日本、今は昔ばなし21
                          災い転じて福となす
                                                    ななえせいじ

 平成の30年間は激変の時代でありました。バブル景気が一気にしぼみあっという間に10年が失われ、そして次の10年も失われ、ついには失われたまま30年を終えようとしております。特にここにきて落差が目立ち、貧富の差が顕著になっております。同じ人間でありながらまず職場において露骨に仕分けられております。正社員、非正規社員、外国人労働者というように。例えば、収入面での格差が目に余ります。正社員は平均420万円なのに対し、非正規ですと170万円でしかありません。一方経営者には億万長者が目白押しというのです。
 落差と表現したのには、金持ちはより金持ちに、そうでない人は激しく貧乏人に落ちていくという構図、これ不公平と思いませんか。一方でこのところ目に余る凶悪事件が目立ちます。殺人は日常茶飯事、その犯人は無職で独身が多い。底意に世の中を恨んでいるのか、生きる意欲を失くし、手っ取り早く金を手に入れようと追い詰められた末の犯罪なのか、とくと検証する必要があると思います。
 日産のゴーンさんの年収が数十億円と聞いた時、日本国民は一様に驚愕したでありましょう。この後で、国主導の産業革新投資機構の役員報酬がなんと億単位と聞くに及んで再び驚愕、そのうちにだんだん悲しくなってきました。秩序を重んじる国民性はどこにやら、いつの間に優越感にひたった経営者達にいいように決められていくのかと思うと悲しいのです。国民の不満がたまりにたまって、そのマグマがいつか爆発する時が来るのではないかと悲しみから心配になってきました。というのは、今フランスでおこっている大規模なデモは我が国にも及ぶかもしれないという思い。国民の怒りの矛先が貧富の拡大、金持ち優遇の政策にあるとしたなら、火種は同じところで燻っているとみられるからであります。
 国民性は日本2000年の歴史の内に醸成されたものであります。生かさぬように、殺さぬように扱われ、常に主君に従い命まで捧げてもいいとした滅私奉公の国民性はそれなりに立派なものであります。おとなしい日本人の源泉であります。例えば、ゴーンさんが何十億円と聞いても、ほどほどに自分が幸せならば、他人が幸せ過ぎても妬まない国民性がそこにあります。
 もし日産がリストラもせず終身雇用を保証し従業員の愛社精神が保たれていたなら、この会社に入ってよかったという幸せ感が共有化され、きっと日産事件は表面化しなかったでありましょう。ところが実際は大量に人員整理するやり方で固定費を抑え、コストカットで利益を上げてきた一方で、管理職が理不尽に高所得で幸せを謳歌していたなら割が合わないと従業員は思うでありましょう。歴史に見る一揆はこのような極限な構図の下に起こっています。日産のクーデターはこのカテゴリーにあるのでは。
 会社人間で働き通してきた日本のサラリーマンはいかにもおとなしい。不思議なのは定年後もこれを引きずり、忠誠心を以ってうちの会社で始まる話法を駆使していることです。そもそも日本人は生まれながらに没個性的民族なのでありましょう。
 平成の次なる年号はまだ決まっていないが、自分の個性で生き自分らしさを前面にだし、誰にも支配されないが支配もしない、生涯一個人で誰とでも対等に渡り合っていける平衡社会になってほしいと願います。この世から就活が亡くなり、就業規則もなく、社則もなく、自分の力量だけで糧を得ていく、一億総企業人、まるでタレントのようにその人の個性で生きていける時代が来るかもしれません。
 日本人、とくにサラリーマンがおとなしいのは税の仕組みが分かっていないからでしょうね。IT時代がもっと高度化すれば一億総企業人時代が来る。けっして奇抜な発想ではありません。税は自分で申告する、さすれば仕組みが分かって受け取る側の国の不正も分かる。今流にいえば、全員が高度プロフェッショナル的働き方になるということ。
夢物語はここまでにして、現実は日産事件とフランスデモの終着点はどこになるのか、多くの国民は我が身に置き換えてそこに執着しております。

                       
                 2018年12月22日
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