『諷意茶譚30 心外無法』
                                                    ななえせいじ

 3月に入って陽気な日が続いている。茶会日和である。先ごろ知人が開いた茶会に行ってきた。
 茶会というのはテーマが大切。テーマが良ければその茶会は半ば成功と言える。
 しかし、道具もなければ地位も名誉もない人の茶会は軽んじられる。であるからして世に茶を嗜む人は多けれど茶会とまで踏み込めないのが実情である。
 さて、その茶会のテーマであるが、大概は掛け軸に思いを込める。この日の茶会は茶室に入ってまず目に付いたのが、「心外無法」なる大幅の軸である。読みにくい墨蹟なのでしばらくその偈に見入っていたが、ようやく読めた。
  心外無法とは、ものごとの善し悪し善悪を決めているのは私たちのこころだよ、という意味。
 誠に分かりやすい。よこしまな心を持つ人はまず態度に現れる。顔色を窺うというのは相手の心の内を読むことである。遠慮したりぶしつけになったり、人間は完ぺきに自分を覆い隠せないものであるから読めてしまうのである。
 今年のはじめ、いつだったか記憶は定かでないが、NHKテレビで掛川市のねむの木学園のことが放映された。あの宮城まり子さんが主宰する障害者施設である。地方局作成の再放送なのだが、今回は全国放送であった。感動した場面があった。齢88歳のまり子さんが「残された人生の持てる力のすべてを子供たちに捧げたい、ダメな子は一人もいません」と言っておられたこと。何を残されますか、のインタビューにまり子さんは迷わず「こころ」と2度も応えられた。
 この学園には裏千家から贈られた茶室がある。茶名を持っている障害者もいる。年に一回、近くの人たちも招いて茶会を開くそうだ。その場面が映った。驚いたのは障害者が点前で切り柄杓を左手で自然に行っていた場面。茶心は健常者と変わらない。  
 茶道の法とは規矩作法。手順にとらわれるあまり茶の本質を忘れがちである。もてなしの心があれば茶はおいしく点てられる。これも宮城さんの言葉。
 心外法の法は仏法のことであるが、一般に言う法律に置き換えてもいい。
 それにつけても、今の世の中、法に触れていなけりゃいい、とした横着な考えが横行する。
 人間をコントロールするのは、法じゃなくて「こころ」であるはず。法は最低限のルールに過ぎない。
                       
                 2016年3月6日
                                                     (六敬庵主人
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