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『日は昇り日は沈み』  
    
                              服部清人

 「2000年間というと、あまりに膨大な時間のように思えて、実感が伴わないのに365を掛けて、730,000日という日数をだしてみると、意外にそれだけかという気になります」
 J・モリスさんは中国、韓国、インドを経て日本にたどり着いたという、スコットランド人。大学で英語を教えている知性派である。もちろん日本語も堪能だ。
「人生80年として、その日数は・・・」と言いながら、計算機をたたいて「29,200日。実に呆気ないものです」
 クリスマスに四年ぶりの里帰りをする日の前日、ワインをもって骨董屋の中川の店にやってきたモリスさんが少し紅い顔でこんな話をし始めた。
「これ、お土産に持っていってください。差し上げます」
売れ残っていた弥生土器の小壷を餞別替りに中川はテーブルの上に置いた。
「拙者、故なくかように貴重な品を頂戴するわけにはまいりませぬ」
先ほどまで話題になっていたテレビの“水戸黄門”の真似らしい。
「いやいや、心配はご無用。決してお代官様に迷惑のかかるような品ではございませぬ」
と、中川も付き合って無理に押し付けると、
「お前もワルよのう」
時代劇通のモリスさんは
「でも本当にいいんですか?」
と、かなりうれしそうに掌で撫でまわす様子。
「ああそうだ、底のところに書付をしておきましょう」
中川は筆を取り出し、丁寧に墨を磨って“日本弥生時代土器小壷”とその日の日付を書き込んだ。
「もしかしたら、この先何百年、何千年後にスコットランドの地でこの小壷を誰かが手にして、この文字の意味を考えるかも知れない。それを想像するのも楽しいじゃないですか」

 二人はワインをもう一杯ずつ飲みながら、この小壷はすでに730,000日以上を生き抜いてきたことになるのですね。などと改めて感心していると、モリスさんが
「ちょっと、トイレ貸してください」
と、席を立ちかけた。
「返してくれるんですか?」
モリスさんはキョトンとした表情。冗談が通じなかったらしい。
「まだまだ言葉の壁は厚いなァ。ジョークですよ。ジョーク」
「ああ・・・」
とモリスさんは苦笑い。
「そういうジョークをスコットランドでは“Angel doesn’t smile,too” “天使も微笑まない” というんです。さぶーいジョークね」
と言いながら、笑ってトイレに立つ。つられて中川も笑った拍子にもう一つ思いついた。残り墨を利用して小壷の内側の見えにくいところに“後之覧者亦将有感於斯壷”と書き込んだ。王羲之の蘭亭序の最後の一節を捩ったものだ。後世、この壷を覧る人もまたきっと無常なる時間というものに想いを馳せることになるであろう。という意味である。
 トイレから戻ってきたモリスさんは、そうとは知らずに再度礼を言ってから、大事そうにその小壷を持ち帰った。今頃、鉛色の空の下で、あの土器はどんな人の手に取られているのだろうか。そしてこの先どれくらいの年月を生き延びていくのだろうか。また中川の書いた文字を見つけ、その意味に感ずる人はいるのだろうか。しかし、中川にはそれを確かめる術はない。ただ想像するのみである。          
                                           了

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