「緊迫感を伝える大和絵」
                                     鈍亀庵主婦

  

  行き付けの骨董屋さんのドアを押すと、目の前に絵巻物の断巻を表装した横幅の広い軸がとびこんできた。
 二ケ月に一度の定例の骨董オークションの日のこと。オークションには、殆ど欠かさず行っているので、この日も何事も通りに顔を覗かせた。
 アッと思ったのだが、一応、店内をクルッと廻って軸の前に行く。
 「これは?」と聞くと、それはオークション物ではないと言う。たまたま手にはいったので掛けてみたのだと…。
 夕方四時過ぎのこと、似たような時間帯にやってくる顔見知りのお客さん達も皆、軸の前に集まる。
 箱には『平治物語・筆者不詳』と張り紙がしてある。その横に明らかに筆跡の違う字体で『室町時代』と書いてあったが、皆して「室町はないネ、江戸初期の写しかな」等と言っている。描かれている人物についても、誰の彼のと蘊蓄をたれる。皆さんたいへん博学である。私は、その人たちの後ろから見ている。
 もう五時も廻って、一人帰り、二人帰り私ひとりになったところで…自分一人になるのを待っていたのだが…「これちょうだい」と店の主人に切り出す。
 「ン?」という顔をした骨董屋主人は、お値段も張る事だし、「ご主人とご相談の上でいかが?」という。
 翌日、夫と共に店を訪れ、即購入。

 
 
 我が家にやって来たこの掛け軸は実に立派だ!一間床にデンと構えて掛かっている。縦133センチ、横102センチ、絵巻物の一部分である本紙も縦33センチ、横91センチという大きさである。
 これはもともと絵巻物であった物を幾つかに裁断し掛け軸に表装したものである。表装は、とても美しくしっかりしていて新しいので、たぶん表装されたのは、大正か昭和の始めの頃かもしれない。
 古い絵巻物が裁断され、掛け軸にされた過程がよく解る代表に『佐竹本三十六歌仙』があるが、それはさて置き、私の手元に来たこの『平治物語』絵巻断簡だって、いろいろな過程を内に秘めてやってきたのだ。

 
 
 描かれているのは、平治元年(1159年)12月9日子(ね)の刻(真夜中12時頃)、藤原信頼・源義朝の軍勢が御所を襲い、幼い二条天皇と後白河上皇を牛車に乗せて、いわゆる、埒(らち)しようとしている場面だ。
  画面は御所、左寄りに牛車が大きく描かれ、車を囲む雑兵8人と、指揮する侍、車に乗せられようとしている後白河上皇とその御子、左上には、泣き叫ぶ女官たち。
 右側には、信頼、義朝の軍勢、鎧を着て兜をかぶる者、揉烏帽子(もみえぼし)の者、手には薙刀や弓をもち、門の外で、待機している。その緊迫する両画面を中央下方に描かれた松が和らげられている。
 『平治物語(三条殿へ発向 付けたり 信西の宿所焼き払う事)』の場面である。ここに原文を載せるのは控えるが指揮する侍は佐渡式部大夫重成(さどしきぶのたゆうしげなり)だとか、泣き叫ぶ女官たちは―命のたすかるをえず―だったとか、この文章が、裁断された画面の横にあったのだと思う。
 雑兵共、ひとり一人の表情など人物だけでなく、埒現場であるがため、上皇の乗らせたもう車が輿(こし)や唐車(からぐるま)ではなく、四・五位以下の公卿が乗る網代車(あじろぐるま)になっている等、どんなに観ていても見飽きない。
 これを描いた絵師は戦場カメラマンか!
 
 最近は戦記物の軸にはまりはじめ、少しずつ集めている。そこには必ず歴史物語があり、有職故実に忠実な絵師の筆がある。
 特に平家物語に関連するものをと思っていた私にとって『保元物語』『平治物語』『平家物語』と続く一連の流れとして、この緊張感あふれる絵物語がどうしても欲しかったのである。
 歴史を語る大和絵の魅力に取り付かれ、今や『太平記』にまで手を伸ばしはじめてしまった。 
 果てさて、どうなりますことやら…。

                   
                                   (平成22年9月21日)
                                           主 婦

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