『諷意茶譚  草薙の剣・信長・又兵衛
                                                      七重誠治

  熱田神宮は昨年(平成25年)、創祀1900年を迎えた。3種の神器のひとつ草薙神剣を御神体とする。素戔男尊(スサノオノミコト)が出雲の国で八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)を退治した際、大蛇の尻尾から出てきたのが草薙御剣。この剣を姉の天照御大神に献上した。素戔男尊はその時たすけた櫛名田比売(クシナダヒメ)を妻にしている。
生贄にされるところであった櫛名田比売を櫛の姿に変え髪に挿して・・と古事記にある。もちろん妻にする時は、比売(ヒメ)を櫛から元の姿に戻した。神話は面白い。
 その剣が何故熱田の杜にあるのか。12代景行天皇の御代に日本武尊が緑区大高町火上山に留め置いていたまま三重県亀山の地で亡くなられた。武尊のお妃であるミヤスメノミコトが熱田の地に祀った、というのがはじまり。
 時代を下って、熱田神宮は、織田信長が桶狭間の合戦で戦勝祈願したところとして有名である。神宮に残る信長塀は信長の寄進に寄る。
 さて、神宮には由緒ある茶室が4つある。これは茶に興味がない人にはあまり知られていない。そのひとつが又兵衛。元は岐阜県吉城郡の坂上又兵衛という豪農の家であった。これを実業家の神野金之助が昭和11年、昭和区の自宅に移築して保存、昭和32年に寄贈、現在まで原形のまま茶会などで市民に利用されてきた。ところが、茶道の衰退により上がりが少ないせいか、又兵衛を結婚披露宴にも利用できるように改造している。強気の神宮はこれを機会に利用料をあげた。茶道人口減少の上に値上げとなれば当然茶会の催しも少なくなる。今では、神宮主催の茶会が主流になった。この変貌に、茶人達は「昔の方が良かった」と蔭口をたたくのである。しかしこの又兵衛も、床暖房はしてあるし、戸のガタピシもなくなり、使い勝手がよくなった。
 神宮の月釜は毎月15日。4月は釣り釜が懸けられた。その席の軸は「柳緑花紅」(やなぎはみどりはなはくれない)であった。緑は、新鮮な、若々しい、元気な、等の意味合いがある。一方、紅は、赤ではなく、恥じらいの「くれない」である。元気を貰った気がする。
 いささか私事であるが、私は越後の又兵衛そっくりな家に生まれた。5代目の兄から姪夫妻へと移り、今も原形をとどめている。その間60年、使い勝手が悪いこともあって内部は改装されてしまっている。たまに田舎に帰ると、昔の方が良かったな、と複雑な気持ちになる。住む人の立場からみれば身勝手この上ない、とは分かっている。
 神宮は、1900年紀に合わせてか、施設の充実をはかってきた。成熟経済の今日、神も紙頼みをはからざるを得ない、ということのようだ。            
                       
                  2014年5月8日
                                                     (六敬庵主人
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