麗らかな春のはじめの一日。折りしも大陸から舞い込んだ大量の黄砂で心なしか空は黄色く霞んで見えた。その日は刈谷にある石川さんのご自宅をお訪ねするのに、伊勢湾岸自動車道を通るルートを選んだ。途中名古屋港を横断する空中滑走路のような吊り橋に差しかかると、視界が開けて港湾地域の工場群やら、遠く名古屋の街並みが一望できる地点がある。車を運転しながら広がる光景を眺めた時、隙間もなく林立するこの建造物のすべてを人間が作り出したんだ、という妙な感慨が湧いてきた。ここに費やされた物量や労働力といった営為、そしてかかった時間を想像するだけで何だかめまいを覚えてしまう。さらにこの中に何百万人もの人々がうごめき、言葉を使ってコミュニケーションを図り、それぞれの思い描く数字を目標としたり、それを信じたり、それに縛られたりしながら生きていると思うと益々茫漠たる気分になってしまった。今さら言うまでもないことだが、この無機質な都市空間を結び付けているのは、やはり人間の心であることは間違いのないところである。と、まあこの一文の主旨とは関係のないようなことをあえて最初に持ち出したのは石川さんのことをここに紹介するためのちょっとした遠回りな導入という意味がある。
最初の出会いは私共が企画した展覧会に作品を制作していただいた時だった。愛知教育大学の大学院で立体造形を専攻された石川さんは「最近は物作りからはちょっと遠ざかっていますが・・・」とおっしゃるが、今も作家としての一面を持っておられる。我が家にも石川さんの黒漆を何層にも塗り込めた木造の立体作品が飾ってある。その前を過ぎるたびにいつも静謐で頑なな闇を連想して静かな気分になる。どうしてそうなるのかは自分でもよくわからない。とにかくそれが常である。石川さんがその作品に閉じ込めた心が観る者に微妙な波長を送ってきているのかもしれない。
現在は愛知学泉短期大学の准教授として幼児教育学科で保育士を目指す学生たちに美術を指導しておられるが、「幼稚園、保育園の現場も少子化問題、経済状況の悪化、家庭環境の多様化といった社会情勢の影響を受けています」とのこと。当然それに応じて指導者も多様な適応を求められるところだろう。「政治や経済に関しては我々の力の及ぶところではありませんが、家庭内のひずみがもたらすしわ寄せが子どもに及び、いわゆる“気になる子”(1)“子どもの貧困”(2)などのいろいろな問題についてなんとかできないものかと気にかけています」確かに言葉で言い聞かせようとしてもまだ理解力のない幼児に理屈は通じない。まして障害を持つ子どもたちは言葉以外の方法であるジェスチャーや表情の意味を受け止められないこともある。となると、その子のために何をしてあげることができるのか、どんな方法で心を伝えていったらいいのか。「たとえば美術が指導者にも幼児にも何かのよい影響を与える手がかりになればと思うのです」
そんな石川さんを支える奥様はイギリスからやってきたクラウディアさん。二人のお子さんにも恵まれた。「日本で英語を教えていた彼女とは通勤電車の中の偶然の出会い」だったそうだが、The
relationship between a man and a woman is a strange and marvelous thing(縁は異なもの味なもの)の通り、出会いの不思議さはご当人同士が一番感じておられることだろう。ここでも想像するのはお二人の意思の疎通はどう図られているのだろうかということだ。お二人ともそれぞれの母国語だけでなく相手の言語にも堪能であられるのだが、やはり齟齬をきたすこともあるはず。答えは聞きそびれたが、やはりそこは言葉以上の心のつながりが瑣末なことをカバーして余りあるのに違いない。
もうひとつ、紹介しておかなければならないことに石川さんには藤井達吉(3)研究者としての一面がある。祖父である石川利一(4)さんが達吉との交流の中で受け取った62通の手紙を丹念に読み取り、その行状を精査した論考(5)が現在も継続中で定期的に大学紀要への発表が続いている。達吉の業績はまだ充分に紹介されているとは言いがたい。石川さんの地道な仕事が必ずや大きな意義を持つことになるだろう。利一さんからは他にもヒントをもらった。「おさえ瓦(6)をご存知ですか?」石川さんの出身地である三河の碧南や高浜は瓦の産地であるのと、かつては紡績の盛んな地域でもあった。この二つが結びついて、他の地域にはない“おさえ瓦”と称する糸車の重しが作られた。装飾性より機能性といった要求にこたえた道具であったが、そこは必ず物造りの本能が働き、表面には様々な文様が刻まれることになった。それが千差万別、ひとつとして同じものがないという多彩さを見せている。かつて利一さんや磯貝利彦氏(7)が着目して紹介し、一部の注目を集めたりはしたが、今は途絶えて久しい。「この押さえ瓦の文様の自由さ、素朴でさりげないが美しい形、それをもう一度紹介したいと思って、資料を集めているところです」と石川さんは言って、実物を見せてくださった。「祖父は不思議な人で、市役所の収入役という職を退いた後、晩年は畑を耕しながら色々と文化的なことに手を出しているんです」時代を隔てた目に見えない心の繋がりがそうさせるのか、石川さんは祖父の辿った軌跡を歩んでいるようである。
さて、今回の訪問の目的は蒐集品を拝見することである。「私はどちらかというと数を蒐めることが目的ではないですね」これまでにも何度かふれてきたが、コレクターにもタイプがある。ひとつの分野に拘って厖大な数を蒐集することを目的としておられる方と、ご自身の美意識に基づき、世間的な価値にこだわらない視点で蒐集する方である。石川さんはその後者の方であろう。身辺の気持ちよい空間を演出したり、ご自身の創作にインスピレーションをもたらしてくれるような造形物や、研究に関わる資料となる品がいつの間にか蒐まってしまったという様相なのである。だからなのかモノの国籍はアジア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、オセアニアと五代大陸を網羅しているし、時代も古代から現代にいたるすべてのモノが揃っている。種類も陶器から木工品、金工品、布、紙、ガラス、家具、現代美術、版画、とさながら小さな博物館だ。「中でもまあ特徴があるとすれば、藤井達吉物と、マイノリティーに対する興味からアイヌ(8)物、それと仕事がらみで子どもに関する物、そんなところでしょうか」実は石川さんはこの取材のためにお手持ちの蒐集品目録を用意して下さったのだが、数を蒐めることが目的ではないと言いながら、その数ざっと200点はあるだろうと思われる。お子さん二人のおもちゃの数よりもパパのおもちゃの方が確実に多い。クラウディアさんも何かと大変だろうなと苦笑を禁じえないが、石川さんの肩を持つならば、この一見浪費とも無駄ともとれる遍歴があったからこそ今の石川さんがある、とも言えるのだ。その数もさることながら、ざっと拝見してもよく選び抜かれたモノの質の高さに感心する。こういった見識と美意識を高めるのは簡単なことではない。この200点はそのための大事な過程であったと考えれば充分に元も引けるというものだ。(これは道具屋の側からのささやかな罪滅ぼしの言でもある)
一昔前では手に取って見えないようなものが今では比較的安価で手に入れられるようになった。情報は求めれば簡単に入手できる。その気さえあれば現代人は古人の何十倍もの速度で何百倍もの知識と経験を積むことが可能となった。弘法大師空海が「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」(9)と説いたように方向を間違えず、モノを通じて古代の人々が追い求めた心のよりどころを求めることに努めれば現代は財閥の領袖でなくともかなり質の高いコレクションが形成できるのである。
「せっかくお越しいただいたのだから、碧南の藤井達吉美術館(10)と西方寺の清澤満之記念館(11)、それと我が家の菩提寺でもある海徳寺(12)、ちょっと足を伸ばして西尾の岩瀬文庫(13)へ行ってみませんか」一度行ってみたいと思いながらなかなかその機会がなかったところなので、石川さんのうれしいお誘いに二つ返事で答え、我々は車中の人となった。紙数が尽きてきたので、ここではその詳細を記せないが、その四ヶ所の館内に踏み入るたびに大変心が動いた。大袈裟に言えば、かつてその場所で何かを求めて生きた人々の心が伝わってくるような気がした。
その日、伊勢湾岸自動車道から眺めた物質の集積たる都市景観も元はといえば人間の心の営みが生み出した壮大なパノラマである。建造物と建造物を結び付けているものはつまりは人間の心であると言うこともできる。この一文の中で何度も“心”という言葉を用いてきたのは、石川さんが人やモノと関わる際にその心の繋がりを大事にされてきたことを感じたから。以心伝心とは言葉の力に頼らず、心を以って心を伝えていくことだが、先人の心を受け継ぎ、周りの人々と心を以て繋がり、次の世代へ正しく心を伝えていくこと、と理解することもできる。
“生きることはせつない心の営みを積み重ねることである”と誰かが言ったが、石川さんも人生の折り返し地点を回りきった実感をお持ちなのか、「より具体的に生きていくことを考えています」とのこと。築き上げてきた心の繋がりをより深めて、益々よいお仕事を重ねていただきたいと大いに期待するものである。
下のお子さんを保育園へお迎えに行く時間が迫っているというのに、つい無駄話をしてしまい引き止めてしまった。刈谷まで戻って来た時にはすでに午後の四時半を少し回っていた。
了
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『心を以って心を伝えていく仕事~石川博章(大学准教授)』
服部清人
円空仏(荒子観音)の
拓本
拓本 磯貝利彦氏
photo 石川さん
アイヌのイタ(盆)の上に
イクパスイ(上)
photo 石川さん
儀礼の際に、酒をつけて神々に向けて揺らしながら祈りをささげる木製の用具。表面にはアイヌ文様が彫刻されている。これは通常見かけるものよりも長く、また、めずらしく漆塗であり、アイヌ人は漆を持たなかったので和人への特注品と思われる。
ニンカリ(下)
金属製の女性用耳飾りである。飾り金具とガラス玉がつけられている。これも通常のものより大きいので、タマサイ(首飾り)につけて首から提げたものと思われる。
くらわんか皿各種
photo 石川さん
筒描2種
湯上げ(現代で言えば子どものバスタオル)
photo 石川さん
アフリカ布4種
カラフルなものはガーナのケンテクロス
photo 石川さん
西方寺山門
①おさえ瓦
photo 石川さん
②おさえ瓦文様の拓本
拓本 磯貝利彦氏
photo 石川さん
根来塗折敷盆大中、菓子盆、豆子
photo 石川さん
石川さんの作品
「九六 弥生」 木・漆
日本芙蓉手皿各種
photo 石川さん
八木一夫の皿と
北大路魯山人の猪口
photo 石川さん
バーナード・リーチ
「菓子皿」
寛次郎の鐘溪窯での製作
photo:石川さん
浜田庄司と河井寛次郎
「茶碗」
photo:石川さん
舟箪笥とそば猪口
photo 石川さん
箱各種
上はラオス朱塗箱、
中はペプシコーラの箱
下は李朝時代の箱
photo 石川さん
碧南市藤井達吉現代美術館
清澤満之記念館
1600年代のアジア地図 銅版画(上)
右隅にはとても日本とは思えない形の日本列島がしるされている。
長女かりんちゃんの作品(下)
小学校4年生の時作った作品。ダンボールで作られ着色されている。
染付福字皿(上)は北大路魯山人作 彫像(左下)はアフリカのもの
皿(右下)は芙蓉手染付皿
photo:石川さん