「数奇な運命 ―伝世尊寺行俊筆平家切―」

                              日比野 浩信

 長い時をかいくぐって来た古いモノたちを眺めていると、『平家物語』のあまりにも有名な冒頭の一節が思い浮かびます。
  祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響あり。
  娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。
  おごれる人も久しからず。只春の夜の夢のごとし。
  たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
 私は、国文学の勉強のために古筆切を見たり集めたりしていますが、栄枯盛衰は世の習いとはいえ、何も人の身の上にばかり降りかかるものではないようです。中にはその数奇な運命に思いを馳せずにはおられないモノに出会うことがあります。持ち主の運命にではありません。モノそのものの運命に対して、です。
 「平家切」(「長門切」とも)と呼ばれる古筆切があります。古筆のガイドブック『古筆名葉集』に「巻物平家物語上下横卦アリ」と記述されているように、元来は、上等な鳥の子紙に『平家物語』を書き写した、高さが三十センチ以上もあるそれは堂々たる立派な巻物。本文の書き出し位置と、行末の書き収めの位置とに横に線が引かれているところに特徴があります。
 筆者を伝えて世尊寺行俊。しかし、その書写年代は、行俊よりも幾分か溯って鎌倉後期といったところでしょう。能書家を伝称筆者とするだけあって整った、それでいて力強い筆跡です。それが『平家物語』の内容と相俟って、えも言われぬ雰囲気を醸し出しています。
 現在読むことができる『平家物語』の中に、この平家切の本文と一致する伝本はありません。敢えて言えば『源平盛衰記』が似ているくらいでしょうか。その上、現存伝本に比べて書写年代が飛び抜けて古い。つまり、国文学サイドからも重要で興味深い断簡なのです。
 名物切で、しかも資料的価値も高い。私にとっては、垂涎の一葉でした。その平家切が、縁あって私のところにも巡ってきたのです。
 京都で学会の折、まだ時間もあることとて、三条堺町のコーヒー屋でも行こうかとブラブラしていると、一軒の古道具屋さんが。ちらと一瞥、入り口付近の大きな額に、古筆切らしきものが五〜六葉貼られているのが目に入りました。吸い込まれるように店内に入ると、紛れもない、金の台紙は屏風の一面分なのでしょう。ズラリと並んだ道具類のせいで、博物館のガラスケースよりも遠くて、内容までははっきりと読み取れませんが、歌集の断簡もあります。
 問題は値段です。さほど古そうでもなく、状態も良くないので、このくらいなら、銀行に走ろう。あれくらいだったら、山の神に電話で相談だ。もちろん、諦めることになるかもしれません。
 店の奥の主人に恐る恐る尋ねてみると、今日明日の昼飯を浮かして、夜の会は早めにご無礼し、宿代はカード払い、お土産代を削って、在来線で帰れば、今持っているお金で何とかなる金額です。
 旅先で持ち運べぬからと額の中身だけをいただくことにし、さらに一葉一葉にバラしてもらって、持ち帰ることにしました。
 その中に、件の平家切が含まれていたというわけです。ただ、実は恥ずかしながら、初めはそれとは気が付きませんでした。思い描いていた平家切とは、あまりにも姿が違っていたからです。
 というのも、横幅は十五・五センチですが、縦も同じくらいの十五・三センチしかありません。いわゆる六半形です。丁度半分の位置からバッサリと切られてしまって、下半分しか残っていないのです。
          
     
             表  面          
 その本文はといえば、一人引き返して戦っていたものの、痛手を負って逃走しようとする兼綱に、戻って戦うようにと忠綱が攻め立てる場面で、次のようになっています。
  さむとて只一人引返ゝゝ
  (手)を負ひ今は叶はしと
  そ落行けり上総太郎
  あれは源大夫判官と見る
  (て)延可そいかにうたてく
  弓箭取る身は我も人も
  (そ)惜けれ返り給へやゝゝと
 切れ切れの断片的な本文ですが、現存諸本との違いも明白で、平家切『平家物語』の新出本文としての価値は低くはありません。極め札の裏書に「上ノ文字切候端切」と記されていますので、古筆切として極め札が付けられた時点で既に上半分を失っていたことがわかります。ついでに、このような形態の古筆切を「端切」と呼ぶのだということまで判りました。これは、思わぬ副産物でした。
 さてためつすがめつ眺めているうちに、文字が裏映りしているのが気になりました。そこで、そっとそっと土台から剥がしてみると、室町時代中期頃の書写でしょうか、裏面にもカタカナ交じり文で書かれています。次のような文章です。
   □□□ウカヒカヨウ物アリ是
   気ノ往来也
   ソレヲヽシテミルニ力アツテソト
   大ナルハ気ノ實シタル也 ソレヲヽ
   シテミルニ力ナクヨハクキユル様
   ナルハ気ノ虚シタル也
   所以然衛気ハ經脉ノ間ヲ
   ウイテメフル表ヲアタヽメマモ
   ル物ナレバ也
   指ヲスコシシツメテ栄ヲサグルニユ
               
            裏  面
 医書か何かでしょうが、こちらは文章が通じます。半分だけの『平家物語』の裏には「医書」。不思議な断簡です。
 あれこれと推理して、私なりの結論にたどり着きました。つまり、こういうことのようです。  

  1. はじめは『平家物語』を書写した堂々たる立派な巻物だった。
  2. 室町の中期頃、天地を半分に折って裁断、医書を書き記すための料紙に利用されてしまった。単なる紙背と化す。
  3. その後、一冊の書物であった医書が切断されて、一葉の古筆切(医書切)に。依然、日の目は見ず。
  4. 古筆家によって極められる段になって、「平家切」として再発見。表面に返り咲き。
  5. 「端切」ゆえに思いのほか安価で私の許へ。

 こんな運命を辿ってきた一葉だったのです。
 栄枯盛衰の無常観を謳った冒頭があまりに有名な『平家物語』。その『平家物語』を書き写した平家切。切り裂かれ、紙背とされながら生き残った架蔵の一葉、ある意味、まさに「平家切」の名に相応しい一葉とさえいえないでしょうか。
 今は「栄・盛」なんでしょうか、それとも「枯・衰」なのでしょうか。少なくとも、私が死んだ後(まだ、そんなつもりはありませんが)、わけのわからぬ紙切れとして暗転の道を歩まぬように、顛末を示しておきましょう。
 この駄文がその役割の一端となれば、幸いこれに過ぎたるはありません。
                                 (2008924日)
              
        (大学講師)


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