『風花庵コレクション余話(3)─北朝鮮の白磁─』

真  生 間  

 安サラリーマンにとって美術品のコレクションなど至難の業である。限られた小遣い、なけなしの金をはたくわけであるから、収集の中味は知れたものである。勢い集まってくるのは中途半端なものか、人が目を向けないもの(亜流)、そうでなければいわゆる“難アリモノ”(広い意味での)となる。
 その前提でのお話しだが、陶磁器のなかでも、座右に置いて至福の時を過ごせるものとなると、自ずと限られてくる。現代作家の作品を別にすれば、いわゆる李朝の白磁・染付のいくつかと、それとはまったく異なる焼物だが、江戸期犬山焼きの鉢・大皿など数点に過ぎない。
 安宅コレクションなどとは比較にならないが、李朝の白磁にはとりわけ愛着のあるものが数点ある。ひとつは所用で長野市善光寺へ参拝した折りに、参道入り口の骨董屋で出くわした提灯壺である。底が大きく割れていたから私のところへ来てくれたものだが、落としをつくってざくっと花を入れたら、その存在感は、我が家のどんな花入れも追随を許さない。
 作家立原正秋が、愛蔵する李朝白磁大壺から多くの物語りを紡ぎだしたことは、その世界では知る人ぞ知るところだ。とりわけ長編小説「春の鐘」は、この壺を視つめているうちに連鎖反応がおこった末の成果と氏は書いている。おそれおおくも私もまた、かの人にならってこの大壺に庭の水仙をたっぷり挿して、何時の日かロマンわきいずる日がくることを密かに祈っている。
 おのれの存在と受け容れた花の美を、微妙なバランスで共に生かす、それが李朝の白磁壺である。官能すらただようふくよかな胴回りから腰にかけてのライン、釉薬が流れた痕跡をかすかにとどめる口縁、冷たさをみじんも感じさせない艶やかな乳白色の肌、そうした印象がひとつになって、言葉にあらわせない豊かさを放ち、眺めていると何かしら果てしないものと今ともに在ることを意識させてくれるような、私にはそんなかけがえのない大壺である。
 あまりに花映りがよいので、身辺で花を投げ入れるのは結局この壺ばかりになり、疲れさせないように時には休ませてやらねばならないが、むき出しで手に入れたままに納める箱も拵えられないまま今にいたっている。

 もうひとつ、やはりその形と肌合いが美しくて、焼きあがりのよい白磁丸壺がある。この壺は売ってくれた骨董商いわく、北朝鮮の白磁だというのである。彼はこの地方には店をもっていない(他のどこかに店があるのかも知りませんが……)、中国・朝鮮陶磁のみを扱う人で、骨董市で知り合ったのです。数は少ないが、なかなか良いモノをもってくるので、市が開かれると、その店を目当てに通っていました。
 いつもは宋時代の小さな白磁の水注だとか、磁州窯のすれた赤絵の皿や人形(当時の民芸品らしいが……)などの小モノを、しかも一度に一点だけ買うのを楽しみにしていたのですが、ある時、李朝の白磁をまとめて持ってきたのです。その時にはすでに先客があって、プロの業者とおぼしき二人組が、いくつか手にとって値の交渉をしていました。彼は人の良さそうな顔面に汗を浮かべて応対していましたが、それらしき方々がお帰りになると、「プロですよ、プロ─。ほんとは売りたくなかったんですがね……」と、私の耳元に口を寄せ、さらにこう言ったのです。「北朝鮮からのものですよ、みんな。中国経由ですが、命がけで持ってきました。滅多に出ない優品ありますよ」と。
 私を誘うように、白磁の壺やら碗やらが仮設の机に並んでいます。売るための誘いの言葉か、それとも……。「嘘でしょう」思わず彼の表情を探りましたが、一匹狼で彼の地の危ない橋を渡っている(かどうか分かりませんが)彼の真意など、凡々とサラリーマンを勤め上げた私に分かるはずもありません。なかで、やや右に傾いたいびつな形で手頃な大きさの丸壺が目にとまり、「あなたのおそばに……」。こうして相手に射すくめられると、もうたまったものではありません。私の買い気を素早く見ぬいた彼は、即座に言い値の6割に値を下げ、「これが一杯ですよ、なにしろ命がけで持ってきたものですから、それを思えばこの値では手放したくないんですがね、まあ何時もなにかしら買ってただいておりますから……」と、私の意向など無視して、結論を出されてしまいました。
 新聞紙にくるんでもらって、この市に出店している箱屋さんに廻って、納められる箱を物色していると、例の二人組がすり寄ってきて、「いくらで買いなすったんで?」と尋ねてきました。仕方なく「〇〇円」と申しますと、「ふん、ふん」とへんなうなずき方で、高いともやすいとも言わず、混雑する客のなかに消えました。高かったのか、やすかったのか、いいモノか、否か、北朝鮮からはるばる我が家にお越しになった豊満いびつな彼女は、今わたしの傍らに静かに鎮座しておられるのです。

 後期(19世紀)と思われる李朝染付龍文壺は、初冬の夕暮れ、「壺中天」のウインドに薄紅色の侘助を投げてなにげなく置いてあったもので、運悪く(?)立ち寄った私は、たちまち魅了されてしまった。高さが25センチぐらいで手頃、腰の狭まった形も申し分なく、描かれた龍のおどる躍動感もまた捨てがたい。今は「壺中天」主人の流麗な箱書きの桐箱でしばし休息しているが、つい近頃も蝋梅と水仙を組みあわせて挿したところ、花と壺がよくよく馴染んでいるのには改めて感じ入った。

 なぜかと問われれば言葉に窮すが、李朝の壺を眺めるのに秋の夕暮れに如くものはないというのが私の密やかな思いである。日が西に傾いていく空のちぎれ雲を仰ぎながら、李朝のものをいくつか取り出してみる。廊下と隔てた障子からもれてくる光りのかげんが、日の動きとともに移ろい、眺めている壺や碗は、光りの照射で次第に陰影を深める。白磁の乳白の肌に映る影が、時の流れとともに音もなく動いているのである。壺や碗の周りには何かしらさびしい、暗愁の気配を感じるが、短日が沈んで外光が弱まるにつれ、むしろ白磁の周りはほのかに明るく輝いてくる。この光りの移ろいは言葉でたとえられないが、明かりに映し出されて変化しているはずなのに、壺や碗が自ら発光しているように思えるのが不思議である。それだけの存在感、かれらが発するオーラのようなものが、日の落ちた室内を支配していることにふと気づく、その瞬間こそ至福の刻といえようか。
 こうした李朝白磁のもつ独特の印象は、いくら私が美語を並べて述べようと試みても、空々しいばかりで、読者に伝えられないもどかしさがあります。
 濃いミルクを流したような白磁瓶、時に草花を投げ入れて楽しんでいる俵壺と、愛着のある李朝、そして江戸期の犬山焼きについては、また別の稿で語らせていただきます。

 ということで、このあたりで筆を置くに際して、安宅コレクションの収集に深くかかわった伊藤郁太郎氏の一文を勝手に引用して、拙文を終えることにします。
 氏は陶磁器の評価の基準を語るなかで、「評価というものは、価値の創造であり発見につながるものでなければならない。知識や経験の総力を動員して、悩み苦しみ迷い思いあぐねて、その上ではじめて評価が生みだされる。そしてそれが如何に人を説得できるか。単なる独善やひとりよがりは許されない。そこに李朝陶磁の鑑賞が、人格的なものに深くかかわってくる所以がある。心貧しく卑しい人は貧しく卑しい物しか取り上げられず、目も心も未熟な人は、外面的な美しさのみに目がうばわれる。それに反して、心豊かで自由な境地に飛翔できる人は、何よりも内面的な美しさを求め、心の糧となり慰めとなるものを見出していく。その人が何をどのように評価するかによって、その人の識見はもとより、人格的なものまであらわれてくるところに、李朝陶磁──高麗茶碗までふくめて──の面白さとおそろしさがあると言えようか。李朝陶磁の鑑賞と蒐集が、このように一種求道的な趣きを持つところに日本的な美的享受の特殊性があり、かつ李朝陶磁の今日的な存在意義があるのだろう」(昭和59年刊・「李朝白磁抄選」創樹社美術出版より)と述べている。


2007年7月7日
(元自治体職員)




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