日本、今は昔ばなし26
                   虐待死をなくすには、皆で考えよう
                                                    ななえせいじ

 千葉県でおこった信じがたい児童虐待死事件、こんな悲しい事件はもう見たくありません。現実とは思えないのです。少し前にも「もうおねがい、ゆるしてください」と悲痛の訴えをした幼な児の虐待死がありました。こんなことが日本で実際に起こっているのです。安心・安全な国とはとても思えません。
 周りの人にどう思うのかと尋ねました。こうして聞き得た結論は、ひどい親と非難する一方で、行政に対する不信感も目立ちました。児童相談所、教育委員会が名指しされたのは言うまでもありません。これら職員の判断の甘さというか、分別のなさというか、その場から逃げた結果なのだとする意見が大勢を占めました。かようなお粗末な取りくみ方、判断力のなさはどこから来ているのでしょうか。公務員特有のペーパーと印鑑重視の仕事の進め方に問題が潜んでいるように思います。現場では手続き重視の不文律があるのでは? いいかえれば、事なかれ主義とも言えます。(すいません、自分がそう思うからです)
 日本は三権分立という近代的な政治仕組みを採用しております。立法・司法・行政であります。このいずれの一つに偏っても政治の仕組みはバランスを欠き国政は乱れます。例えばもし立法に偏った部分があったとしたなら、それが多数決であったとしても国民は最大幸福であるという保証はありません。頭数だけの多数決は果たして正義なのか大いに疑問が残るところであります。低い投票率でも頭数で天下が取れる政治の仕組みは真の立憲民主主義なのでしょうか?
 世論調査で、内閣不信が60%以上占めていても、暗い過去に戻りたいのですかと開き直れば支持率が上がる奇妙な国柄でありますからね。ということは、ほどほどに国民は幸せなのでしょうね、きっと。
 今国会で総理は、さすがに心が痛むのでしょう、関係閣僚会議を開き虐待の可能性を認識しているすべての子どもに対し急いで安全確認を行うようにとの指示を出したということです。児童福祉司を前倒しして1000人以上増やすともいっております。
 でも、問題は別のところにあるのではないでしょうか? 児童相談所への虐待相談が年間13万件もあるというのですよ。これ自体が社会問題じゃありませんか?虐待風土が日本にある、ということじゃありませんか? 家庭のことは家庭に任せ、介入しないといった社会通念が、躾だの家庭の方針だのの名の下に見て見ぬふりをするというのが日本の美徳であるらしい。核家族化がもたらした弊害なのでしょうね。女性の就業機会の増加は人手不足解消につながったのはいいが、果たして幸福な家族形成になっているのでしょうか。社会全体で子育てを見守るというような昔の「むこう三軒両隣」というか長屋的連帯意識をもう一度社会に構築していく必要があるのではないでしょうか?
 なんでも、「子どもの死亡記録、検証委員会」によりますと虐待死亡記録は一日平均一人になるそうです。またあるリポーターによりますと、虐待を繰りかえす親の生い立ちが色濃くその子に影響し、その親もまた子供の頃に虐待を受けていたというのが多いのだそうです。

 日本、今は昔ばなし。私が中学生の頃、学校から映画を鑑賞しました。1954年のイタリア映画「道」というものです。正直難しい部分もありましたが、強く印象に残っております。
 薄幸なジェルソミーナは粗暴な大道芸人に買われ一緒に旅をします。虐待的な扱いをされながらも大人しくついていきます。一時は逃げ出しますが、連れ戻されます。その時ジェルソミーナは安心した風に嬉しそうな顔になったのです。粗暴であってもこの旅芸人に縋って生きていくよりしかたがなかったのでしょう。これがまた女の性なのです。ところが旅芸人は粗暴さが高じて昔の仲間を撲殺してしまいます。なきがらの側を離れようとしないジェルソミーナ。粗暴な旅芸人の罪を心の中で償っていたのです。この優しさのゆえにジェルソミーナは心を病みます。旅芸人は役に立たなくなったジェルソミーナを捨てていってしまいます。数年の時が過ぎ、旅芸人はジェルソミーナが好きだった海沿いにやってきました。彼女が口ずさんでいた聞き覚えのある歌を耳にします。村人からジェルソミーナらしきヒトが誰にも看取られずに死んでいったと知らされます。旅芸人は辺りをはばかることなく号泣します。粗暴だった旅芸人はジェルソミーナの優しさにゆり戻され人間性を取り戻した瞬間なのです。 
 先ごろ学校でのいじめ問題で自殺の因果関係を認める画期的な判決が出されました。いじめられ損は許さない社会の方向性となるでありましょう。これが企業内の差別待遇、いじめ問題にも発展していくでありましょう。
 先ごろ教育委員会の人と会食する機会がありました。その時話題になったのが、いま学校の校庭から姿を見なくなった二宮金次郎の像についてであります。
 二宮金次郎は尊徳といい小田原藩の支藩桜藩を財政危機から救った篤実な人であります。勤勉実直、率先垂範でそれを成し遂げました。良い見本なはずなのに、なぜだろう?と思っております。今の教育行政は例えば入試ルールがころころ変わるところを見ても只今迷走中なのでしょうね。
                                            2019年2月15日
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