老いぼれ探偵の街角ウオッチ_14
                      麒麟がくる  コロナはくるな

                                                    ななえせいじ
 
 コロナの感染力は強烈らしい。感染から逃れるには「外出しない」に限るというもの。でも、不要不急の外出は控えるといわれても政府が望む80%には程遠いらしい。特に若者の感染が増えているという。自分ファーストの若者の行動は抑えられない。結局は他人を巻き込み、被害を拡散している。政府が法的根拠を持たせて緊急事態宣言を出しても「お願いされた」程度と思ってか事態の深刻さを理解していない。喧々諤々討論しているテレビ番組も「ショー」化している。どこやらの国だったと思います。外出禁止令に罰則を設け違反者に罰金を課すという思い切った手を打っている国があった。世界の危機と認識する国連もこうした動きに理解を示しているようであります。片や日本は生ぬるいと世界から批判される始末です。
 そこには国柄の違いを痛く感じます。武士道の歴史的背景はともかく、そもそも経済大国になった過程にあると思うのです。その原動力は企業中心社会にあったと思います。財界という組織は、大きいことは良いことだとした価値観を働く者たちと共有しました。そしていつの間にか残業も厭わない滅私奉公型会社員を生みました。
 さて、そこでコロナで揺れる今を検証しましよう。外出自粛が繰り返し要請されているにも拘わらずビジネス街の人出はそれほど減っていないそうであります。日本のサラリーマンは働き蜂習性で休むことは罪悪だと思っている節があります。家に居ることはさぼりの感覚であります。在宅勤務、テレワークは苦痛の種でしかありません。ライバルの動向も気になり、もともと用もないのに出かけてしまう習性があります。もともと家が小さいから男の居場所がありません。などなど日本的事情が絡み会社に対してへんに忠誠心が働いてしまうのです。コロナ問題をもう一つ深刻にとらえられないようなのです。
 コロナ騒動は自分ファーストに奔る国も個人も、ここは冷静に神がくれたインターバルなのだと考えてしかるべきでしょう。そんなわけで今が過度機なのだと思います。例えばほとんど家庭で見なくなったミシンが売れているというのは、マスクがないと騒いでいる暇があるなら自分で縫ったらどうだといわぬばかりに裁縫という家庭内労働を気づかせてくれました。贅沢のステータスであった外食が見直され、素材から料理をする家庭料理が静かに復活しつつあるようです。共稼ぎ家庭が今後も増えるとなれば、男子も厨房に入るは当然でしょう。企業中心社会も働く者中心社会へ変化するでしょう。国内に大勢の無業者があるのに製造基地を海外に求めるという矛盾も解決していくでしょう。
 さてコロナ終息後であります。経済は行く川の流れのように絶えることはありませんが、これから先は方丈記にいうように元の川にあらずかもしれませんよ。まず自分の居場所があるのかないのか、あったとしてもどこに流されるか不安、雇用は維持されたとしても正社員なのかどうか、給料が前のように補償されるかどうか、などなど不安は尽きないのであります。企業規模、業態によってもサラリーマンは千差万別でありますが、コロナ後は明暗が分かれます。その時あなたはどうしますか、思案に暮れるでしょう。ちょうど大河ドラマの「麒麟がくる」は高視聴率とのこと。会社が無理難題を突き付けてきたとしたら、明智光秀じゃありませんが、本能寺に向かうか、人生最大の思案のしどころとなるでありましょう。暗夜行路をゆかぬように。
 在宅勤務、テレワークはもはや普通の勤務モデルとなりました。大学講義までオンラインの時代です。オンラインによる医療行為も現実のものとなりつつあります。すべての分野で新しい試みが始まっていくでありましょう。これって新タイプの産業革命?
 それにしても詐欺師はすでテレワークを実行し巨万の富を手にしているという現実、なんと皮肉な世の中よ。 
                         
                2020年4月15日 生々文庫目次に戻る
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