『諷意茶譚47 面影座 やっとかめ文化祭
                                                    ななえせいじ

 芸どころ名古屋を舞台とした文化祭が11月20日まで開かれている。「時をめぐり、文化を旅する、町の祭典」と銘打ち、能狂言から歌舞伎、お茶、踊りまで多士済々の文化人がかかわっている。今年が4回目ということだが、やっとかめどころか初めて参加した。荒子観音での「面影座」には詩人の岡井隆さんと編集工学研究所所長の松岡正剛さんの対談と講演があった。
 松岡さんの講演はなかなか聴き応えがあった。難しい部分が多々あり、あるいは解釈違いをしているかもしれない。
 話の中で常滑、有松絞、波佐見焼が出てきた。波佐見焼(長崎)は1605年に開窯した歴史ある窯場。これが時間をかけて実用品として復活した。このとき1980年代のプラザ合意と経済成長の影に伝統文化の手抜きを感じ自業自得とまで反省したという。最近になって松岡さんは円空の展覧会に衝撃を受けたという。現在73歳。衝撃を受けた展覧会は円空の他にベーコン、ターナー、鉄斎を上げていた。共通とするところは、人間存在の内面にあるものを描き出す抽象的なところにあるようだ。中でも円空のそれは、変化と根源を同時に表現しており、思っていたジャコメッティよりすごいという。つまりモデルが存在しないこと、それは頭の中にあるじゃないか、という。
 松岡さんの話に利休、珠光、織部、不昧が登場する。織部までは時代はさほど前後しないが不昧は少し後になる。しかし、松岡さんは利休、珠光はあまり理解できないが、織部はわかるといっておられた。衝撃を受けたとするターナーなど4人の展覧会から推してうなずけるのである。
 円空は1632年(寛永9年)美濃の国に生まれた。木曽川の洪水で母を失い、母の鎮魂供養のため天台宗に出家した。これを契機に諸国の霊山に修験者として登り,その途次に立ち寄った集落で仏像を造った。これが円空仏。生涯に12万体を造る願いをもったというが、現在でも5000体残っているそうだ。ここ荒子観音では3メートルを超す仁王像一対とその木切れを使った木っ端仏を彫り上げていた。1695年(元禄8年)7月長良川畔に入定、63歳の生涯を閉じた。
 円空は利休、珠光、織部後にこの世に生を受けているが徳川時代がそろそろ安定期に入る時期である。1615年に没した織部を当時前衛といったかどうかはともかく円空は織部とは違う世界にあって織部と同じように心の内を表現したのだと思う。茶の世界では今もって織部は人気である。
 そして、なぜ今円空なのか、分かる気がする。
くだんの木曜会の茶会で円空を祖とする深田香實ゆかりの香合を拝見した。香實は尾張藩儒学者国奉行深田九皐の嫡子で円空より数えて4代目に当たる。通称は増蔵といったが円空遺愛の香實梅に因み香實といったようだ。
 今回のやっとかめ文化祭の面影座はふだんの茶友とは全くちがった人たちで占められた。こうした新しい出会いは部門を超えての人的つながりから生ずる、ありがたいことだ。 以上はやっとかめ文化祭始末記である。
                       
                 2016年11月12日
                                                     (六敬庵主人
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