老いぼれ探偵の街角ウオッチ 
     
              公序良俗と心外無別法
                                                    ななえせいじ
 
 あおり事件は、かつては考えられなかった。ところがここへきて迷惑運転との社会批判を浴びて法律で規制することになりました。最近では時速10キロという逆あおり事件まで起こりました。違反と法律とが鼬ごっこを繰り返しております。何とも皮肉な現実なのであります。
 法律は文字でしかありません。解せないのはその解釈によって罪の意識が薄らぎ交通法規に対する違反意識が無くなってしまう事であります。こんな現実が頻繁に起こるとしたら法治国家の面目が立ちません。こんな交通違反が罷り通るとしたなら法治国家といえるのでしょうか。法秩序は何が何でも護らねばならない。
 法を平気で犯す人がこの頃多すぎはしませんか。世の中が平穏であるからなのでしょうか。一体その人はどういう魂胆からなのでしょうか。
 法は人間社会の最低のルールであります。法を犯しても「捕まらなきゃいい」「バレなきゃいい」とした次元の問題ではありません。
 人間のマッスルは法によってできているのではありません。人間の肉体に宿るものは、心とか、思いとかのスピリッツであります。つまり人間を規制、縛るものは法ではなくて、紛れもなくその人の理性、心であるはずであります。仏法は「心外無別法(しんげむべっぽう)を説きます。法の上に存在するものは、心、智、仁、といった理性とでもいえるものなのだと。つまり、世間ではこれを「公序良俗」という言葉で表現します。これは「自然法」といえるものと解釈しています。
 さて、あおり運転のことであります。私はあおり運転をしたことはありませんが交通法規を犯したことはあります。捕まらなくてよかったと思ったこともあります。現行犯でなかったからか罪に問われておりません。でも違反は違反なのです。ただ「運が良かった」だけなのであります。繰り返し違反する人との違いは、この部分にどんな意識を抱いていたかにあると思います。
 自動車運転に限らず市民は、日常生活において法律を常に意識しなくても普段の心のありようによって無意識に法を遵守しているのであります。
 例えばゴーンさんの事件をどう解釈するか。無罪を主張するゴーンさんはきっと腹のうちに罪の意識は持ち合わせていなかったでありましょう。多少の「公序良俗違反」くらいに思っているのではなかったか。いかに強欲に報酬を手にしても、ゴーンさんの意識は、「自分が法だ」くらいの権勢欲にまみれた「思い上がり」にあったのではないでしょうか。
 ゴーンさんは無実と主張しながら裁判から逃亡したのですからどこかに罪の意識があったかもしれない。こんなゴーンさんの暴走を許した日産とい会社は、大会社の間違った組織力にあるのではないだろうか。(失礼、でも周りの人の見方はこのようであります)
 日産に限らず、わが国のリーディングカンパニーは、おもてなしとか、思いやりといった曖昧 な集団経営により結果として警衛をまずくしている。何億円も使い込まれても気づかない、そうかと思えば架空の取引で何百億円も損失を被ってしまう。
令和の新時代は、サラリーマン社長の組織で動く経営手法は、AI時代にこれからは方向転換 を余儀なくされましょう。
 落とした財布がほぼ無事に戻ってくる国柄であります。公序良俗意識は法よりも強く日本人の連帯意識にあります。人をだまさない文化が日本のであります。
 令和の時代は「心外無別法」と「自己管理」が一層問われるでありましょう。
                       
                  2020年1月23日
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