『記念日』
                                   服部清人

 ― またひとつできたわ。
と、うれしそうに妻の瑞江が言うのを葛城は黙って頷きながら聞くのが常だった。葛城の書斎の本棚の一隅に瑞江の占有するスペースがあって、そこに家計簿とかアルバムとかお気に入りの詩集を置いているのだが、その中の一冊に“記念日”と表書きされたノートがあった。瑞江は結婚以来四十年間、そのノートを記録し続けてきた。― またひとつできたわ。というのは葛城家の記念日がひとつふえたということだ。四十年間に葛城家の記念日はふえ続け、一年中記念日だらけになってしまった結果、葛城は気がつかないでいることが多いのだが、瑞江はちゃんと憶えていて、その日の晩酌に銚子が一本余分に付け加えられていたりする。― ああそうか今日は結婚記念日か。などと思い出しながら、葛城もその恩恵を蒙っていた。

 ― そんな過去ばかり振り返っていても仕方ないだろう。
ことあるごとにノートを開いては見入っている瑞江に葛城はそう言って毒づいていた手前、自分の本棚にあるにもかかわらずほとんどそのノートを開いたこともなかったが、久しぶりに手にとって見ると、紙面はセピアに変色して、万年筆のインクも色褪せていた。何度か新しいノートに書き換えてきたはずだが、それでもかなりの年月を感じさせずにはおかない。最初の記念日は二月十一日。結婚した日である。次は七月二日。長男、陽太郎の誕生日だ。瑞江の筆跡で、― 長男誕生。体重八百二十五匁。健康。命名、陽太郎。と書かれてある。四月三日は葛城が九州へ単身赴任することになった日だ。十月二十五日が長女、真澄誕生と続く。新しい記念日がふえるたびに書き加えていき、それに対してコメントが添えられてあったりする。たとえば陽太郎の誕生日には、― すべての人に感謝したい気分。何よりも無事に生まれてきてくれたことに。となっている。九月十五日は独立して始めた保険代理店の事務所開きの日。十二月十日は家族で始めて熱海へ一泊旅行した日だ。三月十八日は陽太郎が大学へ合格した日。瑞江は誰にも言わなかったが、合格祈願ということで半年間のお茶断ちをしていたはずだ。七月九日はその陽太郎の結婚、十一月二日が真澄の結婚と続く。そして八月七日は初孫、陽一の誕生、葛城も瑞江も涙をこぼし喜んだ。―おやじもおふくろもすっかり年取って、涙もろくなっちゃって。と陽太郎にからかわれたりしたものだ。一月十二日、九月四日、八月三十日・・・記念日はまだまだ続くが、その時々のことを思い出してみると葛城夫妻のこれまでの人生はいたって平凡で破綻の少ないものであったように思える。しかし、実際は順風満帆とはいかない日々もたくさんあった。ところが瑞江の記録はそんなことにはほとんど触れていない。葛城家の歴史は瑞江によって意図的に改竄されたようだ。そして、辛いことや、思い出したくない忌まわしいことなどは瑞江の胸の奥にあるもう一冊のノートに書き綴られて、別の棚にそっとしまわれたようだ。葛城はあらためて瑞江を想いながらノートの最終行が書かれてあるページを開き、最後の一行を書き添えるのが自分の方であることを悔やみつつペンを採った。― 四月十四日、妻瑞江永眠。君に感謝、感謝。慶三記す。書きながら声を出さずにしばらく泣いた。

 茶の間で、孫の陽一が呼んでいる声がした。葛城はあわてて涙を拭い、手に持っていたノートを本棚の中央の隙間に入れた。そのノートが葛城の中でこれから占める位置はそこがふさわしいと思ったからだ。そしてひとつ大きく息を吐いて、黒いネクタイを緩めると、火葬場から戻って休憩している茶の間の家族のもとへ戻るために書斎を出た。
                                            了

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