老いぼれ探偵の街角ウオッチ_8 
     
            コロナウイルス騒動で日本が変わる

                                                    ななえせいじ
 
 不条理な人間社会を国民皆が納得のいくように改革出来るとしたならその人に委ねようじゃありませんか。ところが新型ウイルスは、政治力をも出し抜いている。改革を推進するにはウイルスのひとかけらもあればいい、とした不謹慎なジョークもこの際、許されてしまいそうである。
 ところが、これがあながち的外れでないらしいのだ。今回の新型ウイルスの人間社会に及ぼす影響は、政治家の口先介入を凌駕している。出来ない政治家はいらないし、これほど政治家の対応能力が問われたことが過去にあっただろうか。はからずもウイルスは、政治と経済の仕組みに強烈な鉄槌を降りおろしたのである。
 人間は、まず無菌状態にならされている。警戒心なく無防備に生活できる結果が抵抗力のないひ弱な人間にしてしまったという現実は無視できないのである。もちろんウイルスを侮ってはいけませんが、経済発展とともに、快適な住空間、安心安全に担保された食生活、スポーツ、演劇、ライブ、旅行など娯楽、趣味に至るまでありとあらゆる機会に無警戒に入っていけるだけの国民経済力の向上は、政治の力の結果なのでしょうか。しかしその結末は、未知のアレルギー体質や病気を作り出し、対応に苦慮する困難と、未来型病気原因を生み出している。一見仲睦ましい共同社会に見えるのだが、いったん予期せぬ事態に遭遇すると、他人はどうあれ自己中心の邪な人間を多数生みだしている。マスクを買い占めたり、デマを流したり、政府の指示を無視したり、あさましい現実はすでに見ての通りであります。生活の向上と引き換えに日本人は考える力を失ってしまっている。不寛容、不条理で矛盾に満ちた構造社会を容認しているのである。
 病は気からというけれど、その前に貧困と格差を容認する社会構造があるということも気に留めておいてほしいのです。
 新型コロナウイルスは姿を見せずに人間の体内に忍び込んでくるわけですからこれほど厄介な敵はありません。すでに経済面は多大な影響を受けております。消費は低迷し売り上げは不振、街中の食堂は開店休業状態、工場は操業短縮、学校は休校、旅行や出張は中止、各種イベントも自粛か中止。姿なきウイルスはビザ不要で滲入自由ときている。輸出主導の日本企業は円高に見舞われ、株価は暴落、おまけに年度末ときているから赤字決算は覚悟の上とか。期限の取り決めのないウイルスだから何事にも結論を見い出せないでいる。日本企業の試練と修行はこの先いつまで続くのでしょうか。
 災い転じて福となす、日本にはいい諺があります。働き方改革、とはいかにも耳ざわりはいいが、その実は労働搾取につながりかねない危ない部分が含んでいるのです。戦後(古い言葉です)の目覚ましい発展の裏には国民の「耐えがたきを耐え」の辛抱があったということを忘れてはいけないのです。昭和、平成、令和という時代の過程で国民生活は確かに向上しました。平和は確かに有難い。国民は高等教育を難なく受けられるようになりました。何も不自由はないはずなのに、高等教育を受けた国民は、世帯構造の変化とともに考える力を失っているように思います。国から与えられ慣れしているためか、それが当然と思い、すぐさま不平不満を口にするようになりました。60年前、当時安保闘争という激しく国と対立した時代がありました。よくは判りませんでしたが、あの時国民は間違いなく主張したのであります。時代は移って今、働き方改革にものすごい不満があるはずなのに、安保の時代の時のように激しく抵抗する勇気ある人は見かけません。香港のデモ闘争と比較するのはそぐいませんが、日本の若者にないものを見た気がいたします。それだけ日本は、平和であり幸せなのでしょうね。
 しかし、いつまでもあると思うな親と金、まさに団塊世代が後期高齢に差し掛かった今、親の世代に無業の若者を養う力はありません。どうしたらいい?
 きっとこのコロナウイルスは、若者を目覚めさせる方向へと誘導するでありましょう。働き方でなくして、「働かざる者は食うべからず」(働こうとしないものは、食べることもしてはならない)とした基本的な精神訓に気づかされるでありましょう。この言葉は決して強いもの勝ちを煽っているのではありません。他人をおもんぱかりかつ共存共栄していく心こそが真の働き方改革につながるのだ、とこのウイルス騒動は示唆しているのであります。
                                      (つづく)
                       
                  2020年3月9日
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