『古写経逍遙 その2』

安 裕明  




四文律刪繁補闕行事鈔 巻下之三 僧像致敬篇第二十二 断巻
紙高 27.2p 幅11.6p 界高 25.4p 界幅2.4p

 趣味人は誰でも、あるものと出会うことによってその道の深みにはまり、抜け出せなくなったというターニングポイントというべきものとの出会いがあると思う。先輩方にそういうものとの出会いを語ってもらうことはとても興味深い。今後のそういう文章を期待しつつ、今回は自分のことを書いてみたい。

 古写経収集を始めた頃、私の動きは限定的でおとなしいものだった。どの店に行ったら古写経があるのかわからず、近辺の古美術店や古書市に出かけて行って「古写経はありませんか?」と尋ねる程度で、そうそう良いものと出会うことはなかった。その頃の収集は質・量ともに寂しい限りであった。
 ある時、友人の谷川氏から「東京のある店で良さそうな経切を見たので行ってみたら」と勧められた。何かの折に「今、古写経にはまっているんだ」と私が口走ったことを覚えていて、氏は自身の古美術店巡りの際に聞いてくれたのだ。行って見ると、手鑑崩しの古写経切が3点、その内の1点から目が離せなくなった。前に根津美術館で見て、いつかは入手したいと思っていた朱字象嵌経(先学も経名がわからず便宜的にこう呼んでいる。奈良時代書写と思われる経切で墨字の中に所々朱字が混じる珍しいもの)によく似ている。もう1点は細字で、これまた奈良時代は間違いないというもの。値を聞くと、どれも2万円とのこと。即座にこの2点を購入した。残りの1点はどんなものだったか記憶がない。これだけの経切が捺されていた手鑑崩しだけに残りの1点も良いものだったのかも知れない。買っておけば良かったと今更ながら思う。谷川氏に感謝したことは言うまでもない。
 2点を購入したが、私の興味は朱字象嵌経に似ている方に集中した。何経なのか?いつ頃のものか?筆者は誰か?と知りたいことばかり。それ以後、経切の正体を究明すべく、写経関係の文献をモノに憑かれたように集め始めた。写経関係の本はそれまでも集めてはいたが常識的な範囲で、この時の熱の入れ様とは比較にならない。図録・手鑑の複製・佛教関係の本から大日本古文書(正倉院文書関係)・古代人名事典まで、片っ端からインターネット検索して全国各地の古本屋から取り寄せた。よくぞ短期間にこれだけ集めたと我ながらあきれてしまう。入手困難な本は大学や国会図書館に通ってコピーした。(実のところ大学の図書館を外部の者が利用できることや国会図書館の利用法をそれまでは知らなかった)
 この経切の1.一行16字という字詰め、2.胡粉・朱による訓点が施されている等の特徴から、それほど苦労せずに僚巻つれを図録や手鑑の中に幾つも見つけた。されている手鑑がすごい。陽明文庫大手鑑(国宝)・白鶴美術館大手鑑・徳川美術館「鳳凰臺」・三井文庫「高松帖」・法隆寺十六羅漢図屏風(重文)など錚々たる手鑑などである。多くに魚養の極め(「鳳凰臺」だけ嵯峨天皇の極め)がついている。色々調べた結果、経名は「四文律しぶんりつ刪繁さんぱん補闕ほけつ行事鈔ぎょうじしょう」(以下「行事鈔」と略す)であること、似ていると思った朱字象嵌経は予想通り僚巻であること、本来双行で書かれるべき註の部分を朱書している珍しい経であることなどが分かった。調査したことをレポートにまとめたので興味のある方は藝文書院の『金石書学bW』の拙稿「朱字象嵌経の実体」を参照していただきたい。
 知識や情報量が増えれば更に興味は深まり収集にも熱が入る。古写経の展覧があれば京都や奈良を遠しとせずに出かけ、京都・大阪の店にも出没するようになった。日帰りでも収穫があり、短期間にかなりの経切が集まった。収穫には面白いものが幾つかあって、これから研究する材料には事欠かない。
 書物の上で大体の見当がつくと次は実物を見たいと思う。ところがこれが容易ではなかった。なにせ捺されている手鑑は国宝を始めとする天下の名帖ばかり、そう簡単に見ることのできる代物ではない。運良く展示されたとしても開く所は限られていて行事鈔の頁が開かれる可能性は極めて低い。閲覧を申し込んでも一介の高校教師に許可が下りる可能性はない。現存する行事鈔の中でも行数の一番多い法隆寺の十六羅漢図屏風の行事鈔を見たくて法隆寺に手紙を書き、閲覧もしくは写真撮影を申請したのだが体よく断られた。それでも春秋の法隆寺秘宝展にこの屏風が展示されることを知り、次の年春秋二回じっくりと見た。開門と同時に宝物館に直行し、昼食も取らずに閉館近くまで屏風の前にいた。計測もできず、写真撮影もできないので目に焼き付けるしかない。一つ所で何時間も見続けている私を不審に思ったのか警備員が何度も見に来たが無視して見続けた。文言をメモして経名を調べた結果、この十六羅漢図屏風に貼り交ぜの経切は全部で5種類あり、平安時代の書写と思われる紺紙金字大般若経巻第118(21紙324行)以外はすべて天平経と判断した。二番目に行数の多いのが行事鈔で16紙225行。次いで妙法蓮華経巻第6薬王菩薩本事品第23が10紙157行(これを平安経と見る人もいるかも知れない)。次が中阿含経巻第3業相応品和破経で3紙41行(善光朱印経)。もう一種は大寶積経巻第120(2紙24行)。夏の間調査したことを一覧表にまとめ、秋の展示の際更に一日細部まで見続けた。帰り際、法隆寺の調査研究担当の方に会ってこれらの経切の重要性を力説し更に詳しい調査を申請したが、法隆寺の抱える膨大な宝物の整理・調査に手一杯であり、要望には答えられないとの答えであった。

 さて、春には気がつかなかったが、秋に見たときに気になることがあった。屏風の古写経群には料紙の変色があって修復の必要性を痛感した。行事鈔の多くは私の所蔵する5行とは全く別な紙のように焼けていた(屏風に貼られる前から保存状態が良くなかったのかも知れない。私の5行のほんの少し前の部分であるのに全然紙の色が違う)。東京国立博物館の法隆寺献納宝物の写経貼り交ぜ屏風は傷みがひどいために屏風から外して修復保存された。それらの経切群よりもこの十六羅漢図屏風の経切群の方が書写年代も古く、内容的にも四分律刪繁補闕行事鈔の最古の写本や善光朱印経を含む貴重なもので、書法的にも極めて高い評価が与えられるべきである。こちらこそ修復保存すべきだと思う。この屏風は重要文化財に指定されてはいる。しかし、指定の主な理由は鎌倉時代写の十六羅漢図の方にあって写経群はほとんど評価されていないようだ。諸本(「奈良六大寺大観」「国宝法隆寺展図録」等)の解説でも十六羅漢図の解説がほとんどで、写経の説明はほんの数行にすぎない。法隆寺の宝物の多さは十分承知しているが、贔屓目でなくこれらの写経群が低い評価を受けていることを残念に思う。
 かつて花巻の高村山荘で、高村光太郎作品の保存のひどさに心を痛めたことを思い出す(展示品が複製であれば問題はないが、どうも実物であるようだ)。
 唐招提寺は律宗の総本山だからか、たった14行しかない行事鈔巻1の断巻を寺宝の一つとして大切に保存している(「唐招提寺古経選」中央公論美術出版45頁)。法隆寺のこの屏風にはその僚巻が16紙225行も現存するのだから大変なことである。できることなら屏風から外し、順序を正して巻子本に復元すべきであると思う。行事鈔に劣らず中阿含経巻第三残巻(善光朱印経3紙41行)も貴重である。僚巻の中阿含経巻第九(一難寶郎写)は重要文化財に指定されて奈良国立博物館にある。残念ながら巻三の本体は所在不明であるがこの41行だけでも書法の比較により巻三の筆者が特定できるかもしれない。写経の専門家による調査が必要である。
 アマチュア研究者にすぎない私がいくら力説しても法隆寺側に「はいそうですか」と言われる訳がないであろう。私の言葉は力を持たない。しかし、あえてここで現状を報告し、読者及び法隆寺の担当の方々へ問題を提起して、保存についての再考を促したい。

2008年2月28日
(茨城県立多賀高等学校教諭)




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