『⑰諷意茶譚 菅原道真』
                                                      七重誠治
 2月も終わりに近づいた。この月の茶道会はことさら梅を愛でる。従って道具の取り合わせも梅が多い。因みに梅を愛した菅原道真の命日が25日である。
 菅原道真は延喜903年、赴任先大宰府にて失意のうちにこの世を去った。大宰府へ左遷されてからわずか2年である。これから後、平安京では疫病、地震、落雷、天候不順など天変がおこった。政治の要職にあった者が相次いで死んだ。まず道真の政敵藤原菅根が908年、左遷を画策した藤原時平が909年、左遷を命じた醍醐天皇皇太子保明親王が923年。都は道真の怨霊の仕業と畏れた。そこで道真の霊を慰めるため923年正一位太政大臣を追贈したが祟りは収まらなかった。930年には醍醐天皇が死んだ。同年、清涼殿に雷が落ちて大納言の藤原清貴が死するに至って道真を雷の神さま「火雷天神」と同一視した。「天満」(てんま)は道真の死後30年経って贈られた神号である。正式には天満(そらみつ)大自在天神か由来だそうだ。しかし、道真の怨霊による祟りは死後50年も続いた。都はなお畏れ天神だけにとどまらず文章博士であった道真にふさわしく「学問の神様」という称号を付けた。さて今日、時あたかも受験シーズン、道真のご利益にすがる人は多い。
 正月の初釜で道真のことが話題に上がった。その時、日本で最初に出来た天満宮はどこか?と先生が問うた。一座の席に一人知る者がいて「ひょっとすると山口県と違いますか」と答えた。先生は指をさし「そう正解、防府天満宮ですね」と。筆者は正直知らなかった。
 実は防府天満宮より古い天満宮があった。道真を存命中に祀った生身天満宮(京都府南丹市園部町)である。道真が左遷された901年、道真フアンが不遇を同情し木像を造って生祠として祀ったのだ。「なまみ」と読みたいところだが「いきみ」と言うのだそうだ。
 2月5日の茶会で珍しい銘の菓子が出た。菅原道真を意識した上での銘と思われる。鶯宿梅(おうしゅくばい)。これ村上天皇時代の逸話による。清涼殿の梅が枯れたので天皇は紀内侍(きのないし)家の梅を移植させたところ枝に歌が括りつけてあった。
 勅なればいともかしこし鶯の宿とは問わばいかが答えむ
村上天皇は鶯の心を汲まなかったといたく恥じたという、故事。因みに紀内侍とは紀貫之の娘さんの家のことである。
 村上天皇は醍醐天皇の第14皇子で926年に生まれている。時は摂政時代で藤原氏が権力を握っていた。醍醐天皇時代を「延喜の治」といい村上天皇時代を「天磨の治」という。道真の怨霊がさまよい世の中が撹乱した時代である。
                       
                 2015年2月25日
                                                     (六敬庵主人
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