『石黒况翁』
                                                      七重誠治

  豊国神社内茶席にて毎月決まった日に茶会が開かれる。会員制ながら当日券も受け付けている。筆者は会員になって3年ほどになるが、この茶会にほぼ皆勤している。会費が安いこともあるが、席主が流派を超えていることと、道具拵えが他流であるが故の面白さがある。
 因みに3月は裏千家流。桜の声をちらほらきくころとあって、炉に蓋をする意味あいから透き木釜が懸けられた。席主の思いやりである。従って炉に五徳を使わない。こうした席主の思いやりを客は乙な計らいと感じるところに茶の道の奥ふかさがある。五徳を使わないから代わりにミニの蓋置きを使う。この日は竹製の蓋置きであった。
 やっと本論に近付いたかもしれない。今日は、数々の道具の中でもこの蓋置きについて少し触れてみたい。
 作者は石黒况翁(本名忠悳)。江戸末期から明治、大正、昭和にかけて活躍した軍医師。草創期の軍医制度を確立した人で陸軍軍医総監。山県有朋、大山巌等と親交があった。森鴎外の上司であった。後藤新平を愛知県病院長から内務省登用に推薦した。
 茶道は小堀宗本に師事、奇麗さびを地で実践したほどの数寄者であった。「况翁茶話」という著作がある。その中で、茶道は各自の分限に応じた道具や賄で上下、貧富の別なく同好と親しみ交わり互いに心を尽くして賞玩するところに興味深さがある、と記している。これを実践に移して宮様招待の茶会に所縁の品以外は一円(当時の単価)にも満たない道具でもてなした、と言う。自らの号を「不円」と称したとか。数々の名品の中で蓋置きという目立たない下積みの道具に甘んじていたのはこの人を象徴している、とその時感じた。            
                       
                  2014年4月2日
                                                     (六敬庵主人
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