「何かを伝えたくて―道興筆徒然草切―」
                             日比野 浩信



 2008年、今年は『源氏物語』1000年紀だそうで、京都を中心に盛り上がりをみせています。古典作品が多くの人々の関心を引いていることは、何とも素晴らしいことです。
 その一方で、古典を「無価値」と見做す若者にも多く出会っています。何とも勿体無いことです。1000年にもわたって、人々が連綿と伝えてきた古典の価値を、たかだか10数年20年程度の幼い価値観で、正しく判断できるはずがないでしょうに。
 ただ、研究や教育に携わる者が、その価値を伝える努力を怠っていることも否めません。自分の専らとする学問分野について、広く、解かりやすく伝え、その魅力の一端を知ってもらう。これは、あらゆる分野についていえることではないでしょうか。
 私の場合は「国文学と古筆切」。美術品としてだけではなく、古筆切の国文学資料としての価値を知ってもらうこと。あるいは、古筆切で国文学作品として読んでもらうこと。
  一人灯のもとに文を広げ、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる。
とは、『徒然草』にある吉田兼好の言葉です。古筆切を扱うようになって、私にも少し、わかってきたような気がします。
 『徒然草』といえば、3〜4年前、大阪の古美術店でのこと。紙面の焼けた、古筆切というには時代の下る一葉が、目に入りました。極札には「聖護院道興」とあります。「どうぞ、お持ち下さい。」というご主人のお言葉に甘えて、オマケとしていただきました。
 ちょっと癖のある、読みにくい文字ですが、聖護院道興には、署名のある短冊が残っており、これと比べてみますと、紛れもなく道興の真筆であるとわかります。道興は大永7年(1527)に98歳で亡くなっていますが、色紙や短冊の他にも同筆の『伊勢物語』や『拾遺和歌集』などの断簡があり、道興の旺盛な創作・書写活動の一端が窺われるようです。書写年代は自ずと室町時代中期頃に規定できます。縦22・2センチ、横14・4センチのいわゆる四半形、もとは冊子本の断簡で、本文は次の10行。
  やまざらむにはしかじ。爰にいたりては、貧福
  わく所なし。究竟は理即にひとし。大欲は
  無欲に似たり。
  きつねは人にくひつく物也。堀河殿にて、
  とねりが、ねたる足を狐にくはる。仁和寺
  にて、夜、本寺の前をとをる下法師に、狐三とび
  かゝりてくひつきければ、刀をぬきて是をふせぐ
  間、狐二疋をつく。ひとつはつきころしつ。二は
  にげぬ。法師はあまた所くはれながら、こと故なく
  なりけり。(是はみせけち也。私書也。)
読んでみて、迂闊者の私も、これが『徒然草』であることに気がつきました。その第217段の末尾と第218段。『徒然草』であれば、たとえ室町時代の書写断簡であっても、江戸時代の書写本などに比べてグッと成立年代に近いのですから、それだけで文献的な価値が高まります。
 『徒然草』の伝本は、大きく「古本系」と「流布本系」とに分けられますが、例えば最終行「なくなりけり」は、流布本では「なかりけり」、古本系では「なくなりにけり」となっていて、この断簡は古本系統の本文であることがわかります。
 同じ古本系の中でも有力とされるのは、永享3年(1431)に歌僧正徹が書写した「正徹本」と、古今伝授の祖としてお馴染みの東常縁筆と伝えられる「常縁本」です。今度は、この2本と比べてみましょう。一行目「貧福」が正徹本では「貧富」、常縁本では「貧福」とあり、断簡は常縁本と一致します。ところが、最終行の「是はみせけち也。私書也。」は正徹本にのみ見られる特異な注記ですが、断簡にも同じ注記があります。
 つまり、この道興筆切は、古本系の善本たる正徹本と常縁本の両方の性格を持ち合わせた本文である可能性が出てくるのです。
ただ、正徹本から常縁本への途中過程を伝えるものであるのか、あるいは、その中間的な性質のものなのかは、残念ながらこの一葉からだけでは断定できません。もう一葉でも二葉でもツレが見つかってみると、ハッキリするのかも知れません。
 私は、この性質を見極める一葉に出会うためにも、これからも古筆切の収集を続けようと思います。
そして、その途上、きっと新しい「見ぬ世の友」に出会えることでしょう。
                                    2008年6月18日
                                      (大学講師)
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