老いぼれ探偵の街角ウオッチ_6 
     
   不条理、不平等、不謹慎などなど「不」尽くしの令和時代

                                                    ななえせいじ
 
 京都の友達から一年振りに電話をもらいました。要件の一つは何々さんが死んだというもの。こちらの消息を確かめる意味合いもあったのでしょう。何十年来の友であるから話し始めたらきりがありません。最後は「景気は悪くなるね」で一致しました。その友は80をとうに超してはおりますが、ろれつが少し回らない程度で頭はシャープであります。互いの話に共鳴する部分があります。
 世間をあざむくようにウイルス騒動は終息の気配を見せません。株価はらせん階段を降りるように下がるばかりであります。まさしく景気動向は「不透明」の領域に入ったようであります。(勝手な予測であります)。
 不確実性時代から不透明社会へ(勝手な主張であります)。今の社会を短く表現いたしますと、この世は強いもの勝ちで不条理、不平等、権力者は不遜で不謹慎、おまけにふしだら。経済は不透明、労働の配分は不平等、国のバランスは不均衡、国民のふところを当てにしてか国債頼りの借金財政。
 その国民の資産を形成する大なるものは不動産。ところが急速な高齢化、少子化社会とあって不動産は流動性を失ってしまいました。親からもらったせっかくの不動産は負動産となり、あげくは死産となる、こんな不条理な社会にあなたはどう対処していくつもりですか? 「自己管理」?しかありません。正直「管理」という言葉は好きでありません。「言うは易し」ですが、究極は「出る」と「入る」の計算が出来るかにつきます。電源に言うONとOFFであります。何が何でも生活の上では赤字を無くすることであります。
 いまの政治には不満があります。一票の力しかありませんが精神面だけでもゆとりを持とうではありませんか。それは生活の収支のバランスを黒字にすることから始まります。はじめは苦労しますが、そのうちに不思議と余裕が出てくるのです。腹をすかして良く働けば、健康にもいい。出費の多い付き合いも自然と淘汰される。「武士は喰わねど」の心境が理解出来るというものです。こうなれば楽しくなってきます。もちろん楽観論はよろしくありませんが、成功者はこれくらいの苦労は厭わないと言います。
 こんな主張を新聞で読みました。災害対応の危機に際して「危機を管理する」という発想そのものが傲慢であると。こうも言っております。予測できない事態だからこそ危機であるのだと。だから管理が出来ないまでも「対応」は出来るのだとも。確かに自然災害の原点は自然を管理するという傲慢な感覚にあるように思います。異常な災害が多発した昨今を顧みますとどうも人間は、その昔の空海や行基にいいお手本があったはずなのに自然を征服できるとした思い上がり、傲慢さにあったのではなかろうかと。「管理」よりも「対応」に重きを置いた決断が必要であると論説はいい、求められるのは「危機の哲学である」といっております。まさに家計にだって哲学が必要なのであります。 
 国民は管理されることには慣れておりますが、自己管理が最も苦手であります。若者を評して「指示待ち族」とはよく言ったものです。高度経済期が終わった頃からでしょうかね。自発性にあふれる若者が生まれるとしたら団塊ジュニアの孫の時代の頃になりましょうかね。爺は草葉の陰で見守っております。
                       
                  2020年2月29日
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