『静かなスイマーズハイ ~ 若田 晃(年金暮し?)』
服 部 清 人
どんな達人でも最初は初心者だ。誰だって訓練しないと泳げない。ほっておいても人間の体は水に浮くようにできているものらしいが、余計な動作でジタバタしてしまうから溺れてしまう。ところがコツをつかんで泳げる距離が延び、それがある一線を越えると今度はどれだけでも泳げるようになってくるらしい。その時脳内にはエンドルフィン(1)なる物質が分泌され気分も高揚し、疲労を感じなくなる。マラソンランナーや長距離スイマーにはそんな体験を持つ者が多い。いわゆるランナーズハイ、スイマーズハイという状態だ。ゾーンという定義もある。アスリートやアーティストが長い経験と鍛錬の果てにたどり着く境地のことを言う。結果は気にせず淡々とただその瞬間に“するだけ”の心境となり、しかもそれが無理せず自然に“できちゃう”となる。そこには理論もデータもない。人間がもともと持っていた本能の領域なのかもしれない。
若田さんは69歳になった今でも週に何日かの水泳を欠かさない。そのためか見るからに筋肉質の体型を維持されている。最近は白いものも目立ってきたが、髪はいつも短く刈り込まれ、きかん気で意志の強さを表す太い眉や目元、口元が印象的だ。それを素材や形にこだわったデザイナーズブランドの眼鏡と服装が包んで私共の店に現れる。初めて居合わせた方々はその明らかに他とは異なる雰囲気に興味をそそられてしまうのだ。ご先祖は岐阜県多治見市で陶器商を営んでいた。その十三代目。先代が始めた材木店の元社長というのが肩書きだ。「倒産したんやの」これが最近の口癖で、実は引退をなさったのだが、東濃弁でそう言って周囲を煙に巻く。接する者達は皆一瞬にしてその第一印象と第一声から、若田さんのペースに引きずり込まれるのである。
これまでも何度かお宅へはお邪魔したことはあったが、今回は家内と私共へお越しいただく鈴木、中野両氏の四人での訪問となった。取材と称してはいるものの、その実体は完全なお呼ばれである。しかもクリスマス前の慌しい中、若田さんが「お昼時に」とおっしゃったことを真に受けて、四人揃ってノコノコと出かけたのだが、すでに奥様は食事とワインをご用意下さっている様子。なんだか恐縮しちゃうなあ、なんて言いながらも、実は最初からちょっと楽しみにしていたりして。「ワインを抜栓したから、飲み頃になるまでの間、何か見るかの?」のお言葉に、早速第一ラウンドの開始。250年前に建造された床の間には小松均(2)の書。脇床には現代陶芸の小島郁子(3)のオブジェ。そして出てくる出てくる、池大雅(4)、熊谷守一(5)、長谷川利行(6)、梅原龍三郎(7)、岸田劉生(8)、ピカソ(9)、セザンヌ(10)・・・とビッグネームが続くのかと思いきや、室町時代の禅僧墨跡や、まったく無名の画家の50号の油彩まである。「ちょっといいなと思うもんをの、ちょいと拾ってきたんやて」いつもそうなのだが、若田さんのセンテンスは短い。しかも示唆に富んでいて、そこにジョークが往々にして混じる。したがってその真意を受けとめることが難しいことがある。こちらが戸惑っていると、それを楽しむようにニヤリとして「音楽なんかも同じやら」と追い討ちをかけてくる。月に三回の割で高いチケットを買ってコンサートに出かけられるのだが、気に入らないと途中で抜けて帰ってきてしまうらしい。「最近ではチェコ・フィル(11)がよかったの」どうよかったのか詳しくはおっしゃらない。よいものはよい。それでいいのだ。といった調子。次には美濃の桃山陶器、李朝工芸、半泥子(12)に魯山人(13)と続く。
そこへ「そろそろ準備ができましたよ」と奥様が呼びにこられて第一ラウンドは終了。キャスリーン・バトル(14)のクリスマスソングがかかるダイニングルームへ案内された。ルオー(15)の銅版画「ミゼレーレの聖顔」に見守られつつ、申し訳ない気分で席に着く。時代物のボルドーワインのマグナムサイズをあっという間に飲み干し、一同緊張もほぐれた。いったんグラスを洗っていただき、「次はシャトー・ペトリスのセカンド」(と、なんでもなくおっしゃるから、ホイホイいただいていたが、後から値段を調べたらビックリ)のワインを一口飲むやいなや、そのおいしさにまたまた一瓶を空にし、「今度はグラン・クリュ」を頂戴する。その間にも馴染みの料亭から取り寄せた料理に舌鼓を打つという贅沢。毎日こんなお殿様のような食事をしているんですか?と家内が問うと「そうやの」とニヤリ。これははっきり冗談だとわかった。
すっかりいい気分になって第二ラウンドへ。今度は敷地内の展示室。モンゴルのパオでできた茶室。土蔵の中の茶席。その二階にある瞑想室。そしてワインセラー。建築の心得もある若田さんは頼まれて何件かの家も建ててしまっているのだが、ご自分の遊び場もすべて手造りである。そしておまけはクラシックカーのオースチン・ヒーリースプライト。こうなるまでにどれだけの年月がかかったか。それにしても次から次へと心の赴くままに多方面へ興味の矛先が移っていった様子がよくわかる。
“立って半畳寝て一畳天下取っても二合半”ということを信長か秀吉が言い残したとか。内田百閒(16)がそんな一文を書いているらしい。諸説あるものの“天下取りでも一人の人間としてはたかだかそんなもの。まあ贅沢しなさんな”という戒めとして用いられてきたようだ。しかしこのあとに誰かが付け加え“されど収まりきらぬはこの心”と、言ったとか言わないとか。若田さんもこれまで実業人としてバリバリ仕事をこなし、家業を存続されてこられた。片や青山二郎(17)もどきの“高等遊民”として美的生活を楽しむ日常の中で、様々な分野の奥行きを知れば知るほど、また飽くなき探究心が湧いてきて、収まりきらない己が心を探る旅を続けてこられた結果がこれらのモノに結晶しているのだろうと想像した。
ドビュッシー(18)は“芸術とはもっとも美しい嘘のことである”と言っている。確かに芸術とは虚構である。作り事だ。まやかしと言い換えることもできる。だがそれは美しいのである。“美とは何ぞや”という命題は未だ解決されない難問であるが、もしその答えを見つけられたとしても、それが人類の日常的生活にどれくらいの影響をもたらすことかと問われれば、“それよりも一滴の水を、一握りの穀物を”という人々がたくさんいるのが現実だ。そんないわゆる形而上の問題を生涯を賭して追求するのは馬鹿げているとリアリスト達は言うだろう。だがこの無駄とも思える行為が人間のレゾンデートル(19)たりえることは、古来多くの哲学者たちの言を待たずしても明言できるところ。
陽が沈み始める頃まで居座って、美術と骨董と音楽と美食を堪能し、すっかりいい気分で帰路に着いた我々であったが、結局立ち入ってお考えを伺うようなこともなく過ぎてしまった。しかし“若田さんの考える優れた仕事とはどういうものですか”なんて真面目に聞いても必ず「そりゃあ子作りやて」とかわされて、まともに相手にしてくれないのが関の山。でも若田さんがミューズの首根っ子をしっかりとひっ捕まえているのは確かなことで、そのことはこれまでのお付き合いの中で小生も折にふれて感じてきたこと。きっと長い経験と鍛錬の果てにたどり着いた本能の領域に類する第六感をお持ちのはずだ。
「プールってのは壁があるやらあ?」かつて、店にお越しいただいた時、珍しくちょっと真面目な話になって、こんなことを持ち出された。なんのことなのか戸惑っていると、「50メートル泳ぐと壁に到着してターン。また次の壁まで頑張ってターン」単調だけどその壁があるから、達成感を味わうこともでき、また次の目標ともなるのだということらしい。「そのうち壁の存在も気にならなくなるわけ」静かな興奮状態に陥った。ゾーンに入った。ということであろう。若田さんが選んでいるのはどうも作り手たちがそんな状態や境地の中から生み出したモノのように思える。“秋風の吹くよろくろのまはるまま”とは半泥子の句。これなんぞは融通無碍の境涯を見事に表現した句であるとされる。そこには時間の隔たりはない。東西の境もない。いつの時代でもどこの国でも人間が成しえる最高の普遍的で尊い仕事、そんな仕事に若田さんは感応してしまう感覚器をお持ちのようだ。
「今日はこのあともう一組。ダブルヘッダーやて」我々と入れ替わりで次のお客様一団が到着した。そうと知っていればもっと早く退散したのに。と心にもなかったことを言い訳して、駅までの乗り合いバスに乗り込んだ。それにしてもこんな日常を許してきた奥様が偉いよね。と我々は感謝を込めてつくづく感心した次第。振り向くと若田さんがバス停でまだ手を振っていた。
了
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