『白雲深処掩柴扉』
                                                      七重誠治

  好天のさくら日和、名古屋市西郊外、宝国寺での茶会に数拾年来の茶道仲間であるお庫裏さんに招かれた。流派にこだわらずお庫裏さんのお友達がたくさん来合わせていた。濃茶と薄茶、それに点心が付いた。今回はお遊び茶会と言う亭主の趣向により、会記は用意されなかったが、同寺什備品であるところの釜をはじめ往時の庄内川の桜を描いた掛け軸など亭主の思い入れたっぷりの道具揃えが席中を楽しくした。
 なかでも特筆すべきは、濃茶席の掛け軸、玉舟和尚筆の白雲深処掩柴扉(はくうんふかきところさいひをおおう)。恥ずかしながら、正客の位置にいながらはじめ軸の一字が読めなかった。掩(おおう)の字が読めない。おおうは訓読み。音読みは(えん)と読む。亭主の説明でやっと得心がいった。
先ごろ読んだ「永遠の0」(百田尚樹)の中に特攻隊
を援護する空中哨戒機「直掩機」(ちょくえんき)が頻繁に登場、そこに思い至ったからだ。掩は援護の意味、すなわち柴の戸がその人を俗世界から援護する、言いかえれば遮断する、という意味のようである。これが茶席に掛けられるというのは、茶席そのものが俗世界との遮断なのであろう。
しかしながら、そこに集まった客人は、俗世界の垢にまみれた人達である。わたしをはじめ意味を解せずして字句の読みときに執心する。掛け軸を書いた人がだれであろうと怖れることを知らない。多くの茶人は、こうして、最後はいかほどの対価なものかを推量するのであろう。すべからく、道具のよしあしは価格で判断してしまう。 
この頃、道具をあれこれ買い漁った身には、ともあれ、これでいいのだ、と思うようになった。恐ろしいことだが、世間の風潮がそのようである。茶道具がかなり安くなったのは、需要と供給という経済原則にのっとって価値を数値化した結果に過ぎない。ほんとうは、禅語の訓えに身を置いてみたい。無理と分かっているから、ほんのちょっぴりでも柴の戸の裏に籠りたい心境になるのである。
因みに玉舟和尚は大徳寺第185世、いみなを大徹明應禅師といい、千宗左に江岑の号を授けた人。            
                       
                  2014年4月13日
                                                     (六敬庵主人
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