日本、今は昔ばなし30
                      今こそ現代版「生類憐みの令」
                                                    ななえせいじ

 テレビの世界猫歩きを見ていて世界の猫と日本の猫と顔つきが違うように思いました。猫に生活感の違いを垣間見るのです。
 猫だって猫の世界がある。生活環境によって顔つきが違って当然。どう違って見えるのか。日本の猫たちは人に出逢うと何かされやしないかとの警戒心をにじませているように見えます。人と猫は昔から一体であるはずなのに、人間不信からなのか警戒心が透けて見えるのです。足をすくめ見上げるような目つきでいかなる災難にも対応できるように身構えております。吾は猫なりの威厳がない。石もて追われるというような過去の被害妄想からか、それはきっと猫自身が抱えているトラウマなのでありましょう。猫といえども人見知りならぬ猫見知りするものなのか。日本の猫たちは普段はきっと肩身が狭い思いで生活しているのでしょうね。
 テレビの町歩きに登場する世界の猫は実に穏やかで人と共存し互いに癒し癒されあっている。確かに映画の登場猫にされている部分があるかもしれないが、日本の猫とは違う性格を備えているように見えるのです。
 日本の猫たちの声を拾ってみました。
 人間がとても怖いのです。たまに遭遇しますと、吾輩は人間様であるぞ、とした威圧感か、脅迫感か、何だか分からないがそんな類の感情に包まれてしまうのです。かといって、生きていく上で大切なパートナーでありますから、つかず離れず適当な距離感で従っていくより仕方ないのであります。吾輩はあくまでこの国に住まう猫の立場でしかありません。その人間様においてさえ近頃は厳しい現実に苦しんでいる様子が分かるのであります。特に若者は就職、結婚、人付き合いなどなどに気苦労し疲れきっており、それがためにぎすぎすしているようなのです。ためにわれわれ猫にとって危険な存在になっているのです。分からんでもありません。何々離れ、という若者現象が世の中をマイナス方向に動かし、先行きの展望が見えなくしているから、猫ごときに関わっておれない、というところでしょう。では老人は? 確かに優しく接してくれる人もいますが、餌の提供だけでわれわれに理解を示した風な態度は有難迷惑というものであります。特に近頃の老人は、威張りくさってばかり、訳も分からず切れてしまう傍迷惑な厄介ものばかり、そういう人に限って元々健全な家庭が築けていないから、いら立ちのはけ口にわれわれ猫に当たるのだろうと思います。お門違いというものです。
 今社会は確かに理不尽な現実が頻発しております。町中の猫の生きざまがそれを物語っております。若者と老人、この両極の世代が加害者となったり被害者となったりで尊属殺人や虐待事件をおこしている。特にここ最近、子供の虐待死が問題になっております。動物の虐待もかなりあるらしい。こうした事件の背景は寛容さを失った索漠とした心のあり様がまざまざと見て取れるのです。

 日本、今は昔ばなし。貞享4年(1687)10月10日、将軍綱吉は世にいう「生類憐みの令」を発しました。この令は、儒教を尊んだ綱吉が「人々が仁心を育むように」を一番のモットーにしていたようであります。歴史上では犬公方といわれておりますが、対象は犬だけではなくあらゆる生類にありました。猫、鳥、魚類、貝類、昆虫類にまで及んでいたようであります。従って鷹狩りが好きだった将軍は自らも鷹狩りを一切しないことを決めていたというのです。実は、この本当の狙いは法令に見られるように、当時横行した捨て子や病人に対しての応急措置にあったというものです。世に天下の悪法といわれていますが、必ずしもそうとばかり言えないのであります。将軍の儒教心は捨てられる運命の子どもを救い、医者にも罹れない老人の命の救いにありました。悪法にしたのは取り巻きの運用にあった、というものであります。皮肉にも、この悪法が現世において見直されているというのです。
 先ごろ政府は頻発する児童虐待死事件に対応して虐待防止法の制定を急ぎました。これは現代版「生類憐みの令」にどこかで似ているように思えるのです。犬、猫などの動物にはすでに動物愛護法があります。思うに肝心な人間には、法治国家をいいことに、あとは理性に任せて児童のような弱い対象を置き去りにしてきたきらいがありました。本当は人間ほど酷いことをする動物はいないのにね。
 国連機関が先ごろ発表した世界の国の幸福度調査で日本は何と世界156ケ国中、58位だとの報道がありました。注目すべき点は、「寛容度」が日本は92位であります。先進国の最下位であります。その一方で、健康寿命は2位、一人当たりのGDPは24位というのですからね。少子高齢化社会の日本の実態がそのまま世界に晒されてしまいました。
 今や、とくに日本の若者は、日本は不寛容、自分で幸福の基準を選択していくべきだと考えております。自然と向き合って生きていく人や、起業する人、適した職場に転職する人が増えております。
日本の猫たちも世界の猫に劣らぬ生活が出来る時がいつ来るのだろうか。
                                            2019年3月27日
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