『諷意茶譚36 少しばかり熊本に恩返し』
                                                    ななえせいじ

 今から50年余も前のことである。わたしは大阪に就職しミナミの会社寮に入った。男子ばかり二十数人いたと思う。二人で一部屋が割り当てられた。その時同室になった人が一つ上の熊本県出身のS君だった。寮は狭くむさくるしかったが食堂だけが開放的だった。配属された部署によって皆の帰宅時間はてんでにばらばらながら21時過ぎにはほぼそろい仕事の話ばかりでにぎわった。世間知らずなわたしは話についていけなくてかなり面食らった。ようするに真面目だけが取り柄であった。一度に仕事と社会勉強、加えて人付き合い、会社とはどういうものかまで勉強することになった。それでもへこたれずに仕事に一生懸命取り組んだが正直きつかった。要領が悪くて人の倍かかった。これを助け人生のことまで教えてくれたのが同室のS君である。しかし彼の好意を無視するかのようにわたしは会社を辞めようと決意した。そうなると寮を出なければならない。彼に打ち明け、たった3畳しかないアパートの一室を借りた。トイレも洗面も共同。当時としてはこれが当たり前の住宅事情であった。その時の敷金を用立ててくれたのもS君である。
 いくらかわたしは逞しくなった。職場を転々としたが、保険会社に入ってから風向きが良くなりS君への借金も返済した。しかし保険会社のヒエラルキー機構に不満を抱き転職した。現状を知らせるためにS君に連絡をとった。ところが彼はいつの間にか職場を去っていた。いらい彼とは音信不通のままである。たぶん熊本に帰ったものと思っている。
 これまでの人生について書くつもりはない。ただいえることは、茶の湯の趣味を楽しみ、茶会に顔を出し、茶道具に現をぬかす今の人生にほどほどに満足している。若い時の苦労が嘘のようでもある。それは今を生きることへの堅実、真面目さを貫く姿勢につながっている。
 先ごろ、わたしは茶会を主催するチャンスを得た。熊本地震から2週間後である。茶会を楽しんでいいものか、少し気がひけたが、予想以上の人が参加してくれた。お菓子の饅頭が足りなくなるのではないかと心配したほどだ。なんとも嬉しくなったのは、茶の湯に縁がないと思われた老紳士数人が不慣れな場所に待ち時間の苦痛を我慢して付き合ってくれたことだ。
 熊本地震は甚大である。元の熊本を取り戻すまでの道のりは険しい。この地震が忘れかけていたS君のことを思い出させた。
 こんなわけで遠い昔のわだかまりをいくらかでも取り去ることができるならとチケット売り上げの一部を義援金として差し出すことにした。わたしの気持ちがどこかでS君とつながっていればいい。かつ熊本の復興を願う。
                       
                 2016年6月10日
                                                     (六敬庵主人
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