『掌(たなごころ)の美〜引き出しのなかの小宇宙』

鈴 木 崇 浩  



 先日、本棚を整理していて一冊の本をみつけた。『ロンドン骨董街の人々』と題されたその本をパラパラと拾い読みしていると、日頃大きな商いをしている美術ディーラーたちが自分の机の引き出しにお気に入りの小品を集めて『多宝塔』(トーパーコー)を気取っているというくだりがあった。
 『多宝塔』とは中国の皇帝が自分のコレクションを携帯するための容器の事らしいが、ふりかえってみると私もなにやらこまごまとしたものを机のなかに貯め込んでいることに気がついた。縄文時代の石の鏃(やじり)から、清代の龍が浮き彫りにされた皇帝?のバックルや佩玉(はいぎょく)、舌(ぜつ)を失った青銅の鈴、開元通宝といった古銭、天青石(てんせいせき)のクラスター(結晶の小さな塊)など雑多なものが所狭しとひしめいている。なぜか中国のものが多いのはやはり長い歴史のなせる業(わざ)か。日本ではあまりコレクターが少ない玉類に何故か心惹かれ、壺中天の春秋オークションに出品されると必ずチェックを入れないと気がすまない。なかでも明代の童子筆架一双や清代の猿の表情はどこかユーモラスで、時折、机の上に並べて、しげしげと眺める。『西遊記』に登場する孫悟空は金剛石(ダイヤモンド?)から生まれた石猿だし、金角、銀角はもともと太上李孔君(孔子)のもとで仙薬を練っていた童子だときくから、すでにそこには、「物語」が再現されていく。そのうち、漢代の玉豚(ぎょくぶた)や清代の桃の水盂でも手にいれたら、『西遊記セット』として1つの箱に入れようかしらん。と気にかけながら未だ果たせていない。
 ほかには漢代から清代までの銅印が数顆。これは、二十年来、敬愛する陳舜臣の『漢古印縁起』の影響に他ならず、この短編を何度読み返し、憧憬を重ねたことであろう。それから十数年の時を経て入手した漢古印。「司馬」と彫られた小さな銅塊をニタニタ眺めている姿は、ある意味、気がふれているかに見えなくもない。さらに印章といえば東洋文庫刊の『幕末の宮廷』の口述者・下橋敬長(しもはし ゆきおさ)が管理、所有していた一条忠香(いちじょう ただか)の遊印を掌中に玩び、幕末の堂上公卿の余技としての画業や、明治時代の宮廷の日常、ひいてはその愛娘・昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の日常まで思いを巡らしてみる。
 極めつけは旧皇族の婚礼の際に金平糖を入れて配ったボンボニエールで、いまでは後陽成天皇の勅銘香『磯山桜』が入れてある。もとは東南アジア辺りで採取され、貴紳、名家に珍重、秘蔵されてきたであろう巨木も400年の時をへて。いまでは吹けば飛び、払えば奈辺の塵とならん小片と化して市井にいづるのは、それだけで壮大な物語となりうる。いつか一世一代の慶事のおりには聞香の栄誉に浴し、羽化登仙のここちを味わうとするか。
 「羽化登仙」、「沈思翰藻」、青年時代、陳舜臣の小説にどれほど影響をうけたことだろう。私の主要コレクションである公家の短冊、特に優品の裏には「沈思翰藻」の印を捺す。
 最後に上海の文物商店の店先でみつけた小さな夜光杯(やこうはい)。各々が国家公務員で鑑定家である店の主人につたない英語で「古いの?」ときけば、おもむろに年表をとりだし、「光緒(こうちょ:1875〜1908)」の年号を指差す。「この頃だ。」と。「本当?」と念おしすれば、「そうだ。」とおもむろにうなづく。
(ガイドブックに「文物商店の店員は国家の役人なので、時代をいつわらないかわりに絶対まけてくれない」って書いてあったっけ。でも清朝末期ってことは、『あげよ、夜光杯』(陳舜臣の短編)にでてくるモノより古い。コレは絶対に買って帰るぞ。)他にだれもいない店のなかでひとり興奮している隣国の客はいささか不思議な光景であったに違いない。
 今、その小杯は私の机上にある。引き出しから時折、登場しては、モノたちの織りなす小宇宙の介添役として主人にひと雫の葡萄の美酒を振る舞い、主人は現代の王翰となって『涼州詞』を口ずさみ、沙場に臥すのである。


2007年6月1日
(医師)




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