『⑱諷意茶 明治は遠くなりにけり』
                                                      七重誠治
 過ごしやすい時候となりました。茶会日和の今日この頃でございます。
 そのせいか、茶会の誘いがことのほか多く寄せられております。
 なかでも明治村茶会はその道の達者が席主を務めるとあって脇をかためる人もそれなりに道を極めた人達であります。道具拵えも例えば濃茶席は名物芦屋真形霰釜、名物鴻池家伝来青井戸茶碗、利休所持の黄瀬戸立鼓花入など並みのものはありません。少し茶券は高いが、感心することの多い茶会でありました。
 席主は武者小路千家官休庵随緑斎宗屋氏(1975年生)である。官休庵の現家元不徹斎宗守(1945年生)の後継者となる人で、千利休の再来と言われる。現在、宗屋を名乗っているが、父不徹斎も若い時は宗屋を名乗っていたから家元継承の保証のようなものである。テレビには何度も登場しているのでその人となりを素朴な人柄と想像してはいたが、実は生でお目にかかるのは初めてである。その結果は、とっつきにくいとか、近寄りがたいとかはなく、かといって友達風にもなれない不思議な重みのある人である。正客は筆者の師匠、私はその隣にいたので気楽に氏と師匠の問答を聞いていた。宗屋氏の声はよく通る。立て板に水のごとくよくしゃべるが多弁ではない。大勢の連客も耳を傾け、このスター性高い宗屋氏の説明に聴き惚れていた。
 実は宗屋氏、この日の明治村茶会の前日、すなわち4月17日(金)、NHKBSの美の壺金継編に登場していた。もとより編集された番組であるから実際に録画されたのは3週間ほど前と思われる。料亭志ら玉主人との掛け合いが面白い。その番組で宗屋氏は、金継ぎに攻めと守りがあると説明されていた。志ら玉主人のそれは攻めの金継ぎで李朝紀の陶片に唐津や志野など種類の違った陶片を継いで新しい価値・美を生み出す手法、これに対し、破損した陶器を継いで元の形に復元したものを守りの金継ぎというようだ。
 宗屋氏はまだ若くようやく不惑の年になったばかり。活力はみなぎっており、進取の気性に富み実に活発である。名古屋に男子を中心に家元直轄の道場を開いているというのもこのアグレッシブな気性の表れであろう。
 明治村茶会のお手伝いの人たちに宗屋氏の名古屋弟子が何人か揃っていたように思う。濃茶席でまず最初に点前をした人は人間国宝故加藤卓男のお孫さんの加藤亮太郎氏であった。
 薄茶席は赤井厚雄氏担当。現代美術品の蒐集家で山崎豊子原作の華麗なる一族のモデルとなった家柄とか。宗屋氏とも昵懇の間柄。この日使用された主茶碗はNHK日曜美術館に登場した半泥子作の井戸手茶碗、銘さみだれ(佐藤栄作旧蔵)。この番組にも宗屋氏は登場している。替茶碗は宗入(1664~1716)作の黒、銘山里である。茶の湯に精通した人は主と替がさかさまであるように思うだろうが、この黒茶碗は宗屋氏自身が常盤緑と追銘している。宗屋氏の思いやりが透けて見えるのである。
 茶会は席主の考え方次第で趣が変わる。季節、時代、テーマ、感慨、由緒などなど全てを織り交ぜて一座建立と行かねばならない。相当に手慣れた者でなければ務まるまい。
 最後に小田原文化財団写真家の杉本博司氏の帝国ホテル中央玄関席。寄付の花入は戦後70年に思いを馳せてか焼夷弾そのものを使用している。戦争を知らない人が多くなった現代、これは果たして警告か、誘発か、それともただ奇抜なアイデアなのか、それぞれの年代に応じたに感じ方があろう。
 いずれにしても充実した茶会であったことは間違いない。
                       
                 2015年4月25日
                                                     (六敬庵主人
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