『諷意茶譚28 江戸城内で刃傷事件』
                                                    ななえせいじ

 今年もはや師走半ばである。この月の定番といえば忠臣蔵、赤穂浪士の討ち入りである。あの場面はいつ見ても溜飲が下がる。そこには陰湿ないじめに対しての小気味よい復讐があるからだろう。いじめはいつの時代も人間がいるところに存在する。これから派生する事件は絶えない。
 江戸時代の江戸城内での刃傷事件は大きなものだけで7つあったそうだ。江戸城7大事件と言っている。赤穂浪士の事件はその一つに過ぎない。
 ここに記すのは文政6年(1823年)4月22日の江戸城西丸書院の殺傷事件。
 加害者は松平外記(忠寛)、被害者は同書院で働く旗本5人。
 松平外記は1811年15歳で将軍家斉に仕えた。事件の時は300俵扶持の旗本で27歳、西丸書院番であった。外記は弓術、馬術に秀でていた。
 書院番入りしてから外記は先輩たちにさまざまな嫌がらせを受ける。陰湿ないじめである。武術に秀でていたのも妬みの一因とされる。今の世も同じだが、いじめた側といじめられた側との心理の隔たりは大きい。冗談、悪ふざけであっても相手は真剣に受け止めてしまう。職場とか学校での部活動であれば、上司、先輩がする教育・指導はいじめと紙一重である。親が子にする場合は躾だと言ってはばからない。
 新参の外記に対するいじめはエスカレートした。袴の紋を墨で塗りつぶしたこともあったらしい。書院番の一番の年かさは58才の本多伊織だ。本来ならいじめを抑える側にいなければならないおっさんが率先していじめに回っていたとしたらあまりに大人気ないではないか。
 外記は激高した。この事件のために修業してきたわけではあるまいが腕に覚えがある。ついに脇差を抜いて襲いかかった。書院の2階、時刻は申の刻というから午後4時ごろか。
 本多伊織58歳、沼間左京21歳、戸田彦之丞32歳の3人は即死、間部源十郎58歳、神尾五郎三郎30歳は負傷。
 1階にいた間部は何事かと2階に上がってきたところで腕を斬られた。一方、2階から逃げようとした神尾は後ろから尻を斬られた。その際神尾は「乱心者じゃ、出会え、出会え!」と叫んだが誰も助けに来なかった。逃げるが精いっぱい。外記は追跡をあきらめその場で喉を突いて自害した。
 外記の懐に「さまざまな嫌がらせや意地悪を受け、もはや堪忍なりがたく、今日、討ち果たした」と書き記してあったという。
 神尾のほかにも助かった者がいる。いずれも腰抜けどもである。便所に隠れていた者、縁の下に隠れていた者、傘をしぼめて隠れていた者、などなどだ。
 事件後の取り調べで、隠居を命じられた者、役を解かれた者多数にのぼった。
 この事件以来、番所の風紀は改まり、新人いびりは影を潜めたそうだ。
 すこし追記する。外記の父頼母は役目を解かれるが、部屋住みであったため孫の栄太郎、すなわち外記の子が相続した。外記の本家は現愛知県安城市桜井で桜井松平家。外記家はその庶流に当たる。本家の桜井松平家は各地を転任するが摂津尼崎で明治維新を迎え新政府の命令で桜井氏と改め、子爵になった。現在は尼崎市の桜井神社に祀られている。
                       
                 2015年12月20日
                                                     (六敬庵主人
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