「茶会の顛末」
                              鈴木崇浩

 「今度、Kさんが主催して茶会をすることになったから、よかったら参加しませんか?」というご主人の言葉にそそのかされて(?)、「是非、行くよ。」と気軽に参加を表明した私。実は前回もK氏からお誘いを受けたのだが、急な仕事の都合で不義理をしていたこともあって(今回こそは参加したい。)と結構はりきっていた。「前回も参加したN君も随分気に入って、楽しかったそうですよ。」と壷中天営業部長のご内儀が、参加意欲に油をそそぐ。「ただし、道具は各自持ち寄りで。鈴木さんには、本席の軸をお願いしたいそうですよ。日取りは7月初旬の・・・」店主の言葉はつづく。(なぬ。本席の掛物ですか。持ち寄りで・・・。これはなかなかむずかしい。)
そもそも、夏にちょうどよい掛物というのは春や秋にくらべて極端にすくない。これはひとつには旧暦では7月はすでに秋、七夕の歌も「~の秋風」と、現代の季節感とはかなりのズレを生じていることが原因である。梅雨あけやらぬこの時期に「秋風云々」とはいくらなんでも・・・。しかし、7月の茶会に「長雨うんぬん」もなんだか。この時点ですでにK氏、ひいては壷中天主人の思惑の術中にいることに私自身が気づいていない。「ところで場所はどこですか?」と訊ねると、「岐阜県関市の~」とつづく。(関市とな、とするとあの掛軸がちょうどいいな、ところでどうやっていけばいいんだ。どうせお酒も呑むだろうし。)と2つの思惑が頭のなかを駆けめぐる。
 「Kさんはどんな寄付(よりつき)を用意されるんでしょうね。」と訊けば「絵だとおもいますよ。ところで数茶碗も各自もちよりで。主(おも)茶碗はNさんの刷毛目だそうです。」とのこと。(絵かあ、なら競合しないな。ところで、茶碗はどうするか・・・。)と楽しい悩みはつきない。

 そんなこんなで、私が本席用に選んだのは、二条為世(にじょう ためよ:1250〜1338)筆の『松風切』。伝称筆者の二条為世は『小倉百人一首』の撰者として有名な歌聖 藤原定家(ふじわらのていか)の曾孫で、自身、鎌倉時代の歌壇をリードした人物。なにより『松風切』は為世の真筆か否かは定かではないが、これまた桃山時代に破天荒であり、かつ大芸術家として書道史にも名を残す烏丸光広(からすま みつひろ:1579〜1638)の愛蔵本を昭和2(1927)年6月に有識者、数寄者が集(つど)って分割したという曰く因縁のある名物切、命名の由来も在原某の「稲葉の山の峯の松風」に由り、あげくに架蔵の部分が『別離』の部分とはいえ、
「たらちねの親のまもりと添ひそふか 心ばかりは関なとどめそ」とくれば、(この場合の関は「不破の関」ではなくて「安宅の関」のことではあろうが)もってこいではあるまいか。さて、茶碗は・・・。
 
と、ついに平成は20年、戊子の文月は六日、茶会の日はやってきた。よく言えば、降り続く梅雨の一時の晴天、悪く言えば、うだるような暑さのなか、壷中天夫妻と主催者のK氏のほか、A氏とくだんのN氏、そしてにわか数寄者の私の6人が集い、茶会がなごやかに始まった。まず先に相伴した茶会席の料理の繊細かつ美味なこと。そこに各々が自慢の酒器を持ち寄り、各々が話に花を咲かせている。(古歌に云う、「つどふどち(友人)」とはこんな感じかもしれないな。)と思ったりしながら、私はN氏秘蔵の志野のぐい呑みで美酒に酔い痴れ、また、各人の提供した信楽の山盃や唐津の平盃、井戸のぐい呑みたちに密かに流し目を送ったり。
 請われて話が『松風切』に及び、つらつらと故事来歴を述べれば、「実は、」と壷中天廊主 鈍青房(どんせいぼう)主人の取り出したる一軸は本日の主役(?)『松風切』のツレ。「80年前に割けられた古筆の兄弟分がひょっこり、現れましてね。これも『縁』ですなあ。」(ああ、吾、釈尊の掌上に遊ぶ猿候の如きならんか。)と悲喜交々の感あり。
 さらには、おこがましくも正客の座を承りて、まずは濃茶の席とあいなるに、茶席のすぐ傍を長閑に走る踏切の音さえ、静寂のなかに客をもてなす「銅鑼」の早鐘のごとき赴きあり。亭主の見事なお手前で供された主茶碗は、その所蔵者N氏をして「まるで自分の物とは思えない」という言葉に象徴されるがごとく日常のそれとことなり道具の輝きを増していた。それは、次いで催された薄茶席でも同様であり、各々、自分の道具を惚れ直す感あり。この茶碗、こんなに艶っぽかったかな。などと、各人、決して治らぬ不治の病はいよいよ重篤化の一途である。そしてなにより驚くのは、ほとんどなんの打ち合わせもなきに等しかったにもかかわらず、道具の取り合わせの妙である。それぞれの道具、そして亭主の心ばかりの花の馳走は見事に一体化して玄妙の一言に尽きた。これは、まさに主催者K氏の功に他ならず、さらに、この茶会の根底をなした『壷中天御物(こちゅうてん ぎょぶつ)』(これはK氏のいいである。)の織りなす一体感、つまりは廊主の美意識の結晶にほかならない。なにより、にわか正客の無作法をしっかりサポートしてくださったA氏の細やかで行き届いた配慮なくしてこの茶会の成功はありえず、感謝の念に堪えないのである。    
 かくして『壷中天茶会』?は盛況の内に幕を下ろし、いざ、帰らなんとするに、先ほどまでの晴れ渡る空は一転かき曇り、雷鳴も轟きだした。(雷さんも参加したかったのかなあ。)駅へと急ぐタクシーの中で、ふと思いついた拙歌を読みさしの本の端に書きつけ、そっと頁を閉じた。

ふりそめし雨は涙かいかづち(雷)の 関吹きとぢよ峯の松風
                                  了

                         (平成20年7月6日)
                                 医師
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