老いぼれ探偵の街角ウオッチ_20
           人間は欲得にて本来の道筋より脱線して苦しむ(2)

                                                    ななえせいじ
 
 コロナの影響で大学生はじめ高校生もみんなが今苦しんでおります。特に大学生は学費のこと、就活のこと、そして勉学のこと。これに加えて突然降ってわいた9月入学論議。我が家の孫娘にとっても4月に入学したばかりだから様子が分からず戸惑っているようであります。
 それはさておき、今の大学制度は教育を事業にしてしまっている感があります。貧乏人は麦飯を食え(池田勇人の失言)とは、高度経済成長期の入り口に差し掛かった頃の流行語でありますが、今の大学教育制度では貧乏人には確かにお金がかかりすぎると思います。大学は出たけれど、という言葉はかつての就職氷河期にありましたが、今日では大学は入ったけれど学費に苦労するというのが今の学生の実態であります。少しばかり貧乏人であるばかりに学生生活が送れないようなあり方、物であふれる今日的社会にあっておかしくない? つまり教育の機会均等と教育環境は必ずしも公平ではないということが苦慮されるのです。
 まず入学試験。人生百年時代といわれるこの時世にたった数年でその人の人生が決まってしまうような学力選別に疑問を感じます。未成熟な人間の内から一流大学、一流企業といった人生コースが構造として存在している社会。たった一度で人間をえり分けていいものかどうか。この辺の制度を改める余地があるのではないかと。
 ともかく試験というのはまるで選果機のように選別し序列化するから嫌いであります。特に偏差値は、学習塾が事業主体に据えて競争を煽っている点がいただけません。かくして日本の入試制度では一流大学に合格した時点で勝ち組との意識が植え付けられてしまう。しかしこのプライドだけでは生きていけないのが実社会。必ずしも人生の勝ち組じゃないからです。(ただし大部分の人は確かに優れております)。
 コロナ後は、一流企業とか一流大学の概念が変わっていくでしょう。官僚の人間力を見ても分かりますし、江戸時代じゃあるまいし切り捨てごめんを権利と思ってか実行する冷淡さ、これすべてが人間の内面に潜むヒエラルキーの表れなのです。
 次に就活。今の学生は、もう3年時から就活に奔走するそうです。4年次は、ほとんど学校に行かないで就活に奔走する。これが理解できない。
 コロナ不況を契機に学生の就活の在り方も変わっていくでしょう。
 日本では一流大学と一流企業との関係は非常に濃い。これは日本経済のかなめでもあります。
 日本に商工会議所が出来て百数十年でしかない。上場企業は1部、2部、他を併せても3700社、業歴百年以上の企業となりますと全体400万社の内の数千社に過ぎない。売り上げ規模ともなれば上場の3700社余の大企業でGDPの大部分を占めております。だからして大企業は傲慢に陥りやすい。
 コロナによる外出自粛は、外食などのサービス業者を直撃しました。このインターバルが事業主に考える力を与え、例えばテイクアウトとかデリバリーとかで大企業の社員が思いつかない工夫をなしました。
 コロナで心配なのは、学費が払えない苦学生のことです。奨学金で生活費まで工面している人が結構多い。奨学金は、給付型でない貸与型は返済の義務を負いますから人生のスタートから借金を背負うことになります。バブル期ならともかくこの借金は重い。つまりスッカラカンシップと異名される奨学金はなるべくなら利用しないほうが良いのでは。大学出ばかりのこの時世にあって無理して大学に行く必要がないと思いますよ。何かに熱意があれば高卒の資格で十分やっていけます。学歴だけの人より自分に自信を持った人の方がどれだけ社会に役だっているかということを知っておいてほしいのです。
 人生百年時代、勝負はこれからです。学歴という価値観は、コロナ後は大きく変化していくはずであります。
 変化の兆しは、確かにあります。外出自粛の巣ごもり生活で日本国民は多くのことに気づかされたようであります。その一つが感謝の気持ちとなって表れております。医療現場への感謝、ごみ収集係への感謝、寄付を申し出るのは社会への感謝、こういう感謝は学費に追われる学生にはなかなか芽生えるものじゃありません。感謝の気持ちは心の余裕。大学って何だろう?と考える時であります。
                        
                 2020年5月18日
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