日本、今は昔ばなし28
                         茶会の質と満足度
                                                    ななえせいじ

 趣味として茶の湯に親しむのはそれだけでも意義があります。しかし茶会の頻度が高まるにつれ茶会の質が問われております。どういうこと? つまり費用対満足度の乖離であります。今日の茶会のほとんどは大寄せ茶会であります。
 例えば、淡交会主催の新年初茶会の場合はどうか。
 年初の大寄せ茶会でありますから、お客さんを捌くだけでも大変、係りはこれに忙殺されあわただしく終わってしまいます。こうして同じやり方が繰り返されていくのであります。
 翻って客の立場は、正客を敬遠するとしても、さりとて端っこの声も聞こえないような場所も嫌だと思うでありましょう。その時、席をどこにするか迷います。迷った人たちが右往左往して混乱します。こうした光景には慣れておりますが、亭主の声が聞こえない場所が茶席にあるというのが解せないのであります。茶会は亭主と正客とこれに連なる一部の連客だけで進行していっているのが実態であります。これって、一座建立の精神とかけ離れていません?
 ではどうしたら良いのか。スクリーンとマイクを使ったら端っこの人も亭主の講釈を聴くことが出来るのではないか、と思うのであります。
 ところがですよ、数百年の歴史を繋いできた茶の湯の世界にあってこれまで文明の利器は登場していません。つまり昔型の数寄者の縁者だけの少人数の茶会をもって武家、貴族といった上流社会の嗜みの茶の湯として存在してきたのであります。従って茶室は四畳半を主体とした小間であります。その茶室が、時に密談の場であったり、打ち合わせの場になったりで多様でありました。今日では専ら茶道具のお披露目の場としても営まれております。用途は何であっても古くから茶会は茶事に主眼を置き小人数に限られておりました。今日のような大寄せ茶会が普及したのは明治に入ってからで、鈍翁が主催した大師会(1896)にあるとされます。
 茶の湯の普及により今日では初茶会のような大寄せ茶会が当たり前となりました。その顔触れも数寄者ばかりじゃありません、入門したての人も多いのです。よって茶会は多分に興行的な側面を持ってきているのであります。これが近代茶の湯の相(すがた)であります。もちろん茶事は茶事で数寄者は教科に従い忠実に伝統を再現しております。いくら時代が進んでもマイクはもってのほかということになります。私は未だかつてマイクを使った大寄せ茶会席に入ったことはありません。
 では大寄せ茶会はショーなのでしょうか? としたら面白く興行に徹すればいい。それじゃやっぱり駄目でしょう。
 大寄せ茶会であってもその評価は、実は一部の茶人、数寄者、業界のリーダーといった人たちを格別に扱うことによってステータス価値が高まるところにあります。他の大勢の茶友は参加することに意義を見出し、その場の雰囲気で得た「一期一会」に満足してしまうのであります。
 
 日本、今は昔ばなし。天正15年(1587)、豊臣秀吉が催した北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)は、まさしく秀吉が催した茶の湯興行でありました。百姓出の秀吉はコンプレックスの塊でありますから、天下は取ったもののかねてから自分に人気がないことを気にかけておりました。天下人としての自負と世論を味方に付けたいとしたもがきから行き着いたイベントであります。身分の隔てを失くし誰でも参加できるように呼びかけたのはそこに意図があったようであります。あの時代にあっての無礼講は画期的でありました。ところが10日間の予定が九州に不穏な動きありとの噂によりわずか一日で終わっております。であっても、秀吉の目論見である政権を天下に印象付けた意義は大きかったといわれております。
 ともあれ北野大茶湯は、今日でいうテーマパークでありますから設営されたブースは1500ともいわれております。中には珍しいのも登場しました。例えば丿貫(へちかん)の場合は、大きな朱の妻折傘を持ち出しました。これが秀吉の目に留まり、諸役免除の特権が与えられたというのですからね。丿貫(へちかん)といえば奇行の人で知られております。花の代わりに自分の女房を床の間に据えたという話は有名であります。よっぽど美人だったか、それともブスだったかはともあれ、今日でも妻折傘は野点席のみならず結婚式の場でも使われております。
  
  茶会は興行であっても、政治的色彩であっても、純粋な伝統文化の発揚でなければならないでしょう。それは茶道具など伝統文化の伝承も伴い、他のおもてなしとか教養的な伝統文化にまで関わってきますので、ここは業界あげて「先細りの消滅文化」などとうそぶかずに踏ん張ってもらいたいのであります。平成の次が大切な時代になると思いますので、なにかの工夫をもって再び盛り上げていただきたいのであります。
                                             2019年3月8日
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