『諷意茶譚 番外編 茶杓“ゆがみ”』
                                                    ななえせいじ

 全国から茶道具の名品を集めた特別展が東京上野の国立博物館でありました。
私の展覧会に対する持論は一人で行くのが良いとするものです。友達と一緒とか、団体とかいうのはすきません。まず時間に縛られる、その上お目当ての展示品が各人違うからてんでにばらばらになり余計な時間をとられるのがオチであります。マイペースに勝ることはありません。当日券は2時間くらい並ばされると聞きましたので不安でしたが、早起きすれば何ということはありませんでした。

 茶杓ゆがみについて。
 利休が切腹までのおよそ半月間、堺に蟄居しておりました。その時自ら削ったとされる茶杓二本の内の一本とされます。この時代、師匠が弟子に茶杓を授けるのが珍しいことではありませんでした。京都から堺へ淀川を船で護送される利休をこっそり見送ったのは細川三斎と古田織部であります。二人はもとより利休七哲に数えられる高弟でありますからお見送りするのは当然といえば当然でありますが、なにせ天下人秀吉の怒りを買った反逆人でありますから見送るなどという行動には勇気がいります。見送りに行きたい気持ちがあっても多くの弟子たちは心に蓋をしてしまうものです。

 今を40年前、私は名古屋から東京に転勤しました。この時代のサラリーマンは駅ホームにまで見送りに行ったものです。その時誰が来て誰が来なかったか、結構気にしたものでした。今にして思えばバカバカしいことですよね。

 茶杓ゆがみをこの展覧会で初めて見ました。職人が削ったものではありませんからどこか不揃いで腰のあたりから歪んでいる。当時の世の中の世相をそのままに感じ取れる茶杓であります。岡倉天心ならばこれを未完の美と表現したかもしれません。原色茶道大辞典によりますと当初銘は「イノチ」であったらしいのですが、いつどうして変わったか明らかでありませんが、ともかく細川三斎から平野長奏に贈られたのです。その時細川家は我が家一の茶杓であるからして手放すにあたって涙がでちゃう、との申し状が添えてあったそうです。こうして平野家に百数十年とどまります。
 平野長奏というのは賤ケ岳七本槍の一人で秀吉に仕えておりましたが、徳川時代になってからは家康、秀忠、家光と三代に仕えます。いってみれば完全なる家康配下といえましょう。
 戦国時代は終わりを告げたとはいえ、外様大名の細川家は徳川に睨まれる立場にありました。そのため大事な物は避難させる必要があった。茶杓イノチも大切なものの一つであったでしょう。銘をゆがみと変えたのは所在を目くらますためではなかったか、と想像します。 焼失したとのうわさまで流したのは細川家の家宝として後世に残したかったからではないでしょうか。展覧された茶杓は、いかにも形状は歪んでおります。私は形状よりも世情のゆがみをパロディー化したのではないかと思ってしまうのです。
茶杓は1730年ころに細川家に返されます。こうして現在も細川家の永青文庫に収まっているわけであります。

利休が織部に贈ったもう一本の茶杓「泪」は徳川美術館にあります。徳川時代になって間もなく古田家は取り潰され没収されてしまいますが家康亡き後に尾張徳川に遺産相続されました。

ゆがみと泪の二つの茶杓は、このおよそ100年間の世相そのままに運命の違いを色濃く表しております。
                                                      2017年5月
                                                     (六敬庵主人
生々文庫目次に戻る
最初のページに戻る