『扉アリ入ルヤ出ルヤ』
                                         
服部清人

 「ところで、僕の記憶は二歳から始まるんだ」
彼は書斎にお茶を運んできた兼子に話題を転じて、そう切り出した。
「どうしてそんなことがはっきりと断言できるのですか」
問いただすというよりは、まともに取り合えないといった調子で兼子は答えた。彼はかまわず話し続けた。窓の外では春の雨が嘯々と降っていた。
「父は病床に横たわっている。側で母は何かいい出そうとしている様子なのだが、言葉が出てこない。僕はその横でわけもわからず正座させられているんだ」
本棚の隅にはロダンの彫刻と宋代の赤絵壷が置いてある。彼はそこへ視線をやると見えない何かを押すような仕草をした。
「母はやっとのことで声をしぼりだす。“あなたはどこへ行ってしまうのでしょうか”と」
兼子は黙って聞いていた。柱時計の秒針がコチコチと時を刻んだ。静かな夕暮れ時だった。
「父はこう答えるんだ。“あの扉の向こうからやってきて、またあの扉の向こうへ帰っていくだけのことさ”と。・・・それだけ。僕の記憶はそこで途切れる」
貴族院議員であった彼の父はその年に亡くなっていた。彼の父に関する記憶のほとんどが、後になって母や兄や姉から受け継いだものだったから、この瞼の裏の残像もかなりあいまいなものではあった。
「それだけとおっしゃいますが、いくらあなたが学者様であられますとしても二歳の子がそんな会話を理解して記憶できますの」
「確かに。僕自身もそう思うのだ。これは成長してから見た夢が記憶とすりかわったのではないかとね」
「きっとそうでございますわ」
兼子は軽やかに笑って部屋を出て行った。

 それでも彼はあらためて思い出してみる。父が差し出した掌にうすく生命線が見えたこと。母の嗚咽。漂っていた死の気配。やはり自分はあの場に居合わせたのだ。そして得心するのであった。自分の一生はあの一瞬できまってしまったのではないかと。窓の外ではすこし風も出てきたのか霧状の雨がとばりの襞のようになって横切っていった。

                                                了 

※ 柳宗悦の父、楢悦は56歳で逝去。宗悦が二歳の時のことである。「扉アリ入ルヤ出ルヤ」は宗悦の『心偈』の一節。暗示性に富んだ語句であるために、想像の入り込む余地が多分にある。したがって上記の一文は完全なる創作。史実には基づいていない。
 真摯な研究者であり、求道者でもあった宗悦は加えて人生を楽しむエピキュリアンでもあったと思われる。「扉アリ入ルヤ出ルヤ」の真意はわからないが、“たかがそんなもの”という悲観的な匂いは漂ってこないどころか、どこまでも前向きな“されど人生”といった意気を感ずるからである。早くに無可有の地を見てしまった人だからこその言葉であると、小生はひとり合点しているのである。


一滴閑話目次に戻る

トップページに戻る
当ページの写真作品の著作権は、全て、写真家「塚本伸爾」に帰属します。
個人、団体問わず、サイトや印刷物などに無断で転載利用することを禁止致します。