老いぼれ探偵の街角ウオッチ_15
                  天平時代に学ぶ 奈良の大仏さんは泣いている

                                                    ななえせいじ
 
 コロナウイルスによる死者は日々増えております。歴史上では14世紀のペスト菌があります。その時、欧州の人口は半減したとまでいわれております。チフスにせよ、コレラにせよ、天然痘にせよ、歴史を変えたとされる大流行は多くの人命を奪ってきました。第一次大戦時のスペイン風邪の場合、世界中で5000万人も死んだそうです。これがゆえに戦争は中止されました。姿なきウイルスはそれほど怖いのです。
 子供の頃、肺病は不治の病とされ恐れられました。研究者の努力により根治されましたが、ここにきてたまさか発症する人があると聞きます。病原菌は根治してもゼロではないため、再生した菌はより強く進化するものらしい。確かにコロナウイルスは初期の感染の時より強くなっているように思います。マジで「舐めたらあかんで」と老若男女関係なく執拗に三密(密閉、密接、密集)を警告するのはこのためなのであります。経済を優先に考えたためか生ぬるい対策で乗り切ろうとしたようであります。ところが感染は広がるばかり、そこで慌てた政府は全国に向けて緊急事態宣言を発令しました。地方の自治体はその対応に苦慮しているようであります。気の毒なのは現場のお医者さんであります。マンパワー不足のため対応は追い付かず疲労困憊しておられます。大変なこのご苦労に感謝するよりほかありません。

 話は天然痘が流行した天平時代にさかのぼります。天然痘が日本全土に蔓延した時、朝廷はいかなる手を打ったか、参考にならないまでも気に留めてほしいのです。
 天平時代のわが国は華々しい時代であったとされます。今でいえば景気が良くて人々の暮らしも安定していただろうと想像できます。ところがこの華々しい時代も藤原家の権力争いで政局は混迷します。耕地は荒れ放題、ために天皇は墾田永年私財法を制定します。当時は画期的な法律であります。しかし、不幸にも大地震、火災、飢饉、干ばつ、洪水といった大災害に加え天然痘が流行ります。一挙に苦しい時代となったのです。
 コロナに見舞われている今日、千三百年前と似たところがあるように思います。
 天然痘が流行したのは天平9年(737年)であります。時の政府高官の藤原四兄弟はこの天然痘で相次いで死亡しています。天平12年には藤原広嗣の乱が起こり政局は大いに乱れます。
 時は聖武天皇の時代。苦しんだ天皇は災いをおさめんと10年間に恭(く)仁(に)京(きょう)(現京都府木津川)、紫香楽京(現信楽)、難波京(現大阪市)にと遷都、人心を纏めようとしますが官民の反発強く結局元の平城京(現奈良)に戻ることになります。
 奈良の大仏さまは、聖武天皇が疫病平癒を願って建立したものであります。天平20年(745年)に詔を発して建造に着手、752年に完成いたします。この時政治の根本に据えた経典が華厳経であったとされます。華厳教は無限大の宇宙を表現することが出来る仏教であり、人々が思いやりの精神で繋がることが出来る教えが込められているとのことであります。大仏さまの身長をお釈迦さまの10倍の大きさにすることで無限大の宇宙を表現することが出来るのだと華厳経は説いているそうであります。
 大仏さまの正式な名前は盧舎那仏(るしゃなぶつ)といい、勧進元は国民的信望厚い行基が天皇の名の下に就任しました。
 その後、大仏殿は何度も火災など苦難にあいながらも最初が貞観3年(861年)に以後鎌倉時代、室町時代、江戸時代と再建されております。
 江戸は元禄時代。豊臣秀吉の方広寺の大仏建立の時であります。家康が国家安康の鐘銘で難癖をつけた話は有名であります。その時の大仏さまは、奈良の大仏さまを4メートルも凌ぐ高さであったとされます。1595年、大仏はほぼ完成しました、運悪く慶長伏見地震によりあえなく倒壊してしまいます。秀吉の願いとはいえ奈良の大仏さまを上回ってはだめでしょう。今の世ならば2番ではだめですか?と。やはり秀吉の傲慢不遜が招いた戒めなのだと考えてしまいます。
 人間のやることなすことはどこかでその心中が炙りだされるものであります。例えば手柄を強調するあまり、過去最高だと表現したとすれば聞く人はスマートに受け取れないものであります。ことほど左様に激動の現代は出世も早いが転落も早いとの心得が必要であります。
 コロナよコロナ、もう分かったから鎮まっておくれじゃないかえ。
 4月18日放送の奈良飛鳥時代にタイムスリップした「ブラタモリ」面白かったな。
                        
                2020年4月21日
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