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『けふも無常を身にまとふ』
                                     服部清人

 毎月18日に観音様の境内で開催される骨董市へ出掛けようと近所の若
い友人である八田から誘われて居酒屋の主人、京介は久しぶりに早起きを
した。
「早起きと言っても、本当のところはほとんど寝てないんだ」
ここのところ仕事が忙しく、しばらくは骨董どころじゃなかったのだが、久しぶ
りに出掛けるとなると眠っていた虫が蠢きだした。昨晩も早めに仕事を切り
上げ、翌日に備えて床に入ったのだが、なかなか寝付けずに何度も起き出
して、思いついたことをメモなどしていると、
「まるで、小学生の遠足ね」
と、妻にも言われる始末。何もそんなに朝早くから急いで行かなくても、こう
いったことは縁だから、出会えるものは出会えるし、ご縁がなければ出会え
ません。と、人にはいつも公言してきているにも関わらず、いざその場にな
ると、じっとしていられなくなる。
「エベレスト登頂のヒラリー卿も、カジキマグロに立ち向かうヘミングウェイも、
虎を見たら退治したくなる加藤清正もみんな同じなんだ。女のお前にはわ
からないかもしれないが、それが男の本能ってもんだ」
「あんたの獲物はいつも汚い焼き物でしょ。比較にならないわ」
妻の追い討ちを背中に浴びながら、今朝も息巻いて家を出てきた。

 かねてよりの約束通り最寄の地下鉄駅で待ち合わせ、会場となる観音様
の境内には朝一番に乗りこもうということで、ホームに降りて電車が来るのを
まだかまだかと待っていた。ちょうど日曜日ということもあってホームに人影は
なく、世の中が動き出すのはまだこれからというほんの短いエアポケットのよ
うな時間帯。始発列車が動き出すまでにまだ、十分くらいの間があった。そこ
へ、階段を降りてくる足音が聞こえてきた。二人は見るともなしに、その足音
の主へ目をやった。背中に大きな荷物を背負った老婆だった。左手にもズッ
ク製の鞄を提げている。“ぞろり”という形容がぴったりの出で立ちに、長い髪
を紐で結わえた風体は異様であった。やっとのことで階段を降りきって、ヨタヨ
タとしながら、迷う素振りもなく、最初から決まっていたように八田の横に寄り
添うように坐った。線路をはさんだ向かい側の広告が全面黒い地に白抜きの
文字というポスターだったので、光を反射して、鏡のようになってしまい、三人
が並んで坐っている様子が記念写真のように見えて、京介は笑い出しそうに
なった。しばしの沈黙があった。そして、老婆が口を開いた。
「煙草が吸いたいが、ここは禁煙エリアだろうね」
「さあて、ここはそうだろうね」
京介が答えると、
「そうか、じゃあ我慢するか。誰も見とらんとは言え、社会のルールは守らんと
いかん。そうだろ?だがな禁酒とはしてない、だろ?」
と、見かけによらず妙な理屈を並べ立てる。しかもどういう訳だか男口調だ。
そして、手に提げた鞄から缶ビールを出し、プシュ、プシュッとプルリングを開
け二人に差し出した。返事など聞く耳持たないというような強引さだった。鞄
の中で振り回されていたビールからは案の定勢いよく泡が飛び出して、老婆
の手をつたった。
「もったいない」
そう言うが先に老婆は左右の手に持った缶ビールの泡を交互に口を付けて
啜るように飲んだ。横でその様子を見ていた八田は思わず「えっ」と、声に出
したが、そんなことにはおかまいなく、老婆はグイっとビール缶を突き出し、
「お前さんたちは坊さんかい」
京介も八田も普段着は作務衣である。その日もそうであった。
「そうだ、“ごうよくさんこっとうじ”の坊主である」
勿論、嘘だった。京介は段々と面白くなってきたので、この老婆にちょっと付
き合ってやろうと思ったのだ。“ごうよくさんこっとうじ”は“強欲山骨董寺“のつ
もりで言ったのだが、老婆は不審がることもなく、
「ワシももうすぐお迎えが近いからな、坊さん孝行しておかんとな」
「そうかい、婆さんいくつだい?」
京介はビールを受け取りながら、聞き返した。
「香淳皇后と学習院で同級生だ」
「誰だいその人」
「昭和天皇の奥さんだろ、知らんのか」
そこへ八田が割って入って、
「お若く見えますな」
と、ビールを受け取ると、観念したのか口を付けて飲み出した。しかも老婆
の言うことには拘泥せず、お若く見えるなどと、見え透いたお世辞を言うも
のだから、京介も突っ込みを入れる間を失ってしまったが、香淳皇合と学習
院で同級生って、それは現在の境遇から見ても、年齢からしてもちょっと無
理がある。お互い行きずりの関係、まともに相手することもないと思っている
のだろうか。
「こちらの坊さんはお若くて、二枚目だね。世辞も上手いし、ワシも一戦お願
いしたいもんだわぃ」
「一戦?」
八田が聞き返すと、
「もう何十年もご無沙汰だもんで、あんたに蜘蛛の巣払ってもらいたいってこ
とだ、フガ、フガッハハハハ・・・・」
歯がないので空気が漏れて複雑な笑い方になる。京介も一緒になって笑い
出したが、八田は意味が判らず、からかわれたことだけは伝わって、ちょっと
ふくれっ面をしていた。
「今からどこへ行くんだ?」
「私ら、これから仏縁を探しに修業へ参る。婆さんこそこんなに早くからどへ行
くんだい?」
「ワシか、ワシはな夜鷹の帰り。これでも現役バリバリだ」
「さっきは蜘蛛の巣張ってるって言ったろ」
「フガ、フガッハハハハ・・・・」

 缶ビール一本を飲み干す間もなく、始発電車がホームに滑り込んできた。
「婆さん、一緒の方向だろ、荷物手伝ってやろうか」
「いや、ワシはここでもう少し飲んでから行く、先に行け、先に行け」
追い払うような仕草をしながら、ベンチに横になろうとしている。
「じゃあな、婆さん、またな、それまで達者でな」
「まだ、坊主の世話にはならんわい」
「さっきはもうすぐお迎えが来るって言っただろ」

 「婆さん、最初からだいぶ酔ってましたね」
車中の人となっても八田は今の婆さんのことが気になったらしい。
「時々は嘘だらけの会話というのもおもしろいもんだ」
「でもね、京介さん、あの婆さんの言ってること意外と本当かも知れません
よ」
「どうしてだい?」
「婆さん、僕の側にいたから、京介さんには見えなかったかも知れません
が、ズックの鞄の中に健康保険証が入っていて、名前が見えたんですよ。
“西園寺綾子”って書いてました」
「なんだか、お公家さんみたいな苗字だね。年齢は見たの?」
「そこまでは見えませんでした。素性を隠すためにわざと男口調なのかも」
「でもさ、昭和天皇の皇后様と同級生だとしたら、もう百は越えてることに
なるぞ」
「微妙なところだなァ」
「何言ってるんだ、どう見たって百は越えてないだろ」
「最近はわかりませんよ。この前でもテレビでインタビューされてた老婆の
歳聞いてびっくりしたもの。腰だって曲がってないし、畑仕事だってこなし
ちゃって、それで百越えてるんですよ」
そのあとも目的地に着くまで、二人は奇妙な婆さんの話題で盛り上がった。
危うく乗り越してしまうところだった。あくまで想像でしかないが二人の間で
は結論として、
「きっと、現実と妄想がごゃごちゃになってしまって、夢を見ているような日
々なのじゃないかな」
ということに落ち着いた。
 
 その日の骨董市での収穫は京介が菊の絵のある石皿。傷ものだが魚を
盛ったりできて重宝する優れものだ。菊の絵が描いてあるということも婆さ
んの言っていた昭和天皇つながりかもしれないと無理やりこじつけて買う
ことにした。八田は国焼きの豆皿を五客手に入れた。二人ともそれなりに
満足だったが、それよりも婆さんの印象は帰る地下鉄の中でも消えず、も
しかしたら、まだあのベンチで横になっているかもしれないと、半分期待な
がら朝とは別の向かい側のホームに降り立ったが、見渡してももう姿はどこ
にもなかった。
「しかしなァ、俺たちだって極楽トンボみたいなもんだ。夢のような日々を生
きてんのはあの婆さんとなんも変わらねえ」
「京介さんはしっかりと働いとりますがな」
「どうだかな・・・おツ、見事ないわし雲!」
地下鉄の階段を登り、地上に戻るとなんだか現実の世界に舞い戻ったよう
な気分だった。
「一句できたぞ。いわし雲今日も無常を身に纏ふ」
秋の空に白い雲がゆっくりと動いていくのが見えた。                                                             
                                             了


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