日本、今は昔ばなし34
                         令和元年5月1日
                                                    ななえせいじ

 いよいよ令和時代の幕開けであります。平和への思いを強くして共に祝おうじゃありませんか。偶然にも我が家の孫娘がこの日に誕生し、あの木村拓哉さんの娘さんも同じ日であります。私は、人には生まれながらの運命があるものだと思いました。新天皇のご息女愛子さまの誕生日は12月1日です。畏れ多くも孫娘は同学年。つい2日前、孫娘にこの話をしましたら「うん、知っとるよ」とだけであまり関心がなさそうでありました。受験を控えて今年は勝負の年。来年から入試要項が変わるとあって自分のことで精いっぱいなのでしょう。
 ここで令和の時代を考えてみます。
 天皇は退位の日、国民に心から感謝します、とおっしゃられました。ありがたいことです。特に平和への祈念は格別厚かったように思います。日本の皇室がこの先どう変わっていくのか、いささか気にはなりますが、これまでの天皇のご苦心そのものが皇位継承を意義あるものにし、そして新天皇の教育にもなったのでしょう。皇室が今後どう変わろうと、国民は何も心配することはないでしょう。平成天皇は、先の大戦の慰霊と各地の災害地をくまなく訪れ国民を励まされたのはもちろん天皇のやさしさでありますが、国民の信頼にお応えになられたからでありましょう。
 令和の時代が始まりました。国民は次なる皇太子が誰になられるか気になるところであります。皇位継承の順序は男子系と皇室典範に決められているそうでありますが、法律を変えない限り女性は天皇になれない。女帝天皇が歴史上なかったわけではありませんから、愛子さまのことがきになるのであります。これまでに女帝天皇は第33代推古天皇はじめ10人おられます。但しすべて男系で寡婦か未婚女性であったそうです。
 日本、今は昔ばなし。ここでは第41代持統天皇について歴史をひも解いてみます。
持統天皇は天皇になられる前は、天智天皇の皇太弟(天皇の弟)であります大海人皇子(おおあまのこうし)の后でありました。その后こそが後の持統天皇で鵜野讃良皇女(うののさらのみこと)といいました。大海人皇子は後に天武天皇となられます。天智天皇崩御によりその子の大友皇子と皇位継承をめぐって争います。すなわち壬申の乱(672)であります。大海人皇子は皇位を継承し天武天皇となりますが686年崩御、やむなく妃の鵜野讃良皇女が朝政を執らざるを得なくなりました。ところが皇太子の草壁皇子が689年死去したため急遽翌690年4月、皇位を継承し持統天皇となられたのです。
 あの時代、皇位継承は兄から弟へというのが通例であったそうです。ところが天智天皇は自分の息子(大友皇子・後の弘文天皇)に継承させるために画策し争ったのが壬申の乱。」
注 壬申の乱は天智天皇と天武天皇の兄弟の争い。持統天皇は天武天皇の妃。歴史上では天智天皇の息子大友皇子(弘文天皇)と天武天皇の争いとも。

 持統天皇とはどんな人柄であったか、物の本によりますと、沈着で度量が大きく礼にかない、母親としての徳もあり、仏教に対しても熱心で歌をよくしたとあります。有能な統治者であったと日本書紀には書かれているそうであります。
百人一首に撰集された持統天皇の歌は次であります。
 春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香久山
次いで天智天皇の歌は次であります。
 秋の田のかりほの庵の苫を荒み我が衣手は露に濡れつ
 
令和時代はどうなりましょうか?
 次に気になりますのは、政治の行方と世の中の動きであります。スクラップをめくっておりましたら、今の政治について辛辣な意見を言う学者の存在を朝日新聞に見つけました。2014年10月の記事は、早稲田大学の豊永郁子教授のインタビュー記事であります。
 素顔の安倍政権、と題して「一見手堅いが人気取り政策連発」とあります。
「特定秘密保護法」や「集団的自衛権の行使容認」「残業代ゼロという働きかたの導入」など危なっかしい政策ばかり目に付きますと。
「この道しかない」「やればできる」「皆さん共に進もうじゃありませんか」
どれも安倍総理の決め言葉でありますが三つ並ぶと不穏な感じもする、と教授は述べておられます。
 外交がいささか多すぎはしないか、と国民は感じています。多くの経済人を引き連れ世界中にいい顔して、大きな政府の幻を見せているとは教授の言葉。アベノミクスと称して恣意的なバラマキで短期的な景気テコ入れ策で財界を引き寄せているとも。今や様々な業界が安倍政権との関係づくりを競っている。残業代ゼロ政策も財界へのお手盛りの感がある。労働者は際限もなく働かされ連休であっても休まれず、疲労困憊し生活破綻寸前の非正規労働者を多数生み出している。もはやブラック企業は大企業も中小企業もなく全企業に及んでいる。法の支配をないがしろにしているとさえ見えてしまう。

 話変わって、この頃マスコミの正義が見えなくなってきていると思いません? マスコミの概念が変わってきており、多数という尺度が揺らいでいる。身近な存在のはずのメディアはどうか。国民の感覚とずれている。例えば新聞社。記者クラブ制度でニュースは共有、横並び意識が強かった。共存共栄のはずが、この頃ではあからさまにライバル紙を誹謗中傷している。部数が減っているからか、貧すれば鈍する、の傾向ありありなのだ。大きな権力の傘に入るか、あくまでも独自性を保つか、新聞社自身が迷っているのでしょうね。特に期待の若者の新聞ばなれが顕著。月曜日の紙面は薄くてつまらない。テレビも同じような傾向にあるのだろうか。「NHKはこの頃変よ」という投稿がありました。BSは支持しておりますが、民放はつまらないのが多い。局アナを上手に使えばいいものを同じタレントのオンパレードでガチャガチャ、ガヤガヤ、騒がしいばかり。スタジオに居すわったままでうけ狙いの言葉をたれ流している。くだらないと思いません? 面白いのは「ポツンと一軒家」くらい。プロ野球放送の在り方も欲求不満がたまるばかり。まず解説者がうるさい。トーク番組じゃありませんよ。放送するなら全部やってほしい。放送局も斜陽産業?若者のテレビばなれ? 確かにニュースはスマホのほうが速い。
 SMSやLINE、それにAI、インターネットなど目の前に展開するのは既存の企業を脅かす不況要因ばかり。人手不足というのに不要人員が増えていく。生きにくい世の中だからか、自分ばなれを決行する人が増えているという皮肉な社会。
 先の豊永郁子先生は「理不尽な行政や立法についてメディアの役割は重要だ」と言っております。 若者の何々ばなれは国の衰退を意味しますよ。令和時代は差別を縮小し自分に合った職業が選択でき、日本国民ならば誰でも希望をもって生きていける世の中になってほしいのであります。合掌。
 
                                          2019年4月30日
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