝ち的な展開が次から次へと提示されたわけですね。やってる人も見ている人も退屈しなかった。ところがその手の方向性はいつか行き詰まりが来るんですよ。案の定、今に至って閉塞状況を招いてしまった。これは書の分野に限らずどこも皆同じです。

茶人 茶道界も華道界もそんな感じです。

美術商 これを打開するにはどうしたらよいか。百年に一人の大天才の出現を待つしかない。と捨て鉢なことを言う人もいるが、歴史に照らしてみればこの他力本願的発想も結構それに頼るしかないのかなぁなんて思えてくる(笑)

司会 書を取り巻く周辺も戦後レジウムからの脱却を画策していかなくてはなりませんね。確かにそんな総括のタイミングかもしれません。しかしそのためには思想がなければならない。ビジョンが描けなければ次の世代が誤った方向へ進んでいってしまうかもしれない。

茶人 戦後に比べ現代は社会の仕組みがより複雑になってきています。我々は書だけ書いていれば、茶だけ点てていればいいという時代ではない。その周辺の繁雑なことも考えざるを得ないのです。純粋なだけでは許されない事情を皆さんが抱えていらっしゃる。今日はそんな現実のからみは抜きにしてと、先程司会の方がおっしゃいましたが、それも含めて現代の書表現ということを考えていかないとなんだか、片手落ちというか、机上の空論というか、そんなことになりかねないと思うのです。話を引き戻すようで申し訳ないのですが・・・。

古筆研 確かにおっしゃることはその通りだと思います。しかし、ここは業界がどう発展していくかを探る場ではない。それはそういうことがお好きで得意な方々がしっかりとおられるでしょうから、その方達におまかせしておいて、何千年と受け継がれてきた書というものの真髄を次の世代にどうバトンタッチしていくかを模索いたしましょうよ。竹林の七賢のようにね。今日は司会の方も含めれば十人の出席者ですから、蕉門十哲ならぬ書問十哲ですね。(笑)


書を定義する

司会
 書に関する問答を十人の哲人がやりとりするということで、なにやら舞台劇のようなシチュエーションを想像してしまいますが、ここらでそろそろ最終の幕に移っていきたいと存じます。

作家 もう使い古された言葉ですが、“書は人なり”と言いますね。良寛さんを思わずさん付けして呼んでしまうことを例にとってもその飾らない人柄と書が一体となって語られることが多い。中国の書人で顔真卿なんかもそんなところがある。つまり、“らしさ”を求めているんじゃないかな。

美術商 そこには願望のようなものもありますよね。予定調和的な。この書を書く人ならこんな性格だろうと。それは当たっていても外れていてもいいんだ。当たっていれば成る程と納得して、より親近感を持つし、外れていれば意外に思って益々興味が湧く。

書家C 少なくともそんなふうに感じてもらえるような書を書かなくてはいけませんね。

茶人 残念ながら、書家の書が茶席の床を飾らないのはそんなことも影響していますね。どうもその人ならではの気配がしてこない。

美術商 以前、フランス文学者の桑原武夫が俳句を論じて「第二芸術」と位置付けたことが物議を醸したんです。桑原の主張によれば一般人には俳句の素人と玄人の優劣の違いを見極められない。だから俳句は普遍的な享受を前提とする第一芸術ではなく、文学とはいえない第二芸術である、という主張です。今もし書を桑原の説に従って位置付けするとしたら書もやはり第二芸術ということになるだろうね。

評論家 桑原論の根拠自体がかなり強引で乱暴だと思うけどな。

美術商 書はどこまで行っても文学に従属することで初めて光を放つものですよ。良寛さんの漢詩や和歌、または書状の文面から醸し出される余情とあの書が微妙なきしみやゆらぎやふるえを生み出して、ピリピリっとこちらに伝わってくるんですよ。どの時代に生きていようと心の中のどこかに風が吹いているようなタイプの人はそこに感応してしまうんでしょうな。シンパシーを感じてしまうんですよ。

書家C 今のお話は書を自己表現の最終手段として選択した者としては抵抗感があります。書は書だけで独り立ちできないのでしょうか。

評論家 先程もちらっと名前が挙がっていたが、井上有一なんかは「上」とか「母」とか言葉の意味とはまったく関係のないような表現を試行している。Cさん達の前衛書なども言葉に頼らざるを得ないという宿命というか呪縛から解き放たれて、線の美しさだけを追求しようとした活動だったわけだ。

書家C 線の問題はやはり避けては通れないでしょうね。比田井天来が「書は線を扱う芸術である」と言い放って以来、書家達はやっとホームグランドが見つかったような気分になった。これで画家達からも一段低く見られなくて済むと。大きな拠り所を与えられて進むべき方向性を示して貰えたと感じた者が多かったと思います。

評論家 書壇の勢力を二分する現代派の多くはこの天来の一言を金科玉条として、戦後の六十年を突き進んできたんだけど、ここに至って正直なところ先程の指摘にもあった通りの失速状況だな。

書家B 前衛書なんてのは筆や墨や紙を素材にしているが、あれは書やないで。絵画の分野で発表したらええのに。さきほどの李禹煥だけでなく山口長男とか津高和一とか須田剋太とか書的な作品を現代美術の分野で発表している作家がたくさんいてますがな。書だと言い張る理由がわからん。

評論家 先生の口から現代美術の作家名が出てくるとは意外だ。びっくりだ。

書家B それくらい知ってますがな。(笑)

作家 それでは書を定義するとどうなるんでしょう。書と絵画の区別はどこでつけるのでしょう。こういった議論をする時によくあることですが、お互いが共通認識の上に立って、つまり単語ひとつとっても同じ理解をしていないと発展的で建設的な話にはなりません。

司会 そうですね。これまでも再三このような試みはなされてきたと思いますが、あらためまして書をどのように定義したらよいでしょうか。また、そのことは現代において書がどのように位置付けされるかを言うことにもなるように思えますが・・・。

僧侶 どうも司会の方は結論を急ぎすぎますなぁ。(笑)

古筆研 そうですね。普遍的なものを求めたくなる気持ちはわからなくもないが、ある日突然一人の大天才によってフェルマーの最終定理のような数学の大命題が解けてしまうのとは根本的に別問題ですよね。

僧侶 消化不良のまま、どこまでも追及し続けるその過程の痕跡が作品である。定義したことにはなってまへんが、もし言うならそんなとこやおまへんか。禅僧の遺偈、つまり生涯かけて悟り得たことを書き遺して逝くんやけど、東福寺の開山、円尓弁円もこうゆうてはる。「利生方便 七十九年 欲知端的 仏祖不伝」生涯をかけて真理を探究してきたが、結局のところそれは伝えられるものではないのだ。といった内容ですな。この字がまたええんや。

美術商 決まった答えなどない。定義すること自体に意味がないということですね。

僧侶 まあそういうことでんな。

司会 それが本日の結論では芸がない。もう一歩詰めていただけませんか。

僧侶 段々と脅迫になってきましたで。(笑)

茶人 “物言えば唇寒し”っていうじゃないですか。本来の句の意味は違うけど、とかく何かを主張したり、言い切ったりすると何だかすぐに後悔が始まるものですよ。決定的な真理は霧に隠れてなかなか見えないからこそそれを見てやろうという気にさせられるものでしょうしね。さんざんやり尽くして、もうこの先がないというところまで辿り着いたところで、まあこんなところでしょうか、という調子でそっと小声で漏らすというのが丁度いいように思いますね。

古筆研 そこはかとなくですね。

茶人 利休も言っています。「茶の湯とは只湯をわかし茶をたてて呑むばかりなることをしるべし」結局そういうものかも知れませんよ。          

作家 そうですね。秘するが花とも言いますしね。しかし、今は戦後展開されたさまざまな法律や制度、組織や機能、常識や価値観が見直されるべきタイミングなのかも知れません。これまでのルールでは済まなくなって来ていることがあちこちで問題となっています。先ほどG先生がおっしゃった、変わっていかなければいけない部分と変えずに守り通していく部分をきちんと整理する必要に迫られているんでしょう。そのためにも指針のようなものは必要です。

書家B 政治家や実業家は時代の移り変わりには敏感であるべきやけど、芸術家はむしろ鈍感であるべきじゃないかい。一本の貫く棒のようなものがほしいで。
 
美術商 確かにそうですね。時流に応じてコロコロと作風が変わっていくのは作家のすることじゃない。小説の分野に純文学とエンターテイメントつまり大衆性をもった文学という区別がありますが、近年の書壇で展開されたのはそのエンターテイメント的な要素が強かったように思えますね。見せるという意識が強く働いている。

書家C 本来書は机上の作業でした。記録したり、手紙を書いたり。ですからせいぜい手紙の相手である「あなた」までの二人の間だけで成立する芸だったのです。ところがまだ近年なんですが、壁に掲げることを目的として制作されるようになってきたのです。そうすると不特定な第三者を対象として発想することになります。ここで大きな転換を迫られましたね。

作家 私個人のことで恐縮ですが、私は流行りの言葉で言えばネクラな人間ですから、絵も書も音楽も静かなものが好きなんです。別に癒しを求めている訳ではないんですが、気持ちを“しん”とさせてくれるものが私にとっての至高の芸術なんです。

書教育 ネクラってよくネガティブなイメージで言われていましたが、蘇東坡も言っています。「人生識字憂患始」言葉を知ってしまったことで憂い患いが始まってしまった。知らなきゃよかったなぁ。でもやっぱり人間であることの証はそこにこそあるのだ。という意味の一節を読んでも、我思うゆえに我有りですよ。長い間生きていて言葉をたくさん知れば知るほど複雑な思考が可能になる訳ですから、当然ネクラになります。教育は健全なる心と肉体を育むのが目的ですが、人間が種を保ちながらこの先も生き抜いて益々繁栄していくためには共に生きていく道を模索する力、すなわちそれを理性と呼びたいのですが、理性を身につければつけるほど、外面的にも内面的にも穏やかで静かで、はしゃいだりしないいわゆるネクラと称される人になっていくはずなんです。

僧侶 只管打座。ただ黙って座りなさい。そして自分の内面を静かに見つめなさい。ということや。

美術商 私も心が“しん”となるような作品に出会うと、体の中のどこかで“りん”と鈴が鳴るんです。ある時気が付いたんだけど鈴が鳴るのは結局似たような傾向の作品なんですよね。

古筆研 優れた書跡を見ると確かにやさしい気分になる。モーツァルトを聞いているような気分です。
第一印象でそう感じ、筆跡を辿ると益々いい気分になる。女子高生が何でも「カッワイイ」と言うのと次元が変わらない、あまり学者的表現ではないのですが。(笑)


結局書とは

司会
 さて、また脅しかと言われるかもしれませんが、そろそろ本当に時間も迫ってまいりました。(笑)三千年の書の歴史を鑑みながら今を生きる我々は何を信じて進めばいいのか、その辺りのことについてお話いただき、本日のまとめとしたいと思います。

作家 困った時は原点に立ち返るということかな。ほとんどの方が閉塞状況を感じている中で不安、不満のマグマがどんどんと蓄積されて段々と膨らんできた。事実、社会も前代の仕組みでは通用しなくなってきている。政治も経済も宗教や文化も大きな変革を期待する気運が盛り上がってきてますね。これまでにもこんな状況は過去の歴史に照らせば何度もあったのですが、政治的には独裁者のような分子が突然出てくる危険性がある。そしてすべてを破壊するような方向へ導いてしまうのです。宗教も極端な動きをしやすい。しかし文化面だけは緩やかに変化していくのが常ですね。但し、どっしりとした大きな山を動かすのは相当なエネルギーが要りますよ。

書家C 書の原点てなんでしょうか?
 
評論家 記録とか伝達といった実用的な意義をすぐに思い浮かべるだろうが、それよりも呪術や祈祷といった「いのり」に結びついた要素、言霊信仰と言っていいのか、そんなところが原点にあるだろうね。

僧侶 いのりに基づいた造形物はいつの時代もどんな物も尊い物がたくさんおますなぁ。これは世界共通や。大いなるものへの畏敬の念と、己が生死に対するせつなさ、哀しみ。これは先程どなたかがおっしゃっておられた『国家の品格』やおまへんか。

書家B そうでんな。人生はせつないもんでっせ。働けど働けどわが暮らし楽にならざりじっと筆見るですわ。(笑)

評論家 先生の書にそのせつなさがもうすこし出てくるともっとよくなるんじゃないの。

書家B やっぱり良寛さんを臨書せんとあかんかな(笑)

美術商 昔、柳宗悦という民芸運動推進者が朝鮮李朝時代の工芸品を「悲哀の美」という言葉で規定し大きな説得力をもってその後に影響を与えました。これにはもちろん異論もあります。そんなふうに言われた方にしてみれば迷惑な話でもあるし、それで全てを言い切ってしまうのも無理がありますが、私は納得するところが大いにあります。

茶人 李朝の井戸茶碗の侘びた風情に私は何か一途さを感じます。

美術商 茶道では「一期一会」ということを大切にしますね。今はこんな平和で平均寿命も長くなってますから、今日都合が悪ければまた来週にでもなんて、東京と大阪の方が簡単に約束できる時代になってしまったんですが、戦国時代とかは人生五十年の時代ですし、新幹線はないし、まして動乱の世の中とあれば今朝目覚めても晩には死んでいるかも知れないと皆が本気で思っていたんじゃないかと。もっと死が身近だったはずです。一瞬一時が今よりもっと濃密だった。必然「一期一会」ということになってくるのでしょう。絵を描く時も、書を書く時も同様でその作り手の背後にある状況や抱いている覚悟は我々とはまったく違っていたでしょうね。つまり、書はもっと切実であれと言いたい。そこにこそ美が生じると思うのです。

古筆研 美とは何ぞや。というのは人類の永遠のテーマです。インターネットで検索してもなかなか答えは見つからない。

作家 ひとついえることは三千年前の人間も我々も人間としての基本的構造はあまり変わってないと思うんですよ。高度に発達した現代社会を生きる我々のほうが能力が高いとつい錯覚してしまうような発言を時々耳にしますが、それは多分間違っている。むしろ芸術の分野においては、先程のご発言にもあったように我々のほうが切実感において希薄なように思えます。どうしてもそれを書かなければ気がすまない。湧き起こってくる止むに止まれぬ心情がある。そんな点において我々は鈍感になってしまった。なにも無理しなくたって明日はやってくるし、なんとか食べていける。

書家B 明日から断食して、心身を清め、信心を篤くして、孤独の中で自分を見つめ直して書に向かわなければあきまへんな。

評論家 本気で言ってないでしょ?(笑)

作家 具体的に何をどうしたらどうなるってものではありませんが、結局書とはその人がどこまで深く自分の中へ沈みこむことができたかを現わすバロメーターみたいなものでしょう。その人の器量の大きさ理性の深さ、そういったものが端的に表現できるのが書だと思うのです。

司会 一般の方たちにはなかなかそれが見分けられないから、つい安易にブランドに頼ったり、マスコミに乗せられたりして、ろくでもないものに目を奪われたりするんでしょうね。

茶人 心の目で物事を見ることができるようになりたいです。

評論家 私なんかも本当に優れたものを具体的に箇条書きした方が回りくどく書くよりも読者は読んでくれるかもな。例えば“優れた書ベストテン”として一位良寛の「天上大風」、二位高野切とか並べておいて、なぜ優れているかは自分で考えろ!ってさ。

書家B 先生、それをやったら、原稿用紙四百枚はもちませんで、三枚で終わってしまいますがな。原稿料入りませんで。(笑)


収録後記 この座談はかなり長時間にわたって行われた。話は多岐に及んだが、ここでは紙面の都合で、多くの部分を司会を務めた私Aの責任で要約させていただいた。したがって会話のつながりに不自然なところもあるかと思う。これまでの書の歴史を短い時間で論ずるには膨大な資料とページ数を要するだろう。まして現代の、またはこれからの書を語るのは大変微妙で難しい試みとなる。我々はそのことを覚悟した上で、あえてその困難に向かっていかなければならないとあらためて考えるものである
                            
◆実はこの座談会はフィクションです。したがって登場する人物にモデルはなく、各人物の発言もすべて創作によるものです。


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