日本、今は昔ばなし24
                         新年号時代を考える
                                                    ななえせいじ

 新年号を迎える今年は期待と不安が交錯した年明けでありました。そこで新しい時代はどういうトレンドで進むものなのか私なりに考えてみたいと思います。
 まず一番に取り上げたいのはレスレングの吉田沙保里さんの引退であります。長いレスリング人生にひとまず区切りをつけた会見でありました。わが町の英雄であり誇りであります。百何連勝、オリンピック3連覇という偉業は誰もが認めます。お疲れさま以外の言葉は思いつきませんが、心からねぎらいを申し上げます。
 これはいらぬお節介かもしれませんが、この町の住民の一人として国民栄誉賞は辞退してほしかった。イチローのように。と申しますのは数々の記録そのものが名誉であるはずであります。その上に政治色強い栄誉賞はかえって足かせになるのではないかと。(個人的思いです)これが為に吉田さんはある意味束縛され、その後の行動範囲が狭まったように思えるのです。会見での吉田さん、現役時代の闘争心はやわらぎ吹っ切れたように魅力がにじみ出ておりました。ここではお疲れさまではなくして「おめでとう」と申し上げたい。
 次には総理の年頭所感についての感想であります。
 経済は成長し、若者の就職率は最高水準、中小企業の賃上げ率は20年間で最高だとして胸を張り、地域の皆さんが磨きをかけた伝統、文化、心のこもったおもてなしが行き届いていると地方を持ち上げておられました。ところがその地方、創生どころかひとたび何かが起これば「災害おこると人の言う」と譬喩できるようなやぐい地形、地域になっております。昨年を「災」と表した現実をお忘れではないでしょうね。最高水準と胸を張った若者の就職率はブラック企業か非正規社員、やりたい仕事よりやりたくない仕事にばかりシフトされていく実態、これは統計に表れておりません。3Kを敬遠する若者にも問題がありますが、現実は「使い捨て」か「働きバチ」としか見ていない企業側の傲慢さにも問題があるのでしょうね。これは政治の力で根っこのところから断ち切らねば改善されないのではないでしょうか。
 所感に云う伝統文化のひとつ、例えば茶の湯、私が所属する支部は会員数が数年前より40%も激減しております。日本人より外国人の方が熱心という奇妙な現象が起こっております。能狂言、文楽、歌舞伎、その他の伝統文化も敷居が高くて寄り付きがたい。忙しすぎていくら残業しても結果が出せないノルマ地獄、このような効率主義の企業社会では伝統文化などに親しむ時間的余裕が持てないのが実態であります。
 次に注目したいのは、アルペンの希望退職者募集という新聞記事。
 高度経済の一端を担ってきたアルペン。拡大路線をひた走ってきた同社もついに方向転換を考える時が来たのでしょうか? 雪国生れの私はスキー大好き、バブル時代はゴルフに明け暮れ、アルペンさんのお世話になってきました。今では年のせいもありますが、お店の前を通り過ぎるばかり。隔世の感があります。
 人口減と老齢化に苦しむ企業環境はどの業界にあっても避けがたい社会現象でありますが、これがこれからの消費性向に直結すると覚悟して考える時であります。確かな手立てはないが、消費者に支持されるサービスを試行錯誤の内に見つけるよりほかないでしょう。コンビニ、ドラッグストア、衣料、その他いろいろな分野で大量消費時代は終わったのだと認識する時であります。一時的な思い付きで客を引き付けるのではなくて顧客の気持ちをどうとらえるかが大切なのです。
 そういえば景気ってどういうこと? 気持ちの景色、つまり心模様だってことですよね。良い感触、いい印象こそが伸びる企業の条件であります。
 いま政治、行政はおろか、大学、スポーツに至るまでどの部門でも不信だらけです。これでも景気は回復している? おかしくない?

 年明け早々からひったくり事件や、騙り詐欺事件が横行しております。先ごろでは日銀と名乗る人に騙された事件がありました。気の毒でありますが、あれほど注意を呼び掛けていたのに引っかかってしまうというのはその人の無知、無防備にありますが、その前に、日銀とか税務署、警察、裁判所といった絶対信用を逆手にとって騙してしまうとしたなら、そう信用させる社会の仕組みにそもそも問題があるのではなかろうか。例えば度重なる行政の不始末。先ごろ明らかになった厚生労働省の誤った手法による「毎月勤労統計」が15年も前から続いていたという話。失業保険や労災給付の未給付が数百億円に上るというのですからね。そろそろ皆が怒りの声を上げる時であります。
 日本、今は昔ばなし。2006年ごろ発覚した「消えた年金」問題を思い出します。これが第一次安倍内閣の致命傷になったというのですから、行政は同じ過ちを繰り返したことになる。国民の命に係わる年金、保険といった重要事項はもっと簡素にして分かりやすく、コンピューターにかければ明確に割り出せるような仕組みがつくれないものだろうか。これを政治家はわざわざ複雑な手続きにして存在感を示そうとする。国民の視点に立っていないと思うのであります。信用の判断基準が揺らいでいることは間違いない。
 これからは無難に生きるためには、不信を嗅ぎ分ける嗅覚を身につけることであります。それにはどうしたらいいか? 重荷を背負うって遠き道を行く思いを体験することであります。格好は構わなくていいのです。
                                            2019年1月15日
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