『諷意茶譚48 みせばやとおもふ心は』
                                                    ななえせいじ

 芸どころ名古屋は茶どころでもある。手を変え、品を変え、ところを変えて茶会はひっきりなしに開かれている。茶会はまさしく「時をめぐり、文化を旅する」イベントである。
 恒例の熱田神宮月釜。裏千家担当の又兵衛での薄茶席は紅葉真っ盛りの時節とあってまずそれに因んだ掛け軸が登場した。飯尾宗祇が播磨の守宛てに、高雄の紅葉狩りに招待されながらいけなかったお詫びに一枝添えて詠んだというもの。「みせばやとおもふ心は紅葉ばの色にそへてもおりてけるかな」。寄り付きの冝稲の画はまさしく高雄の風景と見受けた。播磨の守は つくだ と呼ぶらしいが判然としない。この時代「守」というのは今でいう県知事のようなもので国威、石高により地位が異なる。守(かみ)が一番上で次いで介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)と続き、これら国司官位を当時の藩主はみな守と名のったとか。ついでに追記すると江戸時代に入ると守は名誉職になり地域とは直接無関係の守もたくさんあったようだ。
 日にちが変わって豊国茶会の尾州久田流は随所に申年を意識した席拵えが垣間見られた。例えば杓立は霊芝耳(サルノコシカケ)という古銅。蓋置も古銅で見ざる、聞かざる、言わざるをデザインした三猿。水指は亥年生れの如春庵手造り信楽。なかなか見応えがある。如春庵は申年ではないが、一躍如春庵の名を高めた光悦の時雨茶碗は久田流の下村さんから如春庵にわたった経緯がる。両家の親しい関係がこれでわかる。特筆すべきは軸。月舟和尚の「心」の字をメインにした横物。意味は今一つ分からなかったが月船の夜話から推測して「退屈の心生ずるなかれ、少しでも菩提心退く心生ずると上下不和合なるぞ」との教えと解釈した。最後まで諦めるな、悟りと衆生救済の心をなくしたら身も心もばらばらになるぞ、という意味か。確かに世の中、こころざし薄き者は月舟が言うように「本の凡夫より悪くなる者多し」となるようだ。
 月舟和尚(1617~1696)は曹洞宗の僧侶で諱を宗胡といい金沢大乗寺26世。
別の宗徧流の席はちょっと変わった趣向の席拵えであった。
本席には掛け軸を用いず1メートルもあろうかと思われる竹の花入れを床の間中釘に掛けていたこと。普通大寄せの茶会では、軸も花も床の間に総飾りするものだが宗?流のTさんは芸術家でもあるから驚きの趣向を用いた。茶事では点心、菓子の後で仲立ちをし、後入の際は軸が外され花に変わる。
つまり席主は後入りを先取りしたわけで、これも趣向として「あり」と理解できる。では軸は? これが横物の軸は木下長嘯子(秀吉の妻ねねの甥)の手になる和歌である。長嘯子は和歌を細川幽斎に学んだらしく当時の文化人で今もって人気がある。
吹くふくと秋風よりも柴の戸は月こそいとどもりあかりけれ
                       
                 2016年12月5日
                                                     (六敬庵主人
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