ニューノーマルの時代   
                  裏千家がオンライン茶道学
                                                   ななえせいじ
 
 ニューノーマル時代の流行語は「オンライン」。(私的解釈です)
 すでに学校教育の現場ではオンラインによる授業が行われており、職場でも自宅から仕事に参加するという構図も珍しくありません。テレビのワイドショーの出演者もオンラインで参加しております。さすがにオリンピック競技はオンラインとはいきません。コロナ対策は無観客やむなし。
 さすれば茶会はどうなるの。無観客では経費が賄えません。寄付を募るかチケットを売りさばくか。この現実はよく理解できますのでなるべく参加して協力するようにしております。
 四百年の歴史を紡いできた茶の湯。コロナと向き合っている現状どうしたものかと注目しておりましたら、茶の湯も明らかにコロナ慣れしていると思いました。市井の茶会の濃茶は各服で行われ、大寄せの場合、客の間はしっかり距離をとり入場制限してやっているようであります。
 果たして窮すれば智慧が出てくるものらしく、その手法はオンライン。裏千家はホームページに「茶道学」を開設したようです。のぞいて視ますといささか驚きの文章が載っておりました。
 前家元(現千玄室)がついに引退を決断か・・とありました。続いて「ささやかれる裏事情」と題して二年前の週刊文春の記事のことが書いてありました。それによると「会員らの寄付金は賄賂」との疑惑です。
 裏千家のほんとの裏事情は分かりませんが、茶道の家元制度は一種の宗教活動のようなところがありますから、会員の挨拶料は寄付金かどうか迷うところがありますが、これら一連の記事について宗家はやむなしとの判断があったのではないかと考えられます。あえて膿を出し切るという決意のもとにスキャンダルを容認したようであります。
 確かに裏千家は「家元は親、同門は兄弟」との共通理念のもとに大きくなりました。仮に賄賂性があったとしてもここまで所帯を大きくした大宗匠の功労金と思えば社中の多くは納得するでしょう。しかし、いい気になるのはここまでです。コロナ禍に茶道界とて無風ではありません。現家元は将来を見据え大宗匠に勇気ある引導を渡したのでありましょう。今後の茶の湯の在り方はひと昔前に返りながらも延々と引き継がれていくでしょう。現家元はアフターコロナを見据えて苦渋の選択をしたのだと解釈しております。
しかし敵は目に見えないコロナ。家元の勇気ある決断に多くの会員は納得し内実は「オドロキ、モモノキ、何の木」と混乱したに違いありません。
 コロナを機に茶道会は若返りをはかるとすれば、旧態依然とした茶の湯道場の在り方を変えていかねばなりますまい。先生の気分次第で許状がもらえる曖昧模糊とした制度をまず改めなければなりますまい。伝統文化を廃れさせないためにも世間が納得する公明正大な許状制度の確立が必要でしょう。
 門前の小僧経をよみ、といいますが茶の湯等の日本の伝統文化の多くは家元制度をとっております。宗家に生まれた子供は知らず知らずにその文化が身についてくるものであります。家元は家元。だからして家元制度が必要なのです。つまり茶道教室の先生方は同門社中の道場主にすぎません。ここのところをはっきり自覚すべきです。コロナ後の宗家はここらあたりをより「見える化」していくのではなかろうか。世に先生と呼ばれる人は沢山おりますが、家元は一人しかおりませんよね。
 前号でコロナは世直しに一役買っている、と書きましたが、茶道界に限らず各種教室の因習にも改革の予兆が出てきたように思います。それでなければコロナに苦しめられている民衆の疲れは癒されないでしょう。趣味は趣味の役割をもって今後も生活に密着していくとしてもただ暇つぶしの世間にいい格好しいのお稽古では自分への投資としては高すぎはしないか。コロナを言い訳に見直そうとする機運が出ているのです。それは当然でしょう。大失業時代にまだ独り身の家族を抱え優雅に趣味に興じている場合じゃないと思い直す人、結構多いのです。お茶お花で家計を支えたという時代は遠い昔のこと。例えば如春庵のように素封家の余禄で嗜んでいた茶の湯の優雅さを真似てはいけません。生き残りをかけて道場間の弟子争奪戦がいよいよ顕在化してきております。人の倫を説く茶の湯の先生としては見苦しい所業じゃありませんか。もっとおおらかに、これがコロナ後に求めてやまないニューノーマルの世界と思いますよ。
                                       おわり
                         
               2021年8月8日
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